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◆岡田啓司(OKADA Keiji)Profile◆3歳になろうとするころ、お祖母ちゃんの幽霊を見る。といっても伯母の姑にあたる方の幽霊。生まれる前に亡くなっていた自分の祖母ちゃんじゃなかったが、怖くもなんともなかった。のちに映画やテレビや日本画で観た幽霊の姿に「やっぱり足がないんだ」と納得。同じく3歳前後、数人の親戚縁者の前で、落語をする。ネタはどこから仕入れたのか、駕籠かきが大旦那を乗せていくが、やけに軽い、着いてみると、底が抜け途中で旦那を落としていたという他愛ないもの。雑誌か何かに絵付きで載っていたのを薄らぼんやり覚えている。ヒラカナは、同じころ伯母から読み書きを教わっていたので、ルビつきであれば手当たり次第読んだ。物理や数学の感覚というのは小学校の理科室を体験してから芽生える。虫、爬虫類にまみれて遊ぶ。まだ街中にも土が十分残る恵まれた幼年期だったと思う。中学時代は坊主頭に資生堂のチックを塗って(爆)、ピンクのボタンダウンにガクラン。ドラムのスティックをカバンにしのばせ、放課後はグランドでふらふらになるまで走った。まだスポ根が残っていた。高校になると長髪に髭の芸大志望に。3年時の半分は美術室を占領してデッサンに励む。土壇場になって、お前の石膏デッサンは、リアル過ぎて石膏じゃない。それじゃ落ちるし、絵は大学に行かなくてもやれるとコース変更を美術教師から宣言され、もっと早く言ってよ!な気分で、どうせなら京大の美学にと思うが間に合わず、同志社に拾われる。美学の基礎文献であるカントの"三批判"はきっちり読むも、卒論はちょっとひねたヴァレリーという詩人の批評論を駆け込み寺。ゼミの担当はアメリカンポップアートでならした故中村敬治先生だったが、大学院はつまらん、「それより僕の本を編集してよ」と諭され、それならとフランスに留学を決意。関西(京都)日仏学館の高等科を終えるも、高校のときからハマッていた変わった総合誌の編集長と、ある作家の死がご縁で京都で出会い、そのまま編集部に転がりこむ。当時約1年は無給の「遊軍」扱いで、相当に両親のスネを痛めるが、仕事は身についていく。これまでに手がけた企業PR誌、企業出版、新卒・中途採用メディアなどは、清水建設、内田洋行、大成、キヤノン、帝人システム、伊藤忠商事、石川島播磨重工、アルプス電気、日立製作所と数知れず。石川島播磨重工の「プリンキピア」では編集長を務める。出版社時代のもの、編集プロダクションからの受注仕事、自著共著(2冊)を含めると単行本編集はムックも合わせて百数十点。月刊誌の連載、大手予備校のウェブサイトのコンテンツメーカー、ウェブアプリケーションの開発などを経て現在に至る。好きなもの、俳句、数学、映画に漢字にプログラム。2011年3月11日以降、「編集意志3.11」の公開を企画準備中。
テーマ: 高橋是清日記
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