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1960年8月17日新潟生まれの獅子座AB型。新潟市立内野小学校2年生の冬。謎の発熱で病院に行くと「リウマチ熱」の診断。医師から「心臓に障害が残るかもしれない」と告げられる。3学期は自宅での寝たきり生活。おかげで、かけ算を習うことなく3年生に進級。10歳の時に父親の転勤で東京へ。ところが2年後の中学進学時に千葉県我孫子市に転居。公立中学でありながら男子全員に坊主頭を強要する校則に納得できず、3年間長髪を貫く(その祟りか今は髪の毛がありません)。高校受験間近の中3冬にまたまた転勤を告げられ、わけの分からぬ状態で群馬県の県立高校を受験(しかも男子校)。医学部を目指すも成績低迷で浪人もせずにあえなく撃沈。医学に近い分野という理由で理学部生物学科に入学し、大学院(修士)を経て、中外製薬新薬研究所にもぐり込む。当時の最新技術であった電気泳動ができるという理由で腎性貧血バイオ医薬(エリスロポエチン:EPO)の研究チームに放り込まれ、再生不良性貧血患者の尿とラジオアイソトープ(放射線同位元素)にまみれる毎日。「研究で3年も先行するキリンアムジェンに勝てるわけない」「腎性貧血市場なんてせいぜい30億円」「G-CSF製剤の申請の練習」などと揶揄されながらもキリンと同時発売に持ち込み、中外の「エポジン」は年間800億円以上を売り上げるフラッグシップ商品に成長する。高分子糖蛋白であるEPOは注射でしか効果が得られず、透析前の保存期腎不全の貧血には使い勝手が悪い。そこで、経口投与可能な低分子EPO mimic(EPOと同じ働きをする低分子化合物)を創薬できないか?と考え、ふたつのEPO受容体それぞれに結合し、EPO受容体ダイマーの構造を変化させる物質のスクリーニング法を考案。残念ながら経口EPO薬は完成しなかったが、培った技術は抗EPO抗体や抗EPO受容体抗体のスクリーニングに応用され、日本初の抗EPO抗体による赤芽球癆発見につながる。2002年に中外製薬がロシュ傘下となり、腎臓病領域の研究が下火になったため、2007年(47歳)に金沢医科大学発ベンチャー企業に転職。銀行からの資金調達や大学ベンチャーに群がる魑魅魍魎に苦しめられながらも2009年にスピンアウトする形で(株)ダステックを設立して代表取締役(CEO)に就任する。エポジンによって腎性貧血が改善し、「階段を登れるようになった」「職場復帰が出来た」と喜んでくれる患者さん達の笑顔が忘れられず、「病気に悩む方々に喜んで頂ける商品を今一度開発したい!」「この世から透析患者を無くしたい!」そんな気持ちで設立したダステックは、腎機能の低下を緩やかにする物質を研究開発する会社。駄菓子菓子(だがしかし)、商人の子供でもなく研究畑しか知らない中年男にとって会社経営は知らないコトばかり。税理士や社労士、お役所とのやり取り。資金調達のための銀行折衝や助成金申請。社員採用や備品の調達、給与や売掛・買掛などのお金の管理。会社を回すには色々な仕事があるものです。でも弱小ベンチャーだから、ぜ~んぶ自分でやるしかない!幸いなことに、大学や企業での研究で学んだのは「失敗を繰り返してこそ成功に巡り合える」ということ。100個の作業仮説を立てて実験しても、たった1回しか思い通りの結果が出ないのだから、如何に短時間に99回失敗するかが成功への近道!「失敗を恐れて、いろいろ考えすぎて、結局行動しない…」なんてのは時間の無駄!そんな想いで、奇々怪々な出来事を楽しみながら会社を切り盛りしています。
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