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英国プードルの日本国内への輸入頭数でナンバーワンの実績を持つブリーダー・菅原洋子です。お客様に、私の犬を家族として迎えていただき、喜ばれるその姿を見るのが私の最高の幸せです。この私の幸福感には、私の幼少期の寂しいお別れや育った環境に由来します。私の幼少の頃の話を少しだけ書いてみようと思います。◆◆◆家族の思い出◆◆◆私の幼少の頃、野良犬を拾ってきては家族に隠れてご飯をあげるような日々を過ごしていました。もちろんその当時から、私は犬が好きだったからです。しかし、当時の私は自分を理解してくれる友達を探していたんだと思います。私は福井県で産まれ、3歳まで兄弟と両親で育った慶松家の頃の思い出が少しだけ記憶に残っています。双子の兄と、3歳上の兄がいたことも記憶にあります。私の実父は福井新聞社の織物関係の新聞記者。実母の実家は米農家。家には土地がたくさんあり、家賃収入もありました。私が3歳の頃までは、厳しい姑と両親と一緒に幸せな家庭で過ごしていたそうです。◆◆◆両親の離婚◆◆◆そんな中、私が3歳の時に、姑と合わない私の母は、離婚をし実家へ戻ってしまいました。しばらくの間は、母は私と一緒に実家で生活してました。しかし、再婚するため福井の実家に私をおき、富士宮へ引っ越したそうです。その後、私は実母の祖父母に育てられていました。しかし、年寄り夫婦では手に負えなくなってくるからと、子供のいなかった福井の祖父は兄弟・山梨のお寺の和尚の夫婦に養女として引き取られました。◆◆◆山梨のお寺に養女として引き取られる◆◆◆山梨のお寺に養女として引き取られてから、私の過酷な日々がはじまりました。育ての母の厳しさは近所でも有名なほどでした。母親は頭も良く、私に勉強を教えてくれる時もありました。しかし、ほとんどの日々は、馬鹿だ!どうしようもない子だ!と、ののしられながら私は暮らしていました。普段はとても優しい父も、お酒を飲むと急に人が変わり、包丁振り回したり御膳ひっくり返したりして、家族を泣かせました。まだ幼かった私は、自分には親も兄弟ももう一緒に居ないのだ。ひとりぼっちなのだという気持ちを募らせてゆきました。◆◆◆犬との出会い◆◆◆そんな暮らしの中でひろってきた犬は、とても素直に、そして忠実に私の目を見つめて寂しい私の心を癒してくれたんです。私がご飯を持っていくと尻尾を振り明るい表情で迎えてくれた犬。家の中では感じることができなかった純粋な愛情と幸福な時間がそこにはありました。この体験を通して、私の心の友は犬となって行きました。私も犬を信用し、犬も私を信用してくれました。犬こそが本当の友達だと思いました。しかし、犬を見つけられては親に叱られ、また拾い、また叱られ・・・。こんなことを繰り返したのは、その頃の私は心の友を探し続けていたんだと思います。そのような経験を通して、犬の従順な表情や、素直な眼差し、言葉はしゃべれないけれど、表情で犬が何を訴えてるのか理解できるようになりました。犬が好き、プードルが好きな私の原体験がここにあります。こんな幼少期を経て、犬に関わる職業に就こうと私は決めました。◆◆◆私の心からの願い◆◆◆私は人も大好きです。疑ってかかることも少なく、どなたとも信用してお話しすることができます。もちろん、合わない方も今まで何人かいらっしゃいました。しかし、おそらく思い違い、誤解、考え違いから生じたトラブルで、合わないと感じたのかもしれません。私には嫌いな人はほとんどいません。というより、わたしは、人様の好き嫌いを言えるほど人間もできていません。だから、たくさんの方を尊敬もできますし、みんなで仲良くできれば最高だと考えます。厳しかった育ての両親も、おそらく私を世間に恥ずかしくない子に育てようという一生懸命さからの厳しさだったと、今にして思います。そんな私の生きがいは、お客様が私の繁殖した犬と一緒に幸せになってくれることです。私の犬が、愛情に満ちた家族に迎えられ幸せな日々を過ごす姿。それは、私が幼少の頃に夢みていた幸福な家庭のイメージです。私の喜びは、犬とお客様の幸せです。犬との出会いを通じて、幸せな家族が増えること。それが私の心からの願いです。
テーマ: ブラックプードルと私の生活
犬との生活
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