ブログをブロックする
ブログを報告する
●幼少時代1966年6月11日に、東京で生まれました。この年はビートルズが来日した年で、誕生日の19日後、日本武道館で初公演が行われています。「大きくなったら何になりたい?」と訊かれると「怪獣!」と答える子供でした(笑)『ウルトラマン』に『ウルトラセブン』、それから『ゴジラ』作品に夢中でしたね。お気に入りのおもちゃは、ブルマァクの怪獣人形で、怪獣こそわが人生でした(笑)●小学生時代小学校の低学年になると、怪獣に加えて新たな楽しみに出会います。それは江戸川乱歩の少年探偵シリーズです。このシリーズとの最初の出会いは、姉が学校の図書館から借りてきた『奇面城の秘密』でした。そのミステリアスなカバー表紙に魅せられ、もう一気に読みましたね。それ以来、ポプラ社のシリーズ全46巻を読破しています。こんなわけで、江戸川乱歩と怪獣、それから無数のテレビ番組が僕の人格形成の基礎になっています(笑)中学年になると、今度は洋画の面白さに目覚めます。SF、アクション物など、テレビで放送する洋画を色々と見ていました。やがて高学年になると、テレビ放送だけでなく映画館にも行き始めます。これは映画好きの友達の影響で、1年に何回か、父親と映画館に行っていました。この頃は『ミッドウェイ』、『ワイルド・ギース』などの戦争映画が好みでした。そんなとき、またしても運命の出会いを果たします。それが『スター・ウォーズ』で、これはやっぱり別格ですね……。『スター・ウォーズ』との最初の出会いは、実は映画ではなくてマンガ誌でした。巻頭特集がカラー写真で、ルークとロボットの映像に強烈な印象を受けました。これをきっかけに、ジョージ・ルーカスは僕のアイドルになりました。ところで『スター・ウォーズ』が登場する前に、僕達にインパクトを与えた映画がもう1本あります。それはスティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』です。でもなぜか、僕はこの作品と『未知との遭遇』を見逃しています。そういったわけで、当時の僕はスピルバーグをあまり意識していませんでした。この頃になると、僕の将来の志望は、怪獣から映画監督へと変わっていきます。●中学生時代中学生になると、映画は父親とではなく、友達と行くようになります。『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』も、友達と一緒に見に行きました。この頃、『スター・ウォーズ』サーガに、一人で盛り上がっていましたね。そのうちに受験シーズンになって、高校入試が迫ってきます。このとき出会ったのがビートルズで、姉が借りてきたLP盤にハマりましたねえ。作品は『ハード・デイズ・ナイト』と『ビートルズ・アーリーデイズ』の2枚で、もう受験なんて放り出して、毎日聴きまくっていました。それ以来のビートルズ・ファンです。それから更に、もう一つ大きな出会いがあります。それは高校受験も終わって、あとは新学期を待つばかりの頃でした。それが吉祥寺の映画館で見た『レイダース失われた聖櫃』です。これにはもう、完全に脱帽でした。ユーモアを交えたアクション演出が素晴らしく、この作品で一気にスピルバーグはルーカスと並び立ちます。50年代、60年代に十代を過ごした人間にとって、プレスリーやビートルズに思い入れがあるように、僕にとってはルーカスとスピルバーグが特別な存在でした。彼らの活躍に刺激され、映画監督への憧れはますます強くなっていきました。●高校生時代中学卒業後、進学した高校は自由な校風の都立校でした。でもここでの3年間が、僕の人生の中で一番クライ時代でした。クラスにどうも馴染めなくて、授業をサボっては映画ばかり見ていました。この頃の僕にとって映画は格好の現実逃避先で、今はない『名画座』に通っては本数を稼いだものです。時代は80年代で、当時はルーカスとスピルバーグが映画界を席巻していました。そんな二人の映画に熱狂しながら、他の最新映画も見ていました。それから、黒澤明などの昔の作品を『名画座』で追いかけていたのこの頃です。そのときの最大のインパクトは、吉祥寺で見たヒッチコックの『裏窓』でした。限定された空間で、徐々に高まってくるサスペンス演出素晴らしい作品でした。感銘のあまり呆然としてバスにも乗らず、一時間ほどかけて歩いて帰ったものです。それから、池袋の文芸座で岡本喜八の作品をまとめて見たのもこの頃だと思います。初めて見たのが『暗黒街の対決』と『独立愚連隊』で、これがもう最高!この出会いで、また一人僕のアイドルの誕生です。そんな映画三昧の中、この時期から本格的にミステリ小説を読み始めます。作品は海外ミステリが中心で、一番の贔屓はエラリー・クイーンでした。『エジプト十字架の謎』での終盤の推理には唸りましたねえ。やがて高校生活も終わりに近づくと、そろそろ進路選択を迫られます。そのときの唯一の進学希望先は、南カリフォルニア大学の映画学科でした。この大学の出身者は凄いメンバーで、ジョージ・ルーカスもその一人でした。でも留学費用がなく、英語もろくに話せないため、結局はあきらめました。そこで映画学科のある日本の大学を受験しますが、勉強不足のため不合格でした。それからの一年間、僕は浪人生活を送ることになります。目標は、やはり映画学科でした。でも、日本の映画業界に就職することにはためらいがありました。というのも、今でこそ日本映画はメジャーになりましたが、当時の日本映画は洋画と比べて人気がなく、産業としての未来も暗かったからです。そんなわけで、いきなり映画監督を目指さずに、まずはミステリ作家になった方がいいのではないかと思い始めます。元々ミステリは書きたいと思っていましたし、作品を発表してから映画界に入った方がスムースにことが進むと考えたからです。●予備校時代僕が通った学校は、小中高、それから大学もすべて練馬区でした。でも面白いことに予備校だけが新宿区で、一年間、高田馬場に通学しました。この時代も高校のときよりは減りましたけど、映画は見ていました。そのとき見た作品で印象に残っているのは、ジェームズ・キャメロンの『ターミネーター』と、マルクス兄弟の『オペラは踊る』の2本です。どちらも違う意味で衝撃的でした。こんな取り合わせで映画を見ていて、よく大学に受かったものです(笑)ただ、映画学科には合格せず、受かったのはそれ以外の学科でした。二浪することも考えたのですが、ミステリ作家という新しい目標が出来たので、そのまま入学することにしました。●大学生時代大学時代も映画は見ていましたが、それと並行して娯楽小説もかなり読みました。ミステリに加えて、冒険小説、スリラー、スパイ小説などです。作家で言えば、アリステア・マクリーン、ブライアン・フリーマントルなどですね。大学時代に、ミステリ作家を目指して作品を書こうと思っていましたが、なかなか一歩を踏み出せませんでした。結局、アイデアは溜まったのですが、小説を書き出すまでには至りませんでした。●社会人~現在社会人になってから、ようやく長編を一編書き上げます。作品はSFミステリで江戸川乱歩賞に応募しますが、一時選考も通りませんでした。それからかなり時間が経ちましたが、今は短編を一つ書いていています。この作品で、新人賞に応募しようと意気込んでいます。その後は小説の執筆を続けながら、何らかの形で映画を作ろうと考えています。現在、個人の映像制作は、昔よりかなりハードルが下がっているからです。ドキュメンタリー、クレイアニメなど、取り組むチャンスはいくらでもあります。今の僕は、そんな風に夢の実現を目指しています。それと同時に、映画の面白さを多くの人に知ってもらいたいと思い、このブログの発刊を思い立ちました。映画作品はもちろん、映画の原作や関連小説、それから興味深いエピソードなど、面白い記事を提供できれば、と意気込んでいます。ご愛読の程、よろしくお願いします。
テーマ: その他
テーマ: プロフィール
テーマ: ホラー(推薦DVD)
テーマ: 号外
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります