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小さな頃から、自分はちょっと変でした。そしてどういうわけか、『形式が嫌い』とか、『権威が嫌い』とか、『体裁などどうでもいい』とかの信念を強く持っていました。そのくせ、自分自身が形式にこだわったり、いばったり、人目を気にするところもありました。人の好き嫌いが激しく、形式だけの人間関係なんていらないとも思っていました。だんだん周りから人がいなくなりました。周りの人との意思疎通も困難になりました。次第に八方塞がりで、精神病的になっていきましたが、その原因が全くわかりませんでした。自分の病的症状は、社会不安障害、躁鬱、鬱のようでもありましたが、どうもちょっとずつ違う感じでした。これだと思えるようなものが、見つかりませんでした。悩みまでが、人と変わっていると思いました。そして自分がどんどん嫌いになっていきました。でも、人と変わっていることに、劣等感だけを持っていたのかというと、それも違います。人と変わっていることに、誇りも持っていました。50歳のころに、本を読んで、アスペルガー症候群とADHDの特徴に当てはまることを知りました。生まれつき、変わった素質があったと知り、かなり救われました。なぜなら自分は”ひとでなし”だと思っていたのが、生まれ持った特性をコントロールできなかっただけだとわかったからです。そして過集中、一途さなどは、自分には長所にしか思えません。自分が嫌いになった原因は、人との関わりでいじけて、感情を抑圧し、自分の思ったことが言えなくなったからです。そうして人間関係を作ることを放棄しました。小学校高学年のころ、自分でそういう方向に行動したのです。そしてそれからは、感情を表に出さないようにし、妬みも抑圧しました。心の中で人を軽蔑して、自分のガラスのような自尊心を守ってきました。悪い症状だけを見て、なくそうと思ってはいけないのだと思います。どうしてその症状が出るのか?その原因が大切なのだと思います。これは心だけではなく体の病気もそうだと思っています。症状は、自分にとって大切なものを、わからせようとしてくれているのだと思います。自分の中の奥深くにある何かが、自分を成長させるために症状を引き起こす、と今は考えています。長い間、見たくない自分の心にフタをして、閉じ込めてきました。閉じ込めることで自分の弱い部分を人から隠そうとし、自分さえあざむいて自分は強いと思ってきました。自分と向き合うことからずっと逃げてきました。それに気付いて、自分に向き合ってから、ようやく自分の体に自分が戻ってきた感じがします。自分を、少しずつですが好きになっています。それまでは、仕事以外は恐怖や不安、不快感で外出もろくにできなかったのが、熱中できる趣味を見つけて外にでるようになりました。自分の意見もろくに言えなくて、会社でもなめられていたのですが、ガツンと言ってなめられないようにもなりました。もう一つ最後に、もっと大切な課題が残っているのを今感じています。人との大切な絆を作ることまず、自分を出せるようになって、自分から話しかけられるようになって、会話ができるようになって、雑談ができるようになって、仲間が作れるようになりたい。子供の頃の頑固さが、こんな当たり前のことができない奇妙な現実を作ってしまったのです。
テーマ: 自己否定
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テーマ: エッセイ
メンタルヘルス
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