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はじめまして^ ^『闘う税理士』こと小川 実です。【生い立ち】岐阜県岐阜市で、建築業を営む父母の次男として、昭和38年に生をうけました。父は、市議会議員の後援会長を務めたり、知り合いから頼まれると鑑別所や少年院に行くような若者を自宅に引き取り、自分の会社で働かせたりと、とても正義が強く、面倒見の良い父でした。母は、彼らに朝ご飯を食べさせ、お弁当を持たせ、夜ご飯も食べさせて、時に悩みを聞くというとても優しい母でした。おかげで小中学生の間は、知らないお兄ちゃんと二段ベッドで、寝食を共にするというちょっと変わった少年時代でした^ ^加納高校では、ハンドボール部に所属し、3年生では部長を務め、体育祭では応援団長を務めました。とっても自由で楽しい高校生活を満喫し過ぎ、ほとんど勉強らしい勉強はしませんでした(≧∇≦)【大学から就職】田舎から成城大学に入学し、びっくりするくらい華やかで、キラキラした大学生活4年間をバイトとテニスとサーフィンをエンジョイし、卒業する頃、税理士になる事を決意しました。当時、川崎市の宮前平駅前にあった河合康夫先生の事務所に就職し、税理士という仕事を一から教わりました。税理士は、「税金の相談を受けるだけではなく、中小企業の人モノ金、全ての相談を受けなければいけない。」「中小企業にかかりつけ医」の原点はここにあります。【転職】6年ほどお世話になり、大きな組織も経験してみたくなって、野村證券系の航空機のリース会社に就職しました。この会社では、節税商品である航空機リース事業の組成や会計を担当し、組合やパートナーシップなどの仕組みを学びました。税理士の資格を取ったのは、この会社にいる時です。また、国税と4年間にわたる税務争訟を経験し、毎日のように税務調査、不服審査、裁判を行っていました。この4年間の経験で、税務調査に対し絶対的な自信を得ることができました。【闘う税理士誕生】サラリーマン時代、仕事が終わる8時頃から会議室にこもり、土日は朝9時から夕方7時位まで専門学校の自修室にこもり勉強を4年間続けました。その甲斐あって税理士試験に合格することが出来ました。税理士試験が終わるとなぜか「蹴りたい衝動」にかられ、キックボクシングを始めました。4年ほど、キックボクシングにはまり、プロのライセンスを取得しました。しかし、36歳の時、スパーリングで、ローキックを受け左ひざ内側じん帯を断裂し、6か月ほど松葉杖生活を余儀なくされました。さすがに税理士には向かないスポーツと現役は引退し、レフェリーをはじめました。そのうちK-1にも呼んでいただくようになり、アンディサワー、山本キッド選手などのレフェリーもさせていただき、テレビにも普通に出るようになりました。この頃、『闘う税理士』というキャッチフレーズが、定着しました。【開業】7年間のサラリーマン生活を経験した頃、やっぱり税理士として活躍したい思いが強くなり、独立を決意しました。退職を願い出た時、会社の上司から、「小川は、不満を捨て、不安を取るんだな」と言われたのが、とても印象的でした。税理士としてのミッションを2つ定め、現在も精進しています!1.中小企業のかかりつけ医2.争族を無くし笑顔相続を増やす続く・・・
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