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・・・ 静岡県静岡市のポエム作家でカウンセラーです。小さな会社一輪社(出版社)のオーナーです。楽曲クリエイターの卵です 1958年生まれの私です。実はこの世に生を受けて60年余り。。。正直に年齢も明かすね・・・ こんにちは。星野萌と申します。2002年に新風舎という出版社から、人を勇氣付けるための30作の短編 ポエムを綴った、小さな詩集「雨のち・ほほえみ」という、念願だった詩集から出版デビューしました。 (今は、もう新風舎の出版社はありません。現在は自分の立ち上げた一輪社での購入が可能です) 追記:私の詩集は文芸社のWeb上のデジタル図書館でも読めます。https://www.bungeisha.jp/ ここで私が音楽や文学がなぜ好きになったのか過去の話を書きますね。私は、小さい頃から詩を書いたり、 小説を書いたりして楽しんでいました。父のススメで、書道、絵画、音楽など様々な芸術に関わる道に 近い習い事をやっていました。今でも先生の顔や名前がよく浮かんできます。絵画の地元巨匠「かに先生」 と呼ばれて親しまれていた落語家さんみたいなユーモアのある先生が大好きでした。そして書道の先生は 浅井飛山先生。眉毛がロン毛で豪快な顔立ちでした。音楽はヤマハエレクトーンとカワイ楽器電子オルガン レッスン掛け持ち。鈴木先生、土方先生、明るくて楽しくて優しかった!英、数、国の塾の先生は夏には ステテコで髪にはヘアネットを被り、変わった出で立ちで気ままな教え方が愉快だったな~。 そんな先生が育ててくれた「わたしの在り方」という自己感性の宝ものを大事にして生きていきたいです。 小さい頃の夢は、絵本作家か童話作家になることでした。 その後、10代ティーンエイジャーの夢は作詞作曲するシンガーソングライターに強い憧れを持ちました。 ヤマハのポプコンに応募チャレンジしたのも、そのころでした。作詞家や作曲家にも強く憧れました。 自ら作詞作曲したオリジナル楽曲が出来上がったのもそのころでした。すみやオレンジホールという レッスン生が使う小さなホールで、音楽発表会に参加したり、迎えたゲストさんのコンサートを間近で 観たりして、そこは私にとって音楽を身近に感じる心地良いスペースでした。その後20歳の頃、初めて ソロで演奏披露したのは、一番上の姉の結婚式。「真珠採りのタンゴ」のエレクトーン演奏は思い出です。 これらが私の相当大昔の過去。それから先は20~30年音楽にはあまり関わらずにおりました。 かつての過去の話。全くの過去だけれど人生の中で「うつ病」と向き合った時期もこの時期の後半でした。 そこからちょっと人生方向転換をし、専門学校へ通って学びたいことが有り、資格を取るべく勉強を いたしました。「国際理解教育小学校英語講師」の資格を取りました。幼稚園と小学児童を対象に楽しく 明るく英語で遊ぶ指導を身に付けたわけですが・・・そのころまだ需要がさっぱり無くて・・・悩んで いたところに、身近な人の心の病いが・・・今、自分に出来ることは何か、そうだ、自分が好きだった 音楽でなら癒やせるかも知れない、と再燃したのが今日に至る楽曲作りの音楽活動です。自然な感覚で、 歌を作ってピアノで弾いているうちにジャンルみたいなものが決まり、命名してみました。 「ロマンティック&ファンタジーソング」とか「ロマンティックヒーリングポップス」とかです。 とにかく人のハートに染み込むような歌づくりを今後もしていきたいと考えています。ふと、この歌 を歌手のどなた様かに歌ってほしいと、名前がよぎるのです。自分の楽曲の提供を、手の届かない様な 雲の上に手を伸ばし、目標を立て、本当贅沢な夢を見ている今日この頃です。夢は成功させたい一心です。 月日は更に流れまして2017年に「癒やされる認知症と健康長寿」という医療の今までノートに書いてきた エッセイノート本を自筆にて自費出版をしました。その本を売る事を考え、今は亡き母との約束でもあり、 2019年記念の令和元年に自分の会社「合同会社一輪社」を創りました。一輪社音楽事務所も兼ねました。 作詞作曲した楽曲も誰かに歌ってほしくて、楽曲提供したい呼びかけもしています。 まだまだ駆け出しですが、道は険しくとも頑張りたいです。 http://ichirin68.com/ 「一輪社(いちりんしゃ)」ホームページ 応援をどうぞよろしくお願いします! by星野萌
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小説・エッセイ・ポエム
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