ドクターペンギン

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超高齢社会日本の医療と総合医

 私が福井県の小さな町の診療所で働いてきた頃、患者さんは60歳代から70歳代の方々が中心でした。それまで救急医療を中心に勉強してきていたので、診療所での経験は学ぶことがたくさんありました。その一つをご紹介したいと思います。
 人はいずれ亡くなります。これはどんなに医学が発展しても変えることができない普遍のものです。これまで救急医として、医師として死というものを真近で見てきましたが、老いて死ぬという事に関しては、自分のものとして考えられないというのが正直な感想でした。しかしながら何百人という患者さんを診ていると、まるで自分もその年代になったかのような錯覚を覚え、自分の事のように考える機会を与えてくれました。
 患者さんは私に語りかけてくれます。『先生、私はいつ死んでもいいんじゃ。早く迎えにきてほしいんじゃ。』驚くことに、多くの患者さんが明るく同じようなことをおっしゃられますが、その方々は特に重い病気を持っている訳ではなく、元気なのです。そして死というものを怖がっている様子はありません。何か『生』というものを味わい尽くしたかのようでもあります。
 そこから私は、その年代に達するまでが、その境地に辿りつくまでが、医療という積極的な介入が必要な時期なのではないかと気づかせてもらいました。勿論、すべての患者さんに当てはまることではありませんが、私が患者さんを診察する際に着目する点の一つがこのような事です。
 その境地に辿りついた人達に必要なものは、かならずも検査や治療といった医療ではなく、つまり従来私達が当然と考えていた『長生きすること』ではないのです。家族や友人であったり、最後を看取ってくれる信頼できる先生の存在であったりします。
 このことは死というものに対してどう向き合うか、超高齢社会を迎えた日本において大事な考え方になってくるのではないかと考えています。これまで日本の医療は多くの専門医を作ることに成功しましたが、総合的に診ることのできる医師、地域にでて患者のニーズに応えることのできる医師はとても少ないのが現状でした。数ある病気の中から本当にその人に必要な医療が何であるのかを判断できる医師であり、例え治療の枠組みから外れたとしても最後まで見守ることのできる医師が今後の日本では必要になってくると思っています(2011年4月)。


「卒後10年目総合内科医の診断術」中外医学社
「卒後15年目総合内科医の診断術」中外医学社

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