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交通事故で天国に行ってわかった、天国と宇宙の秘密を皆さんにお話しします。はじめにみなさん初めまして!この世の水先案内人のかみむら英彦(英爺)です。 交通事故で天国に行ってわかった、天国と宇宙の秘密をお話しすることで、小さな悩みから大きな悩みまで英爺が、みなさまの人生が楽しくなるよう、継続的なモチベーションの維持や、楽に生きて行ける方法をフェイスブックやブログ、インスタグラムを使ってお伝えします。現在まで614人以上の方を精神的にズタズタの状態から、明るく、前向きに、楽しく、嬉しく、幸せな人生へと導いております。また、高校や大手企業では約24登壇しており、若い世代から、熟年、ベテランまで発想の転換、視点の変え方などを伝えるお仕事なども実績があります。 私がみなさんを水先案何人としてお伝えする力が最初からあったわけではありません。【小学校時代】生活保護を受ける家庭に生まれたわたしは、無口で、陰気な性格のため学校ではいじめられました。仕返しをする勇気もなく逃げ込んだのは図書館でした。【中学校時代】学校の図書館ではかたっぱしから本を読み漁り、小説から伝記物、化学から科学、物理学までつぎからつぎへと読み、新刊が入荷するたびに図書カード(当時は本に貸し出しカードが添付されていて、本を借りると学年クラスと名前を記入していました)の1番最初に自分の名前を書く事がいつしか楽しみになり、たのしい学校生活になりました。当時はネット環境などなかったので知りたいことはすべて書物から得ました。【高校時代】進学は勉強とゆうより手に職をつけて働くつもりで工業高校に電気科に入学。わしたちが入学して初めて1年から3年生までそろった新学校だったので、設備はピカピカ教材もほぼ無い状態できたので。自分たちの勉強のため、後輩の勉強のために学校の教材を来る日も、来る日も3年間作り続けた事は、とても良い体験となりました。工業高校卒業後は、生活のためにすぐ電電公社に入社しました。【就職時代】その後、NTTに移行し仕事の合間に設備改善の提案をしたころ、みんなの協力で10月23日の電電記念日には表彰台へ10年連続して立つ事ができました。ところが電電公社から民間になると会社が経営困難となり、突然の中間管理層のリストラリストにリストアップされ、26年つとめた会社をあっさりと後にすることになりました。退職後、ハローワークに通いながら自分ができる事を考えたところ、設備修理、電気工事なら趣味の延長で何とかなると思い、個人事業主で開業しました。仕事も順調に軌道に乗ってきたある日、事件は起こりました。ちょっとはやめの昼食をとるため会社を出て、自転車で国道41号線(対向6車線)を青信号で横断歩道の自転車通行側を通って、2車線目あたりに差し掛かった時、遠くの視界に黒い物体がいつもの感覚よりずいぶん速い速度でこちらに向かってきました。まさか3車線もあるので私にぶつかるはずはないと思っていましたが、10m程に近づくとこのままでは間違いなくぶつかってしまうと確信しました。面白いのはここからで、時間の進み方が自覚できるほど極端に遅くなりました。これは人生初めての経験で、最初いったい何が起こっているのかわかりませんでした。命の危険を感じてペダルを力いっぱい踏んでもやっと1回転踏んで進んだところ来たのですが、すでに車はあと10cmで自転車とぶつかる距離まで近づいており、それがはっきりと超スローモーションで確認できた瞬間!!突然時間が止まった感覚になりました。そして次の瞬間、楽しい思い出が現代から過去に向かって楽しいシーンがまず、右側から突然目の前にある大きなスクリーンに映し出されました。そのあと左側から、また楽しい思い出のシーンが現れました。そして、左右から順番につぎつぎと楽しい思い出のシーンが映し出され、とても幸せな気分になりました。やがて小学校3年生くらいまで人生の楽しい場面まで遡った時、突然画面が消えて「ここまま死んだら、残された家族はどうするの?ひき逃げだと保険金や遺族金ももらえないかも?これで私の人生終わっていいの?」と考えていました。気が付くと自転車と車の間はあと1cmまで迫っていました。その瞬間目の前が真っ暗になり、なんだか雲だか、霧だかに包まれた、草原みたいなところに立っていました。ちょっと肌寒いところでした。そのまま日が差しているところに向かうと、だんだん霧がはれて暖かくなってきました。周りをみるとどこまでもお花畑がつづく草原でした。導かれるようにそのまま進むと、なんと向こうから他界した実母がやってくるではありませんか? しかもこちらに来るときは歩くとゆうより滑るようにかなり早いスピードでこちらにきます。なぜか私は母のところまで進めないので、「そちらに行きたいけどどうすればいいの?」と聞いたところ、頭の中で母が「カエレ」とゆうのです。母とはずいぶん離れているのに、はっきりと頭の中で声が聞こえます。こちらの声もはっきり聞こえるらしく、「気持ちがいいからそっちに行く」と言ったら、「カエレ、カエレ」と何回も繰り返すだけです。「暖かいし、ふわふわしてとても気持ちがいいので、帰りたくない。そっちに行きたい」とゆうと「まだひでひこさんはこっちにきてはいけない。やりのこしたことがあるから、かえりなさい」と言われた瞬間、目が覚めると私は道路に寝そべっており、ふと見上げると警官が2人立っていました。若いほうの警官が私を見てひどく驚いていたのが印象的でした。まもなく救急車が来て担架に乗せられて人生初めての救急車はとても遅く感じました。ひたすら鳴り響くサイレンの音を妙に遠くで聞き、救急車の天井を見ながら「俺って死ぬのかな?家族はどうなるのかな?」とぐるぐる考えていたら、サイレンが止まりました。病院ではレントゲンやMRIなどの検査がテキパキとおこなわれ、いよいよ診断結果の告知です。先生は私を見るといきなり「君はなにかスポーツ、柔道とか何かしているのか?」と聞かれました。「わしはインドア派でスポーツとはまったく縁がないこと、1年中パソコンでプログラムを作成しているし、子供のころからスポーツは何もしていません」と答えると、先生は何度も首を傾げ、「おかしいな、おかしいな、もう一度検査するか?」とブツブツ独り言とも、説明とも、独り言ともとれる事をくりかえすので「なにか問題でもありますか?そんなにひどいのですか?」と尋ねたところ、「いや、反対にどこも悪いところが無い、骨折も打撲もないのがおかしい、警官から聞いた話では自転車ごと十数メートル飛んで、自転車はぐしゃぐしゃ、人も飛んで転がっていったと聞いていた、そんな状況で骨折も打撲もなく、軽いかすり傷はあり得ない」との説明でした。経過はともかく、大きな交通事故にもかかわらず、奇跡的にかすり傷で済み、入院もしないでそのまま帰宅することができました。後日談として、当時仕事柄いつもデジカメ(まだ携帯電話はこの世に無い)を腰ベルトにつけているのですが、撮った覚えのない写真が一枚写っていました。その写真は道路が上でほぼ地面しか写っていないのですが、拡大して、180度回転してから見ると、、、なんと、私を跳ねた車とナンバーがはっきりと写っていました。もちろんそのアングルから見て事故直後ですし、私は完全に気を失っていた時なので、撮った記憶がまったくありません。この時初めて私を跳ねた車が黒のフェラーリであった事を知りました。気を失う寸前「ひき逃げされたらどうしよう?」と気持ちが横切りましたがその気持ちが無意識にデジタルカメラのシャッターを押したと思いますが、今でもどうやって、いつこんな写真が撮れていたのか、さっぱりわかりません。交通事故に遭遇した後、私人生感はがらりと変わりました。自分には何ができるか、自分が生かされた意味は、これから何をすればよいのか?助かった意味が分からないまま過ごしている中仕事で名古屋市内まで地下鉄で向かった時です。少し混んでいましたが席は空いていたので出入り口の近くで座り居眠りをしていたところ、次の駅で老人が乗車しました。老人は優先席に向かいましたが、数人の若者が座っていました。それを見て私は以前であればぜったい行わない行動に出たのです。いつもなら居眠りしながら薄目を開けて「はやく向こうに行ってくれないかな、おれも座っていたいだよね」と思っていた私が老人に「こちらの席が空いてますから、どうぞお座りください」と声をかけたのです、しかも今回その行動を見て優先席に座っていたグループも席を立ち老人に席を譲るではありませんか?私はそのグループメンバーにお礼を言って自分の席にもどりました。また、別の日には乳母車と大きな荷物を持ったお母さんに遭遇した時「乳母車と荷物を階段の上までおもちしますので、お子さんを抱っこして上まで上がってください」そのお母さんは最初断りましたが、二度目はよろしくお願いしますと言って子どもを抱き上げ、階段を上がりました。子供は私の顔を見てニコニコしています。この時私はやっと気づきました。「自分のできることを、躊躇なくやればいいだけなんだ。」「どんな小さなことでも、自分から行動する、それが今回生かされた意味なんだ」と腑に落ちた瞬間です。それからは、道に迷っている外人をホテルまで道案内したり、ごみを拾ったり、コンビニのトイレを軽く掃除したり、義務ではなく自分の意志で行動する日々が始まりました。そのころからです、神社に行くと突然体がしびれて力が抜けたり、境内の樹に近づくと手がびりびりしたり、今まで体験したことの無い感覚が日増しに強くなりました。また、クライアントと話をした内容の60パーセントが記憶にないと現象も?念のためにアシスタントを同伴させているのですが、離した内容が自分が知らない内容だったり、説明できない事や、クライアントがしゃべっていない事まで、記録させて驚きました。そして、初対面にもかかわらずその人の持っている悩みや、良いところがなぜかわかるようになりました。そのころから相談を受けることが多くなり最初は無料で実施していましたが、あまりにも多くなったので有料にしたところ1/10に激減しました(笑いそれでも、口コミでだんだん相談者は増えてゆきました。しかし、相談を受けるたびに、体調がすぐれないことが判明し、相談は臨時休業することにしました。そして本業の電気設備の保守作業をしばらくしていましたが、令和元年に全国の一宮をめぐってみたい衝動にいてもたってもいられなくなりました。魔訶不思議な事に元々は東海エリアの仕事が多かったのですが、急に全国的なエリアで仕事をすることになりました。自腹で全国を回るには時間的にも経済的も厳しいのですが、仕事を終えた後近くの神社をめぐる事が、楽々できるようになりました。このころから、龍神が近くにいる?感覚が芽生えてきました。現象としては天気予報では曇りや雨なのになぜか自分の居る場所と目的地では青空が広がっているのです。道路は濡れていても、なぜか晴れ?車のナビゲーションは路線が真っ赤で大渋滞なのに、なぜかスイスイで渋滞なし?極めつけは、高速道路の電光掲示板は大渋滞表示の赤字で到着時間が不明の遅延表示なのに、渋滞もなく目的地まで予定通り到着するとか。不思議な現象が今でもなぜだか頻繁に起こります。しばらくして、またみんなの役に立ちたいとの思いが沸いてきました。セミナーでカウンセリングの勉強をしながら自分の感性を磨いてゆきました。満を期して再開したところうれしいことに新しい方々との出会いが広がり、一宮神社巡りも順調に進み、現在は島に鎮座している神社と九州地方の神社を残してほぼ4/5をめぐる事が出来ています。今年は九州周辺をめぐってゆく予定です。自分に与えられた使命と、パワーを使って、天国と宇宙につながった英知を使って、これからも、みなさまの水先案内人としてパワーアップしてゆきますので、よろしくお願いいたします。皆様とお会いできる日を楽しみにしております。長文の拝読ありがとうございます。神村 英彦草々
テーマ: ブログ
自己啓発・カウンセリング
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