Ameba新規登録(無料)
アホのチャンピオンベルト~北海道千歳市らーめんみのりの愛笑
フォロー
ブログをブロックする
ブログを報告する
ブログをブロックしました
ブログのブロックを解除しました
エラーが発生しました
追加できるブログ数の上限に達しました。
設定
アホのチャンピオンベルト~北海道千歳市らーめんみのりの愛笑
最新の記事
アホのチャンピオンベルト~北海道千歳市らーめんみのりの愛笑
納得のいく一杯が完成しました
テーマ: らーめん
2012年10月15日 18時39分
24
5
カミサマの正体
テーマ: いつもいい加減でちょっとアホ!
2012年09月14日 18時50分
カミサマからの贈り物
テーマ: いつもいい加減でちょっとアホ!
2012年09月13日 10時20分
1
カミサマとの出愛
テーマ: いつもいい加減でちょっとアホ!
2012年09月12日 08時21分
カミサマからの贈り物
テーマ: いつもいい加減でちょっとアホ!
2012年09月11日 08時17分
2
アホのチャンピオンベルトを目指している私から、元気と勇気と笑いをお届けしたくて
この度、アホのチャンピオンベルトを目指している私から、元気と勇気と笑いをお届けしたくてブログをはじめました。
もちろん、ラーメンファンの方にも耳寄りな情報をお届けします。
おもいっきりまとめると、これからご紹介する私のプロフィールは、50を過ぎるまで思い通りにならない人生に悩み続けた不器用な男の物語です。
そして、54歳になって、アホな生き方に出会い初めて人生に降り注いだ数々の苦労の意味を少しだけ理解できたような気が致しました。
もし、お暇がございましたら、しばし、お付き合いくださいませ。
私は新冠という北海道の小さな漁村で育ちました。
年の離れた両親との三人暮らしでしたが、生活は貧しく、
幼稚園はおろか毎日の食事にも事欠くような状態でした。
そして、私には友達がいませんでした。
その村の幼稚園は漁村の飯場にありました。
子供心に、何度か親の目を盗んで幼稚園に遊びに行ったことがあります。
その度に、酒に酔った父が怒鳴り込んで来て、私を引きずり出していくのでした。
同年代の子供たちは「石崎の親父がきた」というと、
おどおどとして怖がりました。
誰も私に近づこうとしませんでした。
「石崎の息子」ということで、
顔を合わす誰もが自分を歓迎してくれないことは
子供心にもよく分かりました。
それが、悲しい事なのか、怒るべき事なのかさえ分からず、
ただただ一人で泣いていた事が多かったです。
小学校への入学式はおばあちゃんが来てくれました。
両親は漁があるために来られないのです。
それは分かるのですが、なぜか、
同級生の中で両親が来ないのは私だけでした。
両親が参観日に来てくれたこともありませんでした。
勉強が好きだったので、
参観日には母に来てほしくて何回も
お願いしたのを覚えています。
忙しくて無理だと言われても子供なので自分を抑えられないのです。
私は自分の姓が「石崎」で出席番号が一番だったので、
座席も右の一番手前です。
漁があることが分かっていても、
ガラガラっと教室の後ろの扉が開いて父兄が来るたびに、
母が来たのでは?
と、振り向いたのを覚えています。
そして、小学校に入ってもやはり友達が出来ませんでした。
いつも仲間はずれで、いじめられていました。
とにかくすぐに泣く、泣き虫で、
なぜか「ミッチーガソリン」と呼ばれていました。
今思えば、「ミッチー」というのは
「みちひろ」という名前から来ていて、
「ガソリン」は「火がついたように泣いて手がつけられない」
という意味だと思うのですが、
当時は自分がいじめられていることも分かっていませんでした。
同級生が持っているおもちゃは何ひとつ持っていなかったので、
一人で浜に行き、ドラム缶の玉乗りをしていました。
よく転んでは骨折をして、その度に病院に運び込まれていました。
小学3年生の時に盲腸になって入院したのですが、
誰一人としてお見舞いには現れませんでした。
同級生がみんなで担任の先生の家に遊びに行ったこともあったのですが、
私だけが後で知りました。
こんな事がある度に寂しいなと思いましたが、
家がこんな状態だから仕方ないと諦めていました。
たまに近所の上級生がビー玉とかパッチ(メンコ)の遊びに
加えてくれることもありましたが、
なぜか、やるたびに勝ってしまうので
「勝ち逃げ」だと言っていじめられました。
もちつもたれつ、
時には相手を勝たすという発想もなく、
世渡りも下手でした。
冬場になると、
家の前に水を張った洗面器を置いておいて、
毎朝、凍った部分を積み重ねてかまくらを少しずつ作るという
楽しみがあるのですが、ある朝、粉々に砕かれていました。
ただ、寂しかったし、悲しかったです。
学芸会で劇をやるときにはいつも悪役でした。
花咲かじいさんの時も、
こぶとりじいさんでも私は悪役でしたが、
役がつくのが嬉しくて嬉々としていました。
何で俺だけが?
ということも考えたことはありませんでした。
当時、私を理解してくれたり、
慰めてくれたり、庇ってくれる人は一人もいませんでした。
いじめられて、仕返しをするという事は
一度も考えたことがありませんでした。
つづきはこちらです。
大いなる勘違い肯定的錯覚いい加減でチョット『アホ』
メッセージ
画像一覧
ピグ
アメンバー
アメンバーになると、
アメンバー記事が読めるようになります
アメンバー申請