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はじめまして、ノブと申します。このブログは、ずっとどこか心の奥深くで学校生活に「生き辛さ」「窮屈さ」「違和感」を感じる普通の感性を持った君に向けて書いています。不良になるほど自暴自棄にもなれず、ましてやクラスの中心のリア充になってバカ騒ぎも出来ないという昼休みには教室の端っこに追いやられてしまうけど大きな問題は起こさずに物分かりが良くそれ故、誰にも気付いて貰えない孤独を背負った君に向けて書いています。教室にうごめく特有の「空気」は笑顔でそんな君の心を殺しにかかっています。ゆっくりと、当然の事のように無遠慮に。それはもう既に日常風景です。面白くないのに薄ら笑いをする時文句があるのに黙り込む時好きな事を好きだと言えない時などなど。小さな死が集まり自分らしさを枯らし色の無い日々で青春を染め上げます。透明な牢獄の中に閉じ込められ緩やかに殺されていく事をどう思いますか?「仕方ない」の一言で納得しますか?わけのわからない曖昧な空気とやらに君は自分を差し出してしまえますか?嫌、ですよね。力さえあれば…そんな状況に留まりたくはないですよね。僕も君に殺されて欲しくありません。だから教室という場を生き抜く力を、このブログで伝えたいと思うのです。かつての僕が処世術を身に着け生き残ったように今度は君にも生き残って欲しいのです。高校1、2年生の頃を思い出すと今も少しあのモヤモヤとした気持ちが蘇ります。当時、僕は洋楽ロックやアニメや映画の話題しか興味が無く周りとの趣味は全く被りませんでした。ファッションなんてお母さんの買ってきた服の上に革ジャンを着ればとりあえずカッコよくなると思っていたしカラオケに行っても誰も知らない洋楽を歌って1人で悦に入っていました。つまり変な趣味と服がちょっとキモいってだけでそれ以外は普通の大人しい高校生でした。ですが、学校に行くのは苦痛だったのです。それも耐えようとすれば耐えれない苦痛ではありません。その苦痛を両親に訴えた事もありませんでした。心の奥がだんだん石のように固まったり反対にひび割れたりを繰り返すようなそんな長い長い周期の痛みです。「何故こんなに馬鹿馬鹿しい 階級ごっこに付き合わなければいけないのか。」「僕はこんなもんじゃない。こんなもんじゃないのに。」呟くたびに苛立ち、逃げ場のない状況を疎ましく思いました。何度も何度も、教室で気に入らない奴を怒鳴りつける妄想をしていましたし、机を投げ学校を飛び出す妄想もしました。でも、それを実行する日はついに来ませんでした。そんな蛮勇も、愚かな程の素直さも僕は持ち合わせていませんでした。一度は僕なりに変わろうとクラスに積極的に関わろうとした時期もありましたが。結果は惨敗です。カースト上位の奴に自分のおススメの曲を集めたCDとかなんか無理矢理貸したりして意味不明なズレに絡み方していました。そう簡単には上手くはいかないものです。カーストの恐ろしい所は一度定まると登るのがとても困難な事です。だから同じように行き場の無い連中と傷を舐め合ったり届かない罵倒文句を心の中で叫べども気は晴れず。何かを変える事など出来かった僕は結局「身の丈を知る」というまるで異物を飲み込むような行為をしました。残ったものは目の前にあるつまらない狭い世界と心臓に穴が開いたような喪失感でした。得たものは制限された平和と他人の尺度です。ですが、2年生の終わりの冬、相変わらず自己防衛の薄ら笑いを浮かべ続ける僕の元に転機が訪れました。なんと隣のクラスで人望の厚いKが話しかけてきたのです。フツメン以下のちょっと浮いてる陰キャラポジションを欲しいままにする僕なんかにカースト上位の奴が話しかけて来たという事で何か裏があると思い最初は警戒しました。まあ、実際裏があったのですが僕にとってそれは好都合の条件だったのです。「おくり野、お前は絵がめちゃくちゃ上手いよな。 実は俺、漫画家になるのが夢なんだ。 もし良かったら教えてくれないか?」恥ずかしそうに夢を吐露するKに僕は思い切って交換条件を出しました。渡りに船、というか藁にも縋る思い、というかとにかく必死で頼みました。Kは一瞬食らったような顔をしましたがすぐにニヤリと笑い承諾しました。それから僕はKに絵を教える傍らKから「処世術」を習いました。彼の父親は元々転勤族で彼も幼少のころから転校を重ねて来ただけあって非常に実践的で裏打ちのされた物でした。彼にしか出来ないような芸当も中にはありましたがその大半は整理されていて僕にも真似できる物でした。実践して見て初めて気が付いたのはとりあえず自分がとてもダサいという事言動は自覚してはいたけれど思考までダサいとは思っていなかったので相当にショックでした。しかし、ダサさに気付くというのは自分の客観視が進んでいるという事でもありました。程なくして僕は下位から中位にカーストを上げました。確かKと話して1か月後くらいでした。それまでは蔑ろにされていた僕の存在はようやく認知され、初めて何人か連れ立ってカラオケに行ったのもその頃でした。今まで下層で一緒に居た連中に「立派なキョロ充になったな」と嫌味を言われましたが彼らとも関係は絶ちませんでした。僕の目的はあくまでカーストから自由になりたいということだったので切り捨てる意味は全くありませんでした。2か月後、立場はさらに安定し上位層に取り入る事も可能な立ち位置になりました。ですが興味は無かったので中下位の人達と楽しく戯れるだけでした。その事からも僕は、上に登るだけではない特異なキャラとして独自のポジションを掴み始めます。このポジションが非常に美味しかった…。誰にどう話しかけても臆さなくて済むまさに理想の生活です。他の人達がお互い細心の注意を払ってコミュニケーションをとる中、僕は一人だけ自由でした。スクールカーストは一度登ってしまえば楽で登ったまま「例外キャラ」としてポジションを確立すればもっと楽でした。そして3年生に上がるとクラスは別れ今までのポジションをまた作る事が出来ましたが新学期にはもっと簡単にポジションを確立する事が可能でした。それは短期的に人間関係を上手く作り上げて来たKの方法が一番効果的に発揮されるタイミングだったからです。おかげで新学期が始まり一カ月で数か月程前からは考えられない事に好き放題やっていました。例外的なキャラ付のおかげで僕はカーストの影響を無視しても何の違和感も持たれなくなっていたのです。休み時間には上位グループの机でバンドの話で盛り上がり昼休みにはKには感謝してもしきれません。今思えばフットワークが軽く誰にでも喋りかけていたのは、このカーストに囚われないポジションを持っていたからなのかな、と感じます。現在、僕は地元を離れ、美大を卒業し本当にやりたい事であった「絵」と憧れだった「バーテンダー」という仕事を両立させています。相変わらずの性根は暗いですが、その時培ったスキルで困る事はありません。過去のように軽んじられ無視される事も無く、本当の友と言える人達に一目置かれる存在として、毎日を心の底から楽しみながら自由に生きています。展示会のオープニングパーティーではただ座っているだけでもアーティスト仲間達が自然と僕を囲みます。油絵からイラスト、映画論、果ては恋愛話などが飛び交いいつも夜更けまで賑やかです。本当の個性を持った仲間は話していて刺激的です。そしてバーカウンターの立てばいろいろな職業の馴染みのお客さんと話が弾みます。その中には昔は天敵だった剃り込み黒金ジャージのイケイケお兄さんや攻撃力の高そうな爪をした金髪ギャルも含みます。(もちろん、普通の勤め人や真面目な学生の方が多いですが)「大人になるという事=現実を受け入れ自分を殺す」ではありません。僕もそういった意味での大人では無いです。要するに自分を殺さなくたって生き残れるって事です。僕が思う大人は、「現実を受け入れた上でそれに従うか別の道を選び実現していく」そんな力を持った人たちです。それに教室という世界はとても狭い。コミュニケーションの裏に潜む力の流れを知り教室の中の不文律を利用すれば逆転する事は十分に可能です。また、渦中を脱し安全を確保する事だって可能です。大丈夫。生き残れます、必ず。方法さえ知っていれば。僕は生き残りました。自由を手にしました。次は君の番です。
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