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こんにちは! / 家族と仲良く暮らしたいのに、 気づけばイライラをぶつけて 自己嫌悪するあなたへ \本当のあなたは、自分を二の次にするくらいに愛情深くがんばり屋さんです。あなたの愛情がそのまま大切なひとに届きますように。そのために、心の中にあるわだかまりを解きほぐすお手伝いを“心”と“お部屋”の両面から致します。ここで、私の自己紹介をさせてください。私はママが自分らしさを思い出して、たった一度の人生を幸せに生きるお手伝いをしています。夫と子ども達の4人家族。わが家はステップファミリーです。こう見えて、私は怒りんぼうです。セクシャリティが強いとも言えます。子ども達は「ママは怒るとゴリラになる」と申してます。ゴ、ゴリラ?2年ほど前から長女は登校しぶり→不登校になり、なにやら発達凸凹の疑いも。人生は想定外が盛りだくさんですね( *´艸`)その流れで、2023年の5月から小さくフリースクールをオープン。それから半年間は「不登校のわが子に悩むママ専門のカウンセラー」をしていました。でも、多くのママさんのお話しをお聴きして、起きている現象よりも、根本的な心の在り方を何とかした方方が、トータル的に満足度の高い人生になるのではないかと思うようになりました。今の悩みはわが子の不登校かもしれない。でも、子育てをしていれば次々に想定外の問題は降って湧いてくる気がするんですね。進学、就職、転職、結婚、子育て、介護などなど。細かく見ていけば、数えきれないほどに。そして、誤解を恐れずに言えば、現実に起こる問題の根っこは、おそらく同じところにある。私の場合は「不安」がその一つです。長女の不登校でも、不安に飲み込まれそうになって、そのツラさを娘にぶつけたこともあります。後々気づいたことは、「不登校」が不安の原因ではなかった。不安はもともと私の中にあったんだということ。私の不安は、「安心・安全」「存在価値」「マイペース」が脅かされるときに発動する傾向があります。その不安はどうやって作られていったのか。どうやって解消への道をたどったのか。私の自己紹介では、そのあたりもうっすらと感じていただけましたら幸いです。************************** 目次・簡単な自己紹介・生い立ち・親子関係で得られなかったものを求めたパートナーシップ・「わが子の不登校」という神様のテスト・私の想い**************************◆ 簡単な自己紹介 ◆【仕事内容】・心理カウンセラー・アクティブペアレンティング|より良い親子関係講座リーダー・整理収納アドバイザー・整理収納アドバイザー2級認定講師【自分を一言で表現すると】ズボラ。または、グータラ。【好きなこと】食卓を囲むことドライブ【苦手なこと】掃除・洗濯正確性を要求される仕事◆ 生い立ち ◆一触即発の危機を抱える家庭で育った、長女で優等生タイプの私。3世代同居の家族が不仲な家庭に生まれ、小さな時から生き残りをかけて、嫌われないように、見捨てられないように、大人の顔色を窺って生きるすべを身に付けました。「いい子になりますから、許してください」こんな風に泣いて懇願していたことを覚えています。そして当時は、少しでも平穏無事に過ごしたくてだれからも頼まれもしないのに、カスガイ役を買って出て家中を奔走しておりました。もともとは自由気ままなお気楽体質でしたが、家庭内の平和を守るため、もともとの自分を無意識に封じ込めて、いつのまにやら、ベキ・ネバでボンレスハムのようにグルグル巻きになった自分が出来上がっていました。とにかく、家族が仲良くなってほしい!安心できる場所がほしい!そのためには私がなんとかしなくては!そんな一心だったと思います。こんな風に、自由人の自分を心の奥に封じ込めて、家族を背負っていた私。幸せという感覚がよく分からなくて、いつも心に黒くて冷たい塊がある感じでした。女子の集団が怖く、クラスに居場所がない感覚にとらわれる。思春期には、何が好きで何が楽しいのか分からなくなってきて、いつもカラダを固くして身構える感じ。「礼儀正しく穏やかだけれど、なぜだかとっつきにくい雰囲気」こんな私は、生きづらくていつもなにかに怯えていて、誰かと一緒にいても一人ぼっちのような気がしていました。一縷の望みは、幸せな結婚への夢。そのためには、まずは実家を出て経済力をつけて、家族の誰にも指図されない状態をつくること。それから、私の生きづらさも葛藤も、すべてを分かってくれる、絶対的な味方の人と結婚するんだ!高校受験のモチベーションは早く経済力を持って実家を出ることでした。それと同時期くらいから、朝起きるのがツラくて学校に行きたくない日々が続きます。でも、学校に行かなければ進学できない。進学できなければ、実家からできなくなる。自分に鞭打って、高校・大学と進学をして、一部上場企業に新卒入社。それなりに学生生活も社会人生活も楽しんでいたので、表向きは順風満帆でしたし、自分でもこの状態が普通だと思っていました。でも、客観的に振り返ると、実生活はボロボロでした。 心を許せる友達がいない。20歳の頃、右側の卵巣に11センチの腫瘍が見つかり、摘出手術。(漢方では、ストレスで気の流れが滞ると罹患しやすいと言われています。)この時は、両親の心配をよそに、病院に来られるのが嫌で、付き添いは当時の彼氏にお願いしました。歴代の彼氏は優しい人が多かったのですが、ついついコントロールしたくなり、窮屈な思いをさせていたと思います。仕事では「助けて」「分かりません」が言えなくて、限界を過ぎても一人で頑張りすぎてしまう。そして彼氏に怒りをぶつける! 彼氏意外には「NO!」が言えない 健康診断では問題がないのに、「元気」が出ない。朝起きれずに、毎日遅刻ギリギリ出社。お給料のうち、自由になるお金はほとんどショッピングにつぎ込む。 買っても買っても満足できない。クローゼットは着ない洋服でいっぱい。そのくせ、旅行や遊びなど、余暇にはお金を使えない。お金はあるはずなのに「ナイ!」と不安になってしまう。 そんな不安だらけの暮らしに嫌気がさして、逃げるように、結婚への道を選びます。一度目の結婚は4年で終わりを迎えました。弟の「ふたりは成長し合えなかったんだね」の一言が、今でも心の中でチクリとします。◆親子関係で得られなかったものを求めたパートナーシップ◆さて、ここからは、今の夫とのお話です。夫とのパートナーシップを振り返ってみると、当初、私が夫に求めていたものは、母のような無償の愛と私の自信のなさを埋めてくれることでした。私と夫の心理的な立ち位置は、子どもと大人だったのだと思います。①母のような無償の愛を求めていた夫には無条件で私を分かって欲しい、認めて欲しい、許して欲しい、愛して欲しい。人間の心の発達には段階があるんですが、私が夫に求めていたことは、子ども時代に特に母親との関係で満たされているはずだったことだったんですね。それは、どんな私でも大切にされる価値があるという感覚を育てること。「心の安全基地」をつくるということ。なにせ、私の幼少期のミッションは「カスガイ」と「サバイバル」でしたから、子どもとして無条件の愛を受けて「心の安全基地」を作っている場合ではなかったのです。とはいえ、「心の安全基地」は生きていくうえで必要不可欠。親がだめなら「夫」というスーパーマンに満たしてもらいたい!!という強い期待を無意識に持っていたのです。②私の自信のなさを埋めてくれることを求めていた当時の私は、自己嫌悪の塊でした。私には「持っているモノ」も沢山あるはずなのに「持っていないモノ」にしか目が行きませんでした。そして、自信がないので人の目も大いに気になったんですね。だから、ナイものだらけの私でも「こんな素敵な旦那様がいるのよ!だから私は大丈夫なのよ」と証明しなければ、不安で不安でしかたがなかったんです。自信がない大きな空洞を埋めるために、夫は「理想通りのパーフェクトな旦那様」でいてくれなければいけなかったんですね。(蛇足です。私は矛先が夫に向きましたが、我が子に向く場合もあります。その場合、無意識にわが子にパーフェクトチャイルドを望むこともあります。)さて、夫との日々ですが。こちらとしては「スーパーマンに愛して欲しい、守って欲しい私」「理想通りのパーフェクトな夫でいてほしい私」なのに対して、大人同士として「協力し合う」「補い合う」「愛し合う」スタンスでいる夫には、だんだんと負担がのしかかっていったことと思います。おまけに、期待通りのスーパーマンでいてくれない夫に、私の怒りは炸裂します。愛情深い夫ではありますが、危険回避のために心の距離をとっていくことは想像に難くありませんよね。 (当時の私は、怒りと疑問でいっぱいでしたが、今なら分かります。夫の気持ち。)夫との間に溝ができていくと、私は幼少時代と同じように、自分の気持ちを押し殺し、夫の顔色をうかがって、嫌われないように、見捨てられないように、いわゆる夫軸になりました。これは、子ども軸、お金軸、仕事軸、母親軸、父親軸、他人軸、そのほか何でもいいんですが、自分が幸せかどうかは相手次第の状態になります。例えば、夫が機嫌よく話してくれたら、私は幸せ。夫が不機嫌だと、私は不幸せ。私は幸せでいたいから、自分をなくしてでも、なんとかして夫が機嫌よく話してくれるように振舞う。っていう状態です。なんだかハードでしょ?ストレスたまりそうに感じませんか?実際、溜まるんです。だから、途中で爆発しまして、元の木阿弥になる。というのをくり返す日々でした。 夫軸~他人軸ということは、究極的には「私を愛して!満たして」という立ち位置なんですね。年齢的には大人ですが、心の中には「いい子にしますから、許してください」という、傷ついた小さな私が泣いている状態だったんです。「これは正解?」「これは嫌われない?」私は、外に正解を求めて終始エネルギーを使っていたので、今思い返せば疲労感が半端ありませんでした。こんなのもう嫌だな。ある日ふとそう思いまして、自分と向き合うということをやってみました。カウンセリングを受けたりして、これまで年十年も押し込めてきた小さな私の自分の言い分を、スルーせずに聴いてあげるというようなことです。やってみたいこと、やりたくないこと、好きなこと、キライなこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、がんばってきたこと、イヤだったこと、辛かったこと、悲しかったこと、言えなかったけど言いたかったこと。こんなことを棚卸して、いまからできることがあれば実際に行動してみたりもしました。何十年も無視され続けていた小さな私なので、最初のうちはうつむいたままでした。でも、回数を重ねるにつれ、小さく囁いてくれるようになりました。そのうち彼女はだんだん笑顔になっていったんですね。私は私の中の小さな私と、少しずつ仲直りしていきました。それと同時に、「わたしはどうしたい?」の自分基準でモノゴトを選んでいくことが増えました。そうすると不思議なもので、とりたてて代り映えしない日常が、充実したものに感じられるようになってくるんですよね。自分が充実しているからなのか、夫の機嫌もあまり気にならなくなりました。イライラは急には無くなりませんが、それでもこれまでのイライラ頻度が100だとしたら、今は20程度になりました。そんな日々を過ごしていると「私を愛して!!!」と夫に要求していたときよりも、夫に愛されてるなぁと感じることが増えていきました。さらには、今までは「愛して欲しい!」というニーズが主だったのですが「この人を応援したいなぁ」「一緒に幸せになりたいなぁ」という気持ちが湧いてくるんですね。とても穏やかで地に足がついているような感覚を感じています。成熟した大人の女性には程遠いかもしれませんが、きっといい感じに大人になってきているはず。さてそんなわけで、夫とのパートナーシップを育てる旅は、私を精神的に成長させてくれました。感情としては、「渇望」「見捨てられる怖れ」「不安」このあたりから「安心」「充足」「安定」に変化したように思います。当時と同じようにトラブルやアクシデントは起きますが、私の感情のベースが変わっているので、現実の受け取り方がガラリと変わりました。こう考えると、こんなにもじゃじゃ馬な私を手放さずに、あるときは距離を取ながら、あるときはサンドバックになりながらも側にいてくれた夫には、感謝しかありません。夫よ、ありがとう。◆「わが子の不登校」という神様のテスト◆さて、パートナーシップが落ち着いてきたころに「ママ、学校に行きたくない問題」が勃発します。長女が3年生の頃です。その少し前から、「漢字の書き取りがイヤだ」「計算の宿題がイヤだ」「ランドセルが重くてイヤだ」の発言が増えだしました。担任の先生が宿題必須の方針だったので、時には泣きながら机に向かうこともありました。一見するとこどものワガママに思えるようなことでした。正直なところ、私はそう思っていました。入学当初から、私が何も言わなくても、学校から帰ってすぐに宿題に取り組んでいた長女。背中からはみ出るほどに大きなランドセルを背負って、嬉しそうに通学していた長女。今になって思うと、徐々に心のエネルギーが枯渇していったため、元気が出なくなったことが原因だったのだと思います。最初は、そんな彼女のことを受け入れられない自分がいました。今までもたまに学校をお休みすることはありましたが、今度のは雰囲気が違います。状況確認のために毎日かかってくる学校からの電話に対応しながら、明日は学校に行くのかな?どうやったら学校に行ってくれるのかな?このままいったら将来はどうなるんだろう?そんな風に考える日々でした。その後色々ありまして、(詳しくは『不登校・わたしと娘のストーリー』をご覧くださいね)https://ameblo.jp/hammingbird88/entry-12796651415.htmlそれから2年経った今、長女の不登校は我が家の公認となっています。個人的には、サナギの時期なのかと思っています。ほら、サナギってじっとしているように見えて、中身は静かに成長していますよね。そんな状態。少しずつ、長女はやってみたいことも増えていって、それを実現させています。そんな姿に勇気づけられた私は、去りし5月15日、たくさんの方の応援とお力添えをいただいて、フリースクール「ひだまりスペース」を開くことができました。(詳しくは NPO法人わこうフードネットワークのブログをご覧くださいね)これが、長女の不登校の恩恵です。長女が不登校にならなかったら、なしえなかったこと。興味すら持たなかったこと。学校が苦手な長女の居場所を、生活圏に作りたい。そんな想いの詰まった場所です。◆私の想い◆ ママが悩みを抱えてイライラが続くと、一番傷つくのは子ども。「私が悪いことをしたからかな」「ママは私のこと大嫌いなのかな」子どもが家族のバランスをとる「カスガイ」役を担当すると、ママは笑顔になってくれるかもしれないけれど、自分の気持ちを押し殺しているので、代償として、何が好きで何が楽しいか分からなくなってしまうんですよね。私はかつての自分の様に、自分を捧げてママを助けようとする子どもを、減らしたい!私の夢は、世界平和です。平和な世界ってどんな世界かというと、子どもたちの笑い声が、あちらこちらから響く世界。そのための最重要課題はなにかというと、ママが無理なく自然に笑顔でいられることだと思うんです。なぜなら、その安心感のもと、子どもたちは安心して子ども時代を全力で子どもらしく過ごして、大人になるためのエネルギーを蓄えられるからです。そのために私にできること。まずは、わたし自身が無理なく自然に笑顔でいる瞬間を増やすこと。つまり、ベキネバから自由になり、たった一度きりの人生を自分らしく生きること。そして、志を同じくする方のサポーターでいることです。私は、わが子に平和な世界をプレゼントしたい。いまこれを書いているときに、思わず涙しちゃうくらい切実な、祈りにも似た願いです。もし私の願いに共感してくださったとしたら、あなたもぜひ、私と一緒に、ベキネバを緩めて自由なママになりませんか?家庭の平和は、世界の平和に繋がっているから。ママがごきげんだと、ご家庭はパワースポットになります。さいごまで読んでくださってありがとうございました!LOVE & PEACEふせけいこでした♡
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