崔、木村

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韓国語の奈良はんぐる教室 (県内2教室/ 富雄本教室・西大寺教室)

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今、何か「韓国語」という

キーワードで眉間にシワは

出来ていませんか?



「韓国語」で立ち止まっている

「黄色」「赤色」の人を

「青色信号」で笑顔に変えていく

道案内人、木村まきこです。

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父はサラリーマン、

母も会社員、パートと

ごく普通の家に生まれました。





海外と何かの縁があったわけでもない

私が語学教室にどっぷりはまったきっかけは

遡れば小学生の頃になります。





ある日突然

前の家=幼馴染の家に

外国人ファミリーがやってきたんです。





「ホームステイ?何それ?」という時代。





とにかく友達の家に

外国人がやって来た!と私は大騒ぎしていました。






話かけられても

何て話せば言いか分からず

「ハロー」と言われれば

「ハロー」とオウム返しするだけだったんです。






子供ながらもっと話したいのに

そんな「もどかしい」気持ちでいっぱいでした。






外国人ファミリーが帰国して間もなく?

その幼馴染のお母さんが

英会話教室を開講されたんです。





 
「おばちゃーん」と呼んでいた人が

今度は英語の先生に早変わりです。






「サンデ~マンデ~チューズディ~♪」と

呪文のように歌い

幼馴染と一緒にマネして歌ったり、

パーティに招かれたりしました。






その友達の家は欧米風にリフォームされ、

家の中も土足で上がれる斬新なリビング

という形に様変わりしたんです。






「和風の自分ん家とは違う・・・」

不思議な世界でした。





その後、英会話教室は辞められ

私は中学生になって部活動、

想い出も薄れかけていた頃

駅前で外国人に道を尋ねられたんです。






あれ?こういう時、何て言うんだっけ・・・?

突然だったので頭の中が真っ白になりました。






とりあえず何か言わないと・・・と

考えている間に「オーノー!」と

教科書で見たジェスチャーと

共にその場を立ち去られました。






中学の3年間

英語を習ったのに

とっさに聞かれた時に

何の役にも立たないなんて。

こんな簡単なことも言えないなんて。

きっと呆れられたんだ。。。情けない。。。

呆然と立ったままでいました。






そんな自分の状態を知った時

その場で使えないんじゃ意味がない!

と高校の入り、地元で開校するという

英会話のジオスに入会しました。







「この子は英会話、初めてですから」と

親が指名したY先生は

日本人で関西の外国語大学出身の

ニューヨーク留学経験者でした。







英語を流暢に操る

Y先生の姿に「カッコいい!」となり、

「映画も字幕なしで見れるよ」という

Y先生に一刻も早く近づきたいと

TUTAYAに駆け込み

タイトルに惹かれ借りたビデオが

「理由なき反抗」です。(笑)







ジェームスディーンの

大ファンになり、

そこからマリリンモンロー、

オードリーヘップバーンと

ハマり部屋の中はモノクロの

ポスターだらけとなりました。







その後はスタンドバイミーを見ては

リバーフェニックス、

バックトゥザフューチャーを見ては

マイケルJフォックス

のファンになります。





ついに映画雑誌「スクリーン」を

定期購読するほど、

ハリウッド映画にのめり込みました。






するといよいよ

「自分もホームステイしたい」という

気持ちになり、親に告げると

「海外はピストル持っている危ない所だから

諦めなさい!」と断られました。






仕方なく「英語クラブ」に所属し、

関西の人はご存知の

アメリカ村に遊びに行くという

高校生活を送りました。






それでも海外に行きたい気持ちは抑えきれず、

ようやく大学生になって

両親を説得したんです。





「イギリスなら大丈夫か」と両親が

1か月だけホームスティに

行かせてくれました。






「3人兄弟の真ん中で

あんたは一番お金かかるわ〜」と言われながら、

「やったーイギリス!かぁ~」と

両親の声は全く耳に入りませんでした。






イギリスに着いてから

電話がかかってくる間、

実家に到着電話をかけることすら忘れ

心配する両親・兄弟をよそに楽しむ毎日でした。






現地の英語学校では

玉ねぎ宮殿に住んでヘリで学校に通う

アラブの人、ヨーロッパの人、

オセアニアの人、アジアの人。

方々との出会いがありました。







言葉の壁も気にせず、

毎日ティー生活を楽しんだ1か月でした。







日本に帰り、ホームステイの余韻冷めやらぬ中、

今度は外国人夫婦が私に道を聞いてこられました。





「じゃあ、もう奈良案内しますよ」

と道案内じゃなく半日ガイドをしました。






「とっさの場面でガイドができた!」と

過去のトラウマを克服した瞬間でした。






実は、道案内は解決できたのですが

別問題が一つ増えていたんです。






何故ならホームステイ先で

「ひなまつりって何」と聞かれ

「へ?日本のことが答えれないっ!?」

という恥ずかしさをまた味わっていたんです。







今まで大・中・小 英語教室等に

二十か所近く行っていたにも関わらず

今度は日本語がネックになるとは…

という衝撃を受けました。







話の場を保つために英会話を継続していましたので

時折、先生の方から仕事や、職場の人間関係、日本語について

プライベートな相談をされたりしていました。






だから自然と

「日本語を分かりやすく外国人に

「伝える方法」を知りたい。

私が日本語を教えてみよう」

という風に気持ちが変化し、

今度は教える側への関心が生まれてきたんです。







会社帰りに日本語講師養成コースに通ったり

もっと経験値を増やすため

日本語の学校の中での

会話ボランティアに参加したりしました。







その延長線上で主人と

知り合ったんです。






外国人のための日本語教育の実践の場として

ボランティアサークル団体も結成し、

主人のために日本語の試験勉強のサポートをし、

自ら教える傍らで、

講師と生徒の橋渡し役をしていました。







3年ほど経ったある日、主人に

「お前の両親にプロポーズした」と言われ

結婚することになりました。







会社員生活を辞め韓国へ渡韓、挙式。

義父、義母と共に

韓国で暮し始めました。






韓国では言葉のやり取りで

当たり前の事ができない自分に

嫌気がさしていました。







英語の時とは違い、韓国語は

学校で習った経験もありません。






韓国語の基礎がないまま

渡韓したことが原因で

家族との会話が成り立たなかったので

現地の語学学校に1か月通学しました。







ですが、韓国にある語学学校だったので

様々な国籍の生徒と共に学ぶため

媒介語は韓国語のみでした。






家の中も外も結局は同じ環境です。






内容の意味と意図などは自分の想像で

推測するしかできず、進むにつれ

日本語でいうと何に当たるのか、

細かなニュアンスの違いや

意味の理解や解釈は





「本当にこれで合っているのかな…不安だなぁ」

とあやふやな状態に陥ります。






話にどう返すか、どう切り出すか

どう答えるかは、

まず先に頭の中で日本語に訳し、日本語で考え

それを韓国語に変換するからです。





だからこそ

「原理原則部分は日本語で学べないかな。

そして韓国語で言って合っているか確かめられる

相手が必要。」と考えだしました。





ですが、一人二役できる

「手持ちの参考書の内容を日本語で説明でき、」

韓国語について把握している講師」

になかなか出会えません。





ヒアリング量は増えて、単語が増えても

普段の会話でなかなか

「返し」が上手くいきません。





その時、通学だけではもの足りず

経験からの学びが必要と参加した

ボランティア活動で、






「日本語や生活、コミュニケ―ションの違い、

異文化社会の中での人付き合い等で苦しむ

在住外国人の苦労」を学んだことが

脳裏に浮かんできました。






「あっ!あの時のその姿が

まさに今の私の姿やん!!!」と思いました。





私も、外に出たら外国人。

決してこれは他人事じゃないわ!!!という

気持ちになったんです。





悶々としながら通学し

学校での分からないことを

主人に聞いたりもしていましたので

「家庭教師役が見つからないなら

いっそのこと主人に先生になってもらおうか。」

という考えになり、

ニュアンスや解釈を日本語で整理し、

日本語から韓国語に一気に変換して

アウトプットまでできる「韓国語教室」を

日本で始めるため準備が始まりました。






日本に戻ってから、パートをしながら空いた時間で

参考書に書かれた専門用語の理解しにくい所を

分かりやすくしようと 

主人と二人で夜な夜なツール作りに励みました。





 
そしてネットの掲示板に

「言葉を教えます。」と載せると

「教えてください!」「私も!」

とお問い合わせがありました。





その方達の中に、

過去の私と同じ悩みを抱えた人も

いらっしゃいました。





それは


授業のスピードについていけない方、

もやもやして結局分からないままという方、

日本語と韓国語の変換が上手くいかない方、

学習に悩んで教室を探していた方でした。






同じように教室を探している方がいる!

と知り、教室を始めました。





毎日情報が溢れる中、

昨日見たものも聞いたものも

忘れてしまう生活の中で

新しい学びを定着させるためには

1回の学びでは不十分過ぎます。







一旦学んだ記憶を蘇らせ、同じことを繰り返し、

何度も反復して定着させなければ

実際の場面で使えません。






初めから日本語で解説されたテキストを利用し、

その日本語をさらに分かりやすく噛み砕き

必要な所は何度も繰り返して理解を深め

韓国語をアウトプットすることで経験を重ねて

自ら実践して行動できる様に。






そのために

「基本的な原理原則の

意味と意図を日本語で

理解を深められる場を作りたい。






相手の言葉は確実に

韓国語で返せるようにさせたい。






話す前に

相手の話を理解し、

聞き取ることも大事だからこそ

相手の話を

聞いて話せる環境は

少人数が良い。






シンプルに捉え

言葉が出てこないポイントを

一つずつ確認しながら反復し

そのポイントを消しながら

前に進めていこう!」






その想いに賛同して下さった方が

一人、二人とお越しになり、


「何より毎回楽しみ」


「タクシーのおじさんと
プライベートな話ができた」


「基礎はここで一番身についた」



とお声を頂き、気づけば

16年経ちました。






あなたに必要な

基礎を重視しています。






「ん?となるポイントは

日本語部分か

韓国語部分かで

解決できる糸口があります。


過去と今の間のどこと、

どこでぶつかったのか。






頭の中でもつれた所を見つけ

解いて整理していき

目標まで到達して飛べる人を増やしていく!」


その想いのもと今に至ります。







今、何か「韓国語」という

キーワードで眉間にシワは

出来ていませんか?






そんな皆さんに私たち日韓コンビがお伝えする


「青色信号」で笑顔に変える


韓国語を前進させる体験会を開催しています。





是非手持ちの本を持って


ご参加下さいね。


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