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はじめまして、エステティシャン美知です。エステティシャンの仕事に就き、フェイシャルの奥深さを学んでからその中でもリフトアップ小顔に私自身のケアも含めて自分なりのこだわりを持ちながら、フェイシャルエステや、ブライダルエステを提供しています。また、日々の素肌ケアの大切さからスキンケア化粧品を厳選した後、小売店契約を締結し、その販売をしたり、日々のセルフスキンケアの方法をお伝えする講師をさせてもらっています。その中で、私自身の考える美の在り方について毎日の生活の中で気づけたことの整理や確認作業、また、備忘録のために、このブログで不定期で綴っています。年齢にふさわしくない、身の丈に合わない若々しさやコンプレックスを隠す。そのような在り方を私は、美の正しい形とは思っていません。私は、エステティシャンとしてお客様に、肌のコンディションを整え、滞ったリンパや血流を促進させ、顔や肩の凝りをトリートメントを提供し、エステテクニックの理論に基づいたスキンケアや美容機器、エステティシャンの手技で美容のケアを担当していますがエステティシャンの仕事は、ここまでしか出来ないと思っています。鏡が顔を映すように顔は心を映している。心は、それぞれの内にある目に見えない形のない部分。実はそここそが、隠せない形として、それぞれのお顔として造られていて、より美しく、をもっともっと求めるあまり、形を変えたり、着飾ったりしても、表面的ではどうにも出せない「雰囲気」や「華」や「オーラ」であり、お金をどれだけ積まれてもエステティシャンが手助けできないそれぞれ自分自身の領域だと思っています。これは、どうやっても数値化できない、心が素直に反応してしまうゆるぎない内側から放っている美しさです。その美しさそのものが、美の在り方だと考えています。同じ女性なのに、同じ年齢なのに、輝き放つ人と、輝きを失っている人。周りにそんな方はいないでしょうか。20代より30代、30代より40代、40代より50代、50代より60代、60代より70代・・・その部分は、年齢を重ねるほど顕著に現れていきます。じゃあ、何の違いがそうさせているのか?まさに、私自身も毎日の生活の中で、向き合っている、問いかけているところですが「隠す美」をよしとするか、「認める美」をよしとするか、シンプルに、この考えの違いが表に現れているんだと、これまで担当させてもらったお仕事から教えられました。行き過ぎたメイク、行き過ぎた美容整形、分相応でない装い、気遣いのないファッション、こうした行き過ぎた繕いそのものが、まさに自分以上に見せようとしている自信のなさ、「隠す美」を表現しています。毎日毎日、その考えが生き方を築き、溶けないような頑固な心のひねくれを作り、ある日、顔を歪ませ、自分の顔にシワを深く刻み、濃いシミを皮膚を牛耳させ、手の施しようがないほどまで、進行していきます。切っても、焼いても、何をしても止まりません。何をしても、自分自身が自分に満足できなくなってしまうのです。ひたすら隠そう、と歪んだ美の在り方になってしまうのです。やがて、華やかさを失い、暗い雰囲気や、オーラ―となって、自分を包みこみます。昔、あんなにきれいな人だったのに、と。「認める美」は、いいところも、悪いところも、あって当然。出ているところも、出ていないところも、あって当然。そういった表面的なことではなく、自分に何が正しいのか、正しくないのか、何が足りないのか、何が足り過ぎているのか、どこが弱いのを見ようとする心や、人生を自分で見出し、経験し、築き、歩み、目の前にあることを丁寧に、地道にこなしているから正々堂々を映り、その等身大の生き方そのものが清い姿となり、ぱっと見た華やかな雰囲気を放ち、数値化できない美しいオーラを持っているのではないでしょうか。年相応のシワや毛髪、素肌の老化があるものの汚れてしまっているようなシミがないご年配の女性とお話する機会があったのですが本当に不思議なもので、その方から、言葉も、雰囲気も、とても温かく柔らかいもので相手を威圧する、相手に不快感を与えるような雰囲気は1ミリも感じません。本当に、美しい女性だなあと、接しているだけで幸せになります。逆に、目がつりあがってしまっていたり、隠せない濃いシミがあったり、メイクやファッションも含め、相手を威圧する、不快感を与えるような雰囲気を持つ女性はよく耳を澄ましてみると、私が、私が・・・と我さき語でネガティブな言動ばかり、そんな女性もみかけます。何を美しい、とするかもちろん人それぞれなので、わざわざ私が声を大にするほどのことはありませんがただ、日々の生活の中の積み重ねの中で明らかにその’美’は磨かれるものであって、そこに、お金があるだとか、裕福な生活があるからだとか、物理的な関係は一切ありません。すべては、自分自身の考えから成り、その人の生き方そのものがお顔に表れているのであって、雰囲気、オーラ―を自らの選択、自らの考えの元、表現しているだけのことです。では、どんな考えを持てばいいの?抽象的になっているかもしれませんがここが、私自身も毎日の生活の中で、学びそこが、先に申し上げた’美の在り方’であり、お仕事の根幹になっています。素肌のセルフケア、心のセルフケア、これは誰しも行っていることで、その日々の積み重ねが、その人の美を表現しているという自覚を持つことは、とても大切なのかと思っています。そんなセルフケアの大切さに重きを置き、見ようとしていない、まだ見えていない、まだ気づけていない、誰にでも当たり前に目の前にある生活の中のヒントに気づき、それを美として活かせるように私自身の考えの整理や、確認、備忘録としてこのブログを綴っています。年相応の美しさへ歳を重ねるごとに磨かれる本物の’美しさ’へ向けて。七転び八起き、の日々ではありますが、2004年10月から独立して、おかげさまで14年以上が経ちました。「真の美」とは。エステティシャンとしてようやくゼロ地点に立てたような気がしています。美知
テーマ: ■ サロンの日常や催し&美容情報
テーマ: ■オーナーno日常 美&遊&食&禅
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