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はじめまして!オンラインでダイエットサポートをしています、保健師の ながの あき です。北海道生まれ、北海道育ちです。私は、ごく普通の家庭に生まれ、放っておいたらいつまでも黙って本を読んでいるような子どもでした。幼稚園から中学校まで、平凡に過ごす。エレクトーン、習字、英会話、バレーボール、剣道などいくつかの習い事や部活はしたけれど、どれも長続きせず。熱中できるものがなかった。高校では、「ランニングしない、先輩が優しい。」という事が決め手となりアーチェリー部に所属。毎日、朝夕と練習に明け暮れ、日に焼けて真っ黒。充実した日々を、とにかく仲間と楽しく過ごす。全国大会で団体5位入賞して、高校生活最後の夏が終わった。これまでの人生で一番熱中した、そして全国大会の結果に悔しさを残していたため、アーチェリーでの大学進学を考えていた。しかし、看護師である叔母に「大学行って何するの。男の人に幸せにしてもらえるのは美人だけ。1人で生きていけるように看護師になりな。」と言われる。家族にも大学進学は費用面で難色を示され、周りに迷惑をかけないように生きていくことを最優先して看護学校へ入学。自分は好きな事なんてできる人間じゃないんだという拗ねた思いを強くした。「看護師なんて、自分には無理だろう。ダメそうなら保健師ならイケるかもしれない。」というぼんやりと思っていた。そして入学した看護学校は、それまで生きてきた中で経験したことのないキツさであった。それほど熱意があって入学していないので、睡眠時間も十分に取れないほどの課題、テスト、レポート。実習でも怒られることばかり。何度も心が折れそうになる。そんな時に支えになったのは、クラスの友人たち。励まし合って1日1日を乗り越えた。何とか看護学校を卒業できる時が近づいてきた時最初にうっすら考えていた保健師は、あきらめていた。もうこれ以上勉強したくなかった。学生生活から逃れたかった。その時に1人の友人が「少しでも気持ちがあるなら、挑戦しないと後悔するよ。」と言ってくれたことで進学を決意。学校の卒業試験と国家試験、保健師科の受験勉強を並行して行う。晴れて希望の保健師科へ進学するも、勉強内容は根拠となる法律の勉強だったりちょっと思っていたものと違ったりもしたが、看護学校で鍛えられていたため難なく卒業。卒業後は奨学金を借りていたために、お礼奉公として病院に勤務。内科を希望したのに超絶忙しい外科に配属。1か月で向いてないことを実感。完全にキャパオーバーだったが、優しい先輩方や同期の仲間に助けてもらい1年を乗り切る。その後健診センターに配属され、念願の保健師の業務につくが事務的な業務が多く、思ったよりも楽しくない。しかし「楽しみを見つけられない自分が悪い。」とお礼奉公終了まで過ごす。その後27歳で結婚。1人で頑張りすぎて、切迫早産で2か月入院する。29歳で第1子を出産。子どもが1歳の時に誘われて居宅介護支援事業所でケアマネージャーとして再就職。初めて仕事が楽しいと思いのめり込む。第2子出産後、半年で復帰。その後、認知症老人ホームのケアマネージャーに異動。本当にたくさんの学びがあった。しかし、施設では待ったなしの対応も多く、家庭との両立が困難になる。下の子が小学校にあがるタイミングで退職。それまで、ケアマネージャーとして、病気で障害を負った方に多く出会う中で、予防の重要性を感じていた。病気になる前に伝えたいことがある、と保健指導を仕事にすると決めて再就職。「話が聞けて良かった。」「痩せたよ!」と一緒に喜ぶことができるこの仕事が自分に合っていると感じる。気が付いたら10年経っていた。看護学校や病院勤務で過ごした日々は、その時は辛かったけれどその全てが今の仕事に生きています。私自身がこれまで、辛い、過酷な状況の中でも乗り越えてこられたのは「人」に恵まれて、励ましてもらい、助けてもらったから。「人」のサポートがあることが、どれほど力になるかを知っています。体重や体調の悩みから解放されて、大好きなことを思い切りやってほしい。ダイエットは、自分の体と自分の人生を大切にすること。そんな素晴らしいことに取り組む人をサポートすることが私の喜びです。
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