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脳をやられて、ことばを失って、なんやかんやで生きています。倒れてからの流れは「続きを見る」でご覧ください。人とまともに会話ができず、ひらがなしか書けなくなった時期を経て、こんなブログを書けるようになりました。ことばは大事だよ~。ちなみに私は実験音声学者で言語学者です。「いいね」「ペタ」返しがなかなか追いつきませんが、割と読んでますのでご容赦ください。<これまでの簡単な流れ>2012年2月3日 倒れる。大塚病院に運ばれる。その後、普通に帰ったらしい。このあたりから次に倒れるまでにある記憶は「院試の採点をしたこと」だけである。2012年2月18日 倒れる。大塚病院に運ばれる。1回目の入院。脳神経外科では外科的症状ではないと診断される。2012年2月25日 日大板橋病院に転院。2回目の入院。神経内科で脳炎と診断される。原因は不明。意識が混濁しており、この頃の記憶はない。高次脳機能障害、言語障害、てんかん発作、麻痺がひどかったらしい。2012年3月18日 現実世界とつながる。数日後からリハビリ(PT)が始まる。2012年4月3日 豊島病院に転院。リハビリ設備が日大板橋病院では不十分ということで、神経内科とリハビリテーション科がある豊島病院に転院することになる。3回目の入院。2012年4月5日 リハビリ(PT,OT,ST)開始。2012年4月10日 発疹が増えたので、皮膚科に通い始める。2012年5月4~6日 一時帰宅。2012年5月20日 豊島病院退院。3か月間の入院生活が終わる。以降、神経内科の治療は日大板橋病院で、リハビリテーション科と皮膚科は豊島病院でということになる。2012年6月4日 国立障害者リハビリテーション病院に通院開始。精神科で診断の上、週3ペースのでリハビリ(OT, CP, ST)をやることになる。病的リハビリではない、社会的リハビリ、職業的リハビリを療法士とともに模索する。2012年6月26日 豊島病院リハ科で相談し、歯科口腔外科に通い始める。(~2013年5月7日)2012年7月5日 国立リハ病院でのリハビリが週2ペースに。STは終了。2012年8月9日 産業医、学科主任、学部事務長、人事課担当者などとの面談を経て、「仕事の量を軽減する」という条件での復職が決定。2012年9月3日 国立リハ病院のOT療法士と相談して、ジム(セントラスウェルネスクラブ上池袋)に通い始める。また、OTの内容も身体全体を動かすことが中心となる。2012年9月27日 国立リハ病院でのリハビリが週1ペースに。CPは終了。2012年10月9日 豊島病院リハ科終了。こちらでのST、PTも終了。2012年12月27日 国立リハ病院でのリハビリが終了。以降は健康管理のための通院に変わる。2013年3月25日 心療内科のゆうメンタルクリニックに通い始める。脳炎による心労があるので、カウンセリングを受けてみようと思ったからである。2013年4月1日 新年度。職場では、周りの配慮で業務を若干軽減してもらいつつも、授業は週9コマ担当することになる。現在に至る。あとはブログをご覧ください。現在の通院歴日大板橋病院 神経内科(10週に1回)某心療内科(月1回→止めた)東京腎泌尿器センター大和病院(尿管結石がひどい時)豊島病院と国立リハ病院はリハビリでお世話になりました。今はともに行ってません。主な治療薬テグレトール、ラミクタールウルソ酸棗仁湯
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