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私は岡山県の小さな町で二人姉妹の次女で生まれました。2度死にかけましたが、両親のおかげで元気でかなりのオテンバに育っていきました。私はお父さん子でいつも山や川に出かける子でした。2つ上の姉は正反対で口数が少ないがかなり芯がしっかりして、母とよくお料理をする人でした。 小さい頃はよくけんかをしましたが、姉が就職してからは親にいえないことも遅くまで話したり、旅行も連れて行ってくれたり、私の食べたいものを作ってくれて、あんたはかわいいとよく言ってくれていました。 そんな姉が23歳で結婚が決まり、先方のお父様ががんで余命宣告を受けたこともあり式がかなり早まることとなりました。フィアンセは長男で、きっとその人も不安だったのでしょうけれど長男の嫁とはこうであってほしいとかこうでないと困ると言われ、姉は不安を言えず、式の段取りが進んだこともあり、姉はじょじょに自信をなくしていったようでした。 看護師の卵だった私は看護学校の先生に相談したり、ドクターに相談したり、受診してもらったりして回復を待ちました。しかし、明らかに様子がおかしく父になんとか式をやめるなり延長するなりできないか頼みましたが、厳格な父は、何でもやればできる感が強く、なんとか式が終われば落ち着くと思っていたのか聞いてはもらえませんでした。家族内のことを外に漏らすのは家の恥。たとえ親戚といえども相談してはいけないという家庭で育った私は仲のよい叔父にさえ相談できず、ただどうにかならないかと姉の手を握ってあげることしかできませんでした。 そうこうしているうちに1週間後に結婚式が迫ってきました。毎週末だけ寮から帰ってくる私の帰りを「ちゃるちゃんが帰ってくるとぱーっと明るくなって楽になる。」と言ってとても楽しみにしていてくれていた姉でした。日曜日に寮に帰り、月曜の早朝、寮に母からの泣きながらの電話がありました。「ちはる、姉ちゃんが、姉ちゃんが」そこから先はいえないようでしたが、私はすぐ悟り、「だめだったんね。これから帰るね。」とだけいったのを覚えています。その後、1週間後に控えた結婚式を楽しみにしていた親族、特に近い祖父母や叔父たちの気落ちもすごく「何でこんなことになるまで相談しなかった!」といわれ、姉の命より恥をしのいでも相談しなかった自分を、また父のせいにしようとしている自分を責めました。両親の、特に母の憔悴しきった様子を見て、自分はしっかりしないといけないと思うと同時に、なんで助けられなかったのか、姉を連れてどこかに逃げればよかった、と悔恨の念にかられ、助けられなかった自分を責め、自分は幸せになってはいけないと思ってしまいました。そして、自死は地獄に落ちると聞いていたので、母と私はとにかく助けたいと思い、救われると言われる宗教に入って多額のお布施をしたり、毎日お寺に早朝からおつとめに出かけたリとできる限りのことをしました。これで少しは姉を助けることができるかなと思っても確信はなく、自責の念は全く消えませんでした。仕事でも何でもうまくいかないと自分が悪いからではないかと思うようになってきて、自信を持ってできることが何一つありませんでした。いつも周囲の人に助けてもらわないとできない自分を責め、自分は一人でどこまでできるか知りたくて、単身海外に渡り、大してしゃべれない中学英語だけでワーホリで働いたり、バックパックでニュージーランドを旅したりオーストラリアを半周したりしてみたりしました。そこでよくわかったことは、一人では何もできないが助けたり助けられたりでいいんだということと、とにかくやってみないとわからないということでした。日本に帰って来て、子供が大好きな両親のためにも、姉が気にしていた家を継ぐことを考え結婚することに決めました。すると主人と縁があり、結婚し、2児の男の子の母親となりました。両親は孫育てをとても楽しんでくれました。幸せになってもいいんだなと思えてきていたところでした。上の子が中2、下が小6の時に夜勤から帰ってくるはずの夫は交通事故で帰らぬ人となりました。突然のことで何が起きたかわからないのと、私はやっぱり幸せになってはいけなのかもと思えました。その後の3年にわたる裁判でも毎回つらい思いばかりで天に向かって「もういいでしょ。もういいよ。」といったことを思い出します。しかし私は一家の大黒柱。主人が亡くなったときに、すべて意味があると捉え前を向いていくことに決めました。向けざる終えなかったかもしれません。その後もいろんなことがありいろんな本や講座や研修を受けたりして、自分に正直に生きよう、もう自分を責めすぎるのをやめようと決めました。しかし、どうにもならない思いが突き上げてきて、気も狂いそうで、でも誰にもいえず、どうしようかと思っていたときにヒーリングアートと出会いました。ただ自分の思うままに描くだけで落ち着いていく。これはすごいという直感で講座を受け、その中でのワークでインナーチャイルドに出会い、よくがんばったねと抱きしめてもらえたのを感じてわんわん泣けて、すっきりした心境になり、何が起きても大丈夫なんだという不思議な感覚になりました。本当の自分の声が聞こえてくる気がしました。そして自分がOKだとOK。自分がどうしたいかそれだけなんだと確信をすることができました。そのままの自分で生きていいのだ、もう幸せになってもいいのだと自分を許すことができました。セルフヒーリングってこのことだと思い感動すると同時に、人に言えない悩みを癒やしてくれるこの手法はみんなが楽になれるかもしれないと思い、今では本当に世界一自分の味方になれつつある私が、一人でも多くの人が自分自身の味方になれるサポ-トをさせていただければと思い講師になりました。
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メンタルヘルスカウンセラー
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