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小野寺優
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小野寺優
性別
男性
血液型
A
居住地
東京都
ステータス
未婚
最新の記事
■小野寺優の真剣ナンパゼミ■ バコバコモンスター
本日、20時にメルマガ配信します。
テーマ: ブログ
2011年12月07日 18時00分
34
谷間を公開します。
テーマ: ブログ
2011年12月05日 18時00分
1
女子高生のコスプレ写真公開
テーマ: ブログ
2011年12月04日 20時00分
12人でやった合コンの写真公開
テーマ: ブログ
2011年12月02日 20時00分
やはり、スーツにメガネは女の子の反応がいいですね
テーマ: ブログ
2011年12月01日 20時00分
ナンパ師小野寺優の映像集
中学一年からナンパを‘始めさせられた’
ナンパ歴が14年以上の
新宿歌舞伎町在住の現役ナンパ師。
路上ナンパは当たり前、
海・クラブ、電車の中やスーパーの中まで、
チャンスがあればそれは逃さず
ありとあらゆる場所で声を掛け、
女のタイプ・場所によって、
どの様にアプローチをすればいいかなどを、
常に研究し続けている。
10年以上かけて作りあげた、
独自のノウハウを広げる為に、
現在、ナンパ・コミュニケーション塾を開講している。
中学一年生:【13歳のナンパ師】
中学の先輩に強制的に、
ナンパをやらされたのが、
ナンパとの出会い。
最初は嫌々だったが、先輩の元に
女を連れて行かないと、殴られる。
そんな訳のわからない上下関係ルールの元、
やったことも無いナンパを死ぬ気で、
先輩の為に頑張っていた。
この頃は、強制的に週に4回~5回放課後に
ナンパをさせられていて、
一日50人以上には必ず声を掛けていた。
もう、それは正直、地獄です。
女が捕まらないのに、やめたくても
自分の判断ではやめれない。
こんな最悪な状況が、
ナンパとの出会いだった。
中学二年生
から三年生:【朝から晩までナンパの研究】
先輩の元に女を連れていけなくて、
殴られる日々が続いていた。
このままでは駄目だ!と思いナンパに対し
真剣に考えるようになる。
見た目の改善からターゲット別、
声を掛ける場所別に、
どの様に声をかければ、
どの様なテンションでいけば、
その相手の心に響くのかを常に
研究するようになり、
何度も何度も、
何人も何百人も失敗しながら、
その失敗を無駄にしないように、
失敗から成功への方程式を
朝から晩まで考える日々が続いた。
中学生ですよ?学校の勉強じゃなくて
ナンパ学習ノートみたいのつくって
必死に研究していた。
その努力が結び、
三年生の終わり頃には、
先輩が放課後遊べる女の子を
微力ではあるが、
調達出来るようになる。
提供すると、
先輩の態度が変わり感謝される。
そんな不思議な感覚を
中学時代から味わっていき、
この頃から、ナンパといものを
楽しむようになっていった。
一度、成功パターンを体験すると、
それが自信に繋がるのだなと感じた。
あと、自分の場合は人に感謝されることで、
もの凄いやりがいを感じていった。
先輩の為に始めたナンパで、
成功して先輩が喜んでいる。
それがたまらなく嬉しかった。
高校一年生:【スカウトマンにからまれた渋谷】
高校生になると、
渋谷でもナンパをする様になる。
ありとあらゆる場所でナンパした。
ハチ公前、センター街、109前。
そこでは、
縄張りという面倒臭いものが存在した。
『ここでナンパするんじゃねぇよ!』
ここで初めて、
スカウトマンという存在を知った。
要は、仕事の邪魔になるから、
お前あっち行けです。
今となっては素直に理解出来ますが、
当時は高校生、
そんなの関係無しに隠れながら、
ナンパを続けていた。
都内はスカウトマン、
ナンパする人が多い。
それによって、女が声を掛けられ慣れて
しまっている為、
シカトする女が多いなと感じていた。
‘シカトする女はどう対処するか’
この頃からそんなことも、
新たに研究材料に入れていった。
高校二年生:【ナンパで彼女ゲット!】
舞台は大宮駅構内。
人生初のひと目惚れをしてしまった。
この女は、
絶対にゲットしてやるって気になり、
4年間で独自に身に着けた
ナンパ技術を集約し、その子にアプローチ!
粘って粘って粘って、
かなり苦労はするが、
番号をなんとかゲットする。
ナンパも、
粘り勝ちする事もあるんだなと思い、
‘簡単に諦めてはいけない’
という考えを持つようになり、
この発見が後に自分の成長を
大幅にあげていった。
19歳: 【約4年間キャバクラスカウトマン】
大学時代のバイトとして、
キャバクラ・風俗に紹介する
日本最大級のスカウト会社に所属。
舞台は、主に新宿、渋谷、六本木、池袋。
ここでは過去の経験を活かす
最高のバイト場となり、
ハイスピードで運良く出世する事が出来た。
この時には、
朝から晩まで声を掛ける日もあり、
200人程に疲れる事無く声をかけ続けていた。
中学時代の4倍の人数を自ら進んで、行う。
あの時はこんな風になるなんて、
想像も出来なかったであろう。
幹部に昇格すると、
自分の班を持つことが出来て、
部下の数も40人近くまで増えていった。
ここでは、人の育成について、
多くの事を学んでいった。
部下もそのタイプによって、
どのように教えれば伸びるのか、
どのように女にアプローチすれば
ベストなのかをアドバイスし、
教育をしていった。
約4年間で、
声かけ技術、
コミュニケーション能力、
人材育成など、
自分をかなり成長させる事が出来た。
出来の悪かった部下が
幹部にまで昇格した時には、
涙が出る程嬉しかった。
小野寺は感情が豊かみたいです。
社会人: 【9年間のナンパ生活が社会で、
かなり役に立つ】
就職活動
某大手広告代理店へと入社した。
まず、入社前の面接時。
ナンパの技術そのものは関係ないが、
初対面の人と話をする時。
面接官への自分の見せ方。
グループ面接で、
そのグループをまとめる能力。
緊張無しに堂々と話を出来る為、
発言に説得力を持たせることが出来、
どの様な内容をどの様にしゃべれば
相手に良い印象を、
与えられるかなどを常に研究していた為、
自然に自分を表現することが出来て、
スカウト時代自分の班を持ち、
部下を教育していたおかげで、
グループのまとめ役を
かって出る事が自然と出来て、
周りの意見もしっかり聞き入れ、
そこに自分の意見も取り入れて、
その場でチームという
一体感を生み出す事が出来た。
営業マンとしての接待方法
やはりクライアント様との
お付き合いで接待は付き物でした。
接待と言えば、
銀座のクラブに連れていく、
六本木のキャバクラに連れて行く。
そんな事もした事もありますが、
経費がかかって仕方がなかった。
会社から経費を抑えろと、
特に言われた事は無かったですが、
売上からその経費を差し引くと、
利益率が下がる。
なんて細かい事を考えていた為に、
自分はそのやり方が、
好きではありませんでした。
では、何をしていたか。
ナンパした女の子を使って、
合コンを組んでいました。
キャバクラなどでは、
味わえない素人感に喜んでもらいました。
夜の仕事を頑張って、
お客さんに気に入ってもらう。
それが、小野寺のやり方でした。
やっている事は、
‘中学時代の先輩が、
放課後遊べる女の子を調達する’と
変わりはありませんから楽でした。
24歳: 【ナンパ塾の塾長を電車でナンパ】
社会人生活4年目。
ある日、会社からの帰宅途中の電車内で、
テレビなどで見たことのある、
有名なナンパ師のを見かけた。
見かけた瞬間に、
隣の席に座り声を掛けた。
最初は嫌な顔をされたが、
挨拶→自分の過去の経験などを
話するに連れて、
心を開いてくれ、
『今度、ナンパの講演会があるから、
講師として話して!』
とその場で言われ、
一週間後にはその舞台に立っていた。
これがナンパ塾との出会いです。
『ナンパ塾の塾長をナンパした、
小野寺優です。』
そんな挨拶で始まり、
50人近くいる会場の空気を
一気につかみ、
ナンパ・コミュニケーション技術を
人に教える事に生きがいを
感じたのである。
25歳: 【ナンパ塾設立】
中学時代からの、
ナンパ、
スカウト活動、
ナンパ塾との出会い。
小野寺はナンパが好きです。
好きだから飽きないし、
常に研究をしている。
ずっと同じやり方には頼りたくない。
もっといい方法があるんじゃないか、
そんなことをいつも考えている。
スカウト活動では、
後輩に色々レクチャーするのも
かなり楽しかった。
自分も成長するのも好きだけど、
人が成長するのはもっと嬉しい。
本気になれるのだ。
これは、塾を立ち上げて、
小野寺ナンパ論を世に広めたいと思って、
小野寺塾を設立した。
生徒は、口コミだけで、
不思議と集まっていった。
26歳: 【インターネットビジネス会社に所属】
ある人との出会いで、代理店は辞め、
インターネット業界に進出。
その人とは、
何回か一緒にナンパをした。
そこで、、
『そんなにナンパがうまいなら、
もっと小野寺って人間を
世間に知ってもらった方がいいよ!!』
ってきっかけで、
このブログを立ち上げた。
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