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我が子が不登校だった、不登校悩み解決コーチの中澤浩美です。子どもは、現在、社会人になる長男、大学生の次男がいます。~教育熱心!?いえいえ、無意識のうちに、思いどおりの子どもにしようとしていた私~自分は学校の先生・・だから、子どもは立派な社会人にしないと。そう考えていた私は、子どもが小学生の頃から、スイミングや英語教室に通わせ、自宅では「宿題は終わった?」「勉強はやったの?」といちいち口をだしていました。子どもたちは「言い返してもどうせ無理」と思っていたのか、そんな私の態度に反抗するようなこともなく、私も自分の言動を振り返るなんてことは、微塵もありませんでした。長男が起立性調節障害になるまでは・・ ~長男の起立性調節障害発症 不登校はとつぜんに~そんな毎日が一変したのは、長男が中1の時でした。 夏休み明けたばかりのある日の夕方、仕事中の私に同居する義母から電話があり、長男が気持ちが悪いと言って早退してきたと連絡があったのです。夏休みの部活の疲れ!?ぐらいに思い、あまり心配していませんでした。それ以来、頭痛や吐き気を訴えることが多くなり、遅刻、早退の回数が増えていきました。心配になり、掛かり付けの病院を受診すると、「起立性調節障害のようですね。気を付けないと長くかかるかもしれません」と言われたのです。「長くかかるって、どういうこと???」と不安になり、早速ネット検索。すると、起立性調節障害は特効薬はなく、良くなるまでに時間がかかることも・・不登校の原因になることも多い。と書いてあり、目の前が真っ暗になりました。遅刻、早退をくりかえしていたのが、欠席するようになり、そのうち、ほとんど登校できなくなりました。子どもの体調が心配なのはもちろんですが、学校に行けなくなることで、勉強はわからなくなるだろうし、友達関係も付き合いづらくなるだろう、高校受験にだってマイナスになると思い、私は焦りました。早く治してあげないと・・その頃の私は、長男のことばかり考え、食事も喉を通らず、仕事もなかなか手につきませんでした。仕事を辞めて、自宅にいた方がいいのだろうか?と考えたこともありましたが、ずっと一緒にいることがいいとは限らないだろうし、義母もいるから、仕事は続けようと思いました。実際、仕事に集中する時間、長男のことは忘れていました。それは、私の心が心配という感情から解放される時間になっていました。そのおかげで、私の心が病まずに済んだのだと思っています。~子どもの不登校いちばんの厄介なものは、自分の感情だった~長男が不登校になってから、自分の感情のコントロールがとても大変でした。特に、長男の状態に一喜一憂してしまうこと、他の子ども達と比較をしてしまうこと、が・・ いつもより長男の調子が良いと「明日は学校へ行けるかも?」「これからどんどん良くなるのでは?」と、勝手に期待をし、それが外れると、すごくショックで・・落ち込んだ気持ちをうまく調整できない時は、ついきつく長男に当たってしまいました。長男は、そんな私に言い返すこともなく、黙ってうつむいていました。その様子に「また余計なことを言ってしまった」と自己嫌悪・・その繰り返しでした。外に出れば、元気な中学生が目に入ることも多くなり、家にこもる長男を思い浮かべ、胸が苦しくなりました。「うちの子だって、あんな風に元気に過ごせるはずだったのに・・」と。でも、そんなこと他の人には言えない・・できるだけ気にしないようにしようと思っていました。そんな中、自分の本音と向き合わざるを得ない出来事が・・それは高校受験の日試験を終え、晴れ晴れとした同級生を見て、それまで我慢していたものがこみ上げて、ひとり車の中で声をあげて泣きました。体調が回復していない長男は、全日制高校を受験することができなかったのです。~やっと元気になった!と思ったら・・私の色眼鏡が子どもの元気をうばっていた~中学卒業後、通信制高校へ入学した長男。伸び伸びした生活からか、ずいぶんと元気になり、私も安心しました。高校卒業後の進路を考える時期になり、学歴重視の私は、大学へ行けなくても、専門学校へ行くとか、何かしら資格を取らなければ社会人としてやっていけないと長男に話しました。そして、専門学校へ進学することにしたのです。他にやってみたいこともあったような長男。でも、私の常識的で、もっとらしい話に頷くしかなかったのが本音のようでした。専門学校へ入学後は一人暮らしをはじめ、勉強に励み、楽しく過ごしていたようでした。そんな姿に、私も胸をなでおろしていたのですが・・その年の秋には体調を崩し、うつになってしまったのです。そして、専門学校を中退。自宅に戻ってきた長男は、自信喪失状態でした。「中学で不登校になった時から、長男が元気になれるよう、病気や不登校について勉強し、やってきたけれど、ダメだったんだ・・」「いったい、何がいけないの?」「どうすればいいの?」そんな思いが、頭の中をグルグル・・すっかり元気になったと思っていただけに、とてもショックでした。~真の元気 目からうろこの意識の転換~私は「長男を絶対に元気にしたい!そのためにはいったいどうしたら?」そう思い、興味関心の向くままに、たくさんのことを学びました。心理学、脳科学、セラピーヒーリング、潜在意識、宇宙の法則など、学びはどんどんひろがり、人間の原理原則、人生の意味、幸せについて考えるようになりました。それらを探求するうちに、物事に対する自分の視点が変わり、視野が拡がり、視座が高くなりました。人生の苦難は学びとして捉えることができるようになり、なぜ、こんなことになったのか?という受動的態度ではなく、何を学ぶ必要があるのか?と主体的にとらえることができるようになりました。そして、マイナスの出来事からプラスの意味を見つけるようになったのです。 また、人が元気になるとは、読んで字のごとく「元々もっている自分の気に還ること」本来の自分の気持ちにかえっていくことなのだと気づくと同時に、自分以外の人を変えることはできないということも学びました。今までずっと持ち続けていた、私が長男を何とか良くしようという考え、このままだと、将来大変になっちゃうんじゃないかという心配や不安の気持ち、子どもに向けていたそれらの意識を全部手放し、自分の内側に意識の向きを変えたのです。そして、私自身が自分を癒し労い、どんな自分も許し、認め受容することに取り組みました。自分の中にあった劣等感、承認欲求、自己否定感など、様々なものが出てきて、向き合うことが苦しくもありましたが、「これが本当の私。どんな自分も大切な私」と自分に声をかけながら、時間をかけて受け容れていきました。すると、ずっと抱えていた重石をおろしたように、身心ともに軽くなったのを実感!「これが在りのままの私なんだ!」と。それからは、何気ない日常に、楽しみやよろこびを感じるようになっていきました。眩しい太陽のひかり、さわやかな空、「なんて清々しいのだろう」と嬉しくなったり、道端に咲くタンポポを見て、「心からきれいだな~」なんて感動してみたり。楽しみやよろこびが増えると、自然と長男のことを考えない私になっていました。すると長男も、いつの間にか、自分の言いたいことを言い、やりたい事をやり、どんどん笑顔が増え、会話が増え、元気になっていったのです。私はこの体験から、自分を生きることが、真の元気につながり、これが幸せなんだ!と気づいたのです。そこから、まるで止まっていた時計が動き出したかのように、私は私の人生を、長男は長男の人生を生きだしたように感じています。そして、体験から得た知識と知恵を活かして、教室へ行けない子ども達の元気を取り戻せるようになりました。メンタルがダダ落ちだった生徒は1時間のセッションで回復し教室へ行けるようになったり、複数の悩みで頭を抱えていた生徒が「まあ、いいか!何とかなる!そう思えるようになりました」とホッとした表情で元気を回復したり、教室へ行くことができなかった生徒が無事に卒業できたりという体験をするようになりました。元気を取り戻した笑顔溢れる子ども達の姿から、私は”人が真の元気を取り戻して幸せに生きる方法はこれだ!”と確信を得ました。2023年3月31日に養護教諭を退職。4月1日から、メンタルコーチとして活動しています。
テーマ: 子どもとの関わり方
テーマ: 親自身のこと
子育て(小学生以上)
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