斎藤博之

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本の出版「死ぬまでに必ず聖書を読んでおく必要性」


「本の概要」
私は、若い時に、あるきっかけから「自分とは、人生とは?」を考え始め、その求道がライフワークになる。40歳以降には、日本仏教やアニミズムに傾倒していくが、この人生への疑問に納得のいく回答を得られずにきた。
そして、神を研究しようと思い、今まで読んだことのなかった聖書を読みはじめた。すると、聖書を読まずして抱いていた神のイメージとは、全く違う神に出会うことになる。
そして、約一年の葛藤の末、56歳でイエス・キリストを神と信じた。
そして知った。私たち人間にとって、人生でなすべき最も重要なことは、
「聖書を必ず読む。そして、イエスが神であるか否かを自分として判断する。」ことではないかと。その事を伝えたい一念で、この本を書いた。
B6判 208ページ

(推薦の言葉)…本から引用

深い感動を持って「死ぬまでに、必ず聖書を読んでおく必要性」を読み終えた。この本は単に観念的なことを書いているのではなく、弱者救済を実践していくようになった著者の斎藤博之さんが体験した様々な奇跡を、万人にわかりやすく記録している。

●一千万分の一の確率で起きた奇跡
●年の瀬が迫る中、困窮している親子に起きた奇跡
●立ち直った女性ホームレスの物語
などなど感動なくして読むことはできない。

今から四十年前、まだ神を信じていない斎藤さんにあった神からの予告、サインなどは、自分に当てはめて読んでいる自分に気づいた。これを読まれるあなたもそうなるに違いない。

神を信じない、神を求めてもいない日本人がいかにしてイエス・キリストを神として信じるようになったかの体験記(証し)を今までに数多く読んできたが、この「証し」ほど、その考え方や心の変化をわかりやすく、興味深く書いたものは読んだことがない。長い求道の末、ついにキリストにある真理を見出す下りは涙なくして読めなかった。

すべての老若男女にお勧めしたい本だ。
この本が多くの人に読まれて、真理を知るようになることを祈りつつ。

二〇一七年真冬
CFNJ聖書学院国際部長
グドール ジェラルド 

(はじめに)…本文から引用

私は、五十六歳の時に、イエス・キリストを神と信じた。
信じたことは、私に喜びと安定感、そして試練に耐える力をもたらしてくれる。その感覚は時を重ねるごとに深まっていく。
私の場合、人生の疑問として長年考えてきた「私は誰?私はどこからきてどこへ行くのか?人間とは?宇宙とは?」に、私自身納得のできる回答がもたらされたことが、まずは大きかった。
私は、若い時から、自分の存在について悩み考えてきた。私と同じように、自分が何者であるのか、人生に意味があるのか、お考えの方は多いと思う。
「人生は不可解なり」と書き残して、一九〇三年に、わずか一八歳で華厳の滝に投身自殺された、藤村操という方がいた。若い方は、まさにその渦中で悩んでおられるかもしれない。それほどまでに、人生とは謎だらけである。
また、成人になられ仕事に追われながら、あるいは、リタイア後の生活の中で、ふいと、この人生の謎について考えられる時もあると思う。永遠の謎のまま、人生を終えると思われている方も多いかもしれない。
実は、私もそうだった。人生で最も重要と思われる問題に、心から納得が得られる答えを持っていないということは、人間を本質的に不安定にさせる。心の空虚感は、否定しようがない。しかし今は、そのことについての理解が、はっきりとつくことができた。空虚感は、イエス・キリストが完全に埋めてくれた。そのことを、語っていきたい。

聖書に書かれているように、神がいつも私とともにおられ、私の味方であるという確信は、いろいろな人生の苦難が襲ってきても私に何よりも平安と力を与えてくれている。そして、たとえ肉体の死が訪れたとしても、その後の永遠の命が与えられているという確かな希望がある。
クリスチャンでない方は、それは信仰上の問題であり、自分にはよくわからないと考えていると思う。非現実的と思われるかもしれない。私は、ノンクリスチャンの期間が長いので、そのお気持ちがよくわかる。
また、私は、物事を簡単には信じないという点では、人後に落ちない人間である。いわゆる懐疑主義者であった。若い時は、「神は死んだ。」といったニーチェの信奉者であったこともある。そんな五十六歳の大人が、どうしてクリスチャンになったのか、その理由とプロセスに、興味を持って一読いただければ、大変うれしい。

本当の神であるイエス・キリストを信じるだけで、大きな恵みが与えられる。観念的な世界の話と思われるかもしれないが、それは、自分にとって、とてもリアルではっきりしており、例えて言うと、万有引力の法則と同様、あるいはそれ以上の確信が伴っている。
しかし、この実感は、なってみなければわからなく、また、徐々に強まってくるものであり、クリスチャンになる前は、想像できなかった。まったくの想定外である。
一方、その恵みを受ける私は、クリスチャンとしての使命感・責任感のようなものが生じてくる。この感覚は、義務感とか恵みの対価・条件としての意味合いはなく、強いられたものでもない。
神様は、人間に自由意思を与えたので、強制されることではない。つまり、これを与えるからこれをせよ、といった内容のものではなく、使命感・責任感は、不思議なことに、心に自発的に生れてくる。じつは、この文書を書いている理由もそれであり、神の証人になりたいという気持ちが生じ、それを神から促されていると感じるからである。つまり、結局のところ、全ては神から発せられているようだ。その事も、追って説明して行きたい。

神の証人とは、神が確かに存在するということを、多くの人に証する人になることである。私の証の手法として、神から啓示を受けたこと、そして神の御わざとしか考えられないようなことが起きたこと、それらによって私が実感したことなどを、エピソードを交えて具体的にお話しすることによって、読者が、神について関心を持ち、聖書を通じて神を調べてみようと思っていただくことをねらいとしている。

まずは、私の心の背景としての使命感・責任感について説明したいと思う。
そして、私の現在の活動とそれに至った理由、次に、五十二歳で会社を辞めてから、その後クリスチャンになり、現在に至るまでのプロセスと心の背景を説明していきたい。
さらには、私の現在の活動は、その当時は、気づいていなかったが、四十年前に、既にはっきりと予告されていたことなどを、その時々の具体的な神の啓示とみわざとともに、さかのぼりながら順を追って明らかにしていこうと思う。
その節目ごとに、私に対する神の中長期的な御計画が見えてくる。
その上で、最後に「私は誰、私はどこからきてどこへ行くのか…」についての私の理解をお話したいと思う。
実は、読者の方全員に、必ず神からのサインが送られているはずである。というのは、神はあなたをとても愛しておられ、あなたをこの世に誕生させたからだ。そのことに、例外はない。この本が、そのサインに気づくきっかけになってもらえばと切望する。

(目次)
一章 私が考えるクリスチャンの使命・責任

二章 現在の活動とそれに至った経緯
(一)弱い立場にある人へのサポート活動の原点となった聖書の教え
(二)生活困窮者に対する相談サポート活動
(三)障がい者支援活動のきっかけとなった障がい者事業所への義憤
(四)障がい者就労支援事業所「ホープ」運営で知った障がいビジネス
(五)金優先の思考が広く浸透した現代社会
(六)活動でわかった神の支配
(七)誰もがなりうる貧困や障がい
(八)研修活動と日々の仕事
(九)なごみの会とハートビートの活動
(十)ホープ再生自転車販売の取組

三章 五十二歳で会社を辞めた以降のプロセスとイエス・キリストとの出会い
(一)十三年計画と日常生活
(二)ライフワークとカナダでのロングステイ
(三)ニュージーランドでの神の恵みと日本人の原点を求めて
(四)クリスチャンになる前の私の認識体系
(五)日本での教会通いと聖書勉強
(六)イエス・キリストは神か否かの問い
(七)イエス・キリストにギブアップし洗礼へ
(八)活動及び私生活における神の恵みと神の御計画
(九)神からの預言と神の方針

四章 四十年前の神のサインと御計画
(一)二十一歳の時の幻と啓示
(二)絶望を前提に生きていく人生の発見
(三)四十年前からの予告と神の御計画の確かさ

五章「私は誰、私はどこからきてどこへ行くのか…」に対する私の理
(一)私達が生れてきた理由とこの世での神の御計画
(二)肉体の死後の世界とクリスチャンの役割
(三)天国と地獄の例え
(四)死ぬまでに、必ず聖書を読んでおく必要性
 








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