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初めまして。少し長いけど、私の話をいたしますね。【言いたいことをはっきりと口に出して言う事の出来ない子供でした】私は言いたいことをはっきりと口に出して言う事の出来ない子供でした。祖父母、叔母、職人さんも同居している家で、いつも親族が集い大人数に囲まれた生活。従兄弟たちが優先されるので、子供ながらに我慢していたのでしょう物心つくころは、自分の欲しいものやして欲しいことを口に出せなくなっていました。近所の寄合も多くうちで開かれていました。夕食も誰かしら家族ではない他人が一緒に食卓を囲んでいました。自ずと母を手伝う気の利いた子。世に言う「長女の性格」にまるはまりな子供となります。争う事が嫌いで、小学校の運動会では他の人を先に行かせて後からニコニコとゴールする写真が残っています。小学1年生くらいの頃、大好きなおじちゃんにレストラン(そのころ外食は特別なことでした(笑))に連れていってもらって 「なんでも好きなもの頼んでいいよ!」って言われて 「え?好きなもの?」と固まってしまい何も言えなくてどうしようもなくて 困って困ってしまいには、泣き出して 私以上に困ったおじちゃんと二人で、とぼとぼ・・・何も食べずに・・・ 帰った。( T_T)/~~~ という出来事が象徴しているような思ったことが言えない子供だったのです【静かに本を読んでるのが好きなおとなしい生徒でした】運動音痴なので体育系の部活はせず中学、高校と図書館が好きで図書委員をしていました。本に囲まれて暮らすのが好きで、ぼんやりと司書になりたいなぁと思っていました。物を擬人化して物語をつくるのが好きでした。【人生最初の挫折】小・中・高校と自宅の近くにある学校へ通いのんびり平和に過ごし大学受験で初めての挫折を味わいます。大学は諦めて、看護学校へ進学。総合病院に勤め始めました。【看護師体質が我慢をしいる】ひとの思いを察知する気の利いたいい子ちゃんだったので看護師としての適性があったのか、患者さんに尽くしていきます。自分は熱があっても、仕事は休まずに患者さんを看護しているのです(苦笑)自分の事はおいて人のことを優先させる、看護師体質がしみ込んでしまいました。月に10回近い夜勤が入ると、休みの日は自分の身体の疲労回復に費やしてしまい何の為に働いているのかわからなくなってきます。ひとの健康を願いながら、自分は疲れ果てていく日々。産婦人科、外科そして内科、皮膚科や耳鼻科の外来などを経験するうちに何度か「燃え尽き症候群」になりました。徐々に西洋医学に対して、矛盾や疑問そして限界を感じるようになってきます。看護をしたいのに患者さんとゆっくり話すこともなく医師の指示のもと処置に追われる日々の中、病気になってしまった患者さんを看て、プライマリケアの大事さも感じます【大好きになった海とダイビング】その頃友達に誘われてダイビングを始めました。高校時代は、授業で泳げずに12月雪の降る日震えながら補講を受けていた私補講を一緒に受けた友人からは、信じられない?!叔母からは、けんけんぱっも出来なかったのに!と驚かれました。私はとにかく運動音痴で、しかも泳げません。息も出来ない海の中なんて、とんでもない!でもその不安や恐怖心を克服した海の中は、素晴らしい別世界でした!浮遊感、俯瞰できる景色。かわいい色とりどりの魚や不思議な生物。仲間とのアフターダイブの楽しさに病み付きになりました海に入ると仕事でのストレスを一切忘れることが出来ました。ちょっとした不安や恐怖心を克服する小さなチャレンジを繰り返し小技が使えるようになると楽しくて夢中になりました。私自身が成長して変化していくように感じました。【無医村・離島での生活は楽しくもあり・・・大変だった】ダイビングで訪れたトカラ列島は最高の海でした。(トカラ列島は、鹿児島県の南にあり、 屋久島と奄美大島の間の諸島です。)こんな海のそばで生活できたらなぁ、と考えていたらその島で看護師募集の話があり、地域医療としての看護をしてみたいと病棟勤務を辞め鹿児島へ渡りました。(この海で想いぞんぶん潜れるぞ~という下心あり)実際に赴任すると話は違い(まま、よくあること)聞いていた島とは違い、トカラの中でも一番南にある鹿児島から距離366kmの「宝島」へ赴任となりました。無医村、離島、医師の診療は月に1度たった一人で診療所勤務です。診療所の衛生管理、薬の管理、器具の消毒医療事務の点数計算、などなど診療以外にもやらなければなりません。その当時は、定期船に夜の20時過ぎに乗り込み、宝島に着くのは翌日のお昼頃。便も週2回あるかないか、時化ると欠航、一か月交通がないことも。島には、コンビニはもちろんスーパーもありません。朝と夕方に1時間ほど開く「コミセン」(コミュニティセンターの略)があります。とにかく何にも無くて、あるのは豊かな自然でした。診療所の仕事がおおよそ出来るようになると島のゆ~っくりとした時間の流れの中島の老人たちの話に耳を傾ける日々は、穏やかに過ぎますしかし、一旦、事が起こると一人で何もかもやらなくてはなりません。骨折や磯でおったぐちゃぐちゃな外傷診療所に入院施設は無いけれど一晩中つきっきり(自分は食事も作れないので飲まず食わず)だったり手の指を切断した患者さんの処置をして救急ヘリ搬送、同乗したことも。小児科の先生がボランティアで定期的に巡回診療に来られていました。母親と子供の関係、アレルギーの考え方など多く学び、考えさせられました。その先生は「海の診療所」としてトカラ列島「山の診療所」としてネパールの子どもたちを診療されていて島を離れたのちにネパールの医療ボランティアに参加する機会をくださいました。人間だけでなく牛さんや猫ちゃんに点滴したり怪我している青サギを持ち込まれたり色々な経験が出来ました。島独特の人間関係が難しかったり、信頼関係を築くのに苦労もありました。何より、24時間365日【看護婦さん】でいることに疲れてきます。名前を呼ばれることは殆どなく、「看護婦さん」と呼ばれます。休みの日は、思いっきりダイビング!という現実は訪れず・・・(タイミングが合ったら島のダイビングショップに来るお客さんと一緒に潜りました)島陰の港で犬とたわむれながら、海で泳ぎ読書をして、うつらうつらまどろむ・・・なんて、甘くはなく休みに限って、というか休みや就業時間関係なく「看護婦さん」の仕事がやってくるのです。帰省するための休暇も研修のための鹿児島出張も「いつ帰ってくるの?」「また、島におらんの?」島民のためにと頑張りいつしか、休みを取ることに罪悪感さえ覚えてきます。限界を感じてきた頃、後任の看護師がみつかったこともあり島を離れることを決めました。島での人間関係は独特で、医療従事者としての守秘義務もあり医療の機会は公正になくてはならないので私を目の敵のように接する人たちへも医療従事者として接しました。精神的に鍛えられました人から何と言われようとどう見られようと私は私。自分を本当に最後まで信じてあげられるのは自分だけだと思い自分が決めたこと言動に自分で責任をとるという覚悟が備わりました。【アロマテラピーとの出会いは】島外から人がやってくると、気分が変化します。ある日一艘のヨットが港に入ってきました。ニュージーランドからやってきて、日本をヨットで周遊している夫婦です。診療所で処置をしたお礼にとヨットにお呼ばれしました。その時、(英語は片言でなんとか意思疎通できました)「臭いがこもるのよね~ごめんなさいね~」(たぶん)とソファなどに何かを振りかけると途端にさわやかな香りがしました「WHAT?」「これは、アロマよ。ニュージーランドでは良く使うの」(たぶん)アロマと初めての出会いは、ニュージーランドから来たヨットです。いい香り♪おしゃれ~♪が第一印象でした。その後、生協でお買い物をしているとチラシにアロマ(精油)がのってきました。これは、いつぞやのいい香りのものではないか、とさっそく購入。説明書に書いてあるように自分や近い人に使い始めたのです・オレンジ・ラベンダー・ペパーミント元気に明るい気分になりたい時 オレンジ眠れない時 ラベンダー船酔いの時(定期船には12時間乗る) ペパーミント医師ではない看護師は、お薬を処方することも注射をうつことも出来ません。「いい香り」をかぐだけでもいいね~、なんて言いながらアロマをつかってみると驚くほどに効果がありました。「アロマってすごい!」と実感しました。【ボディケアをしてお役にたちたい】4年近くいた宝島を離れ、地元天草に戻り(ここも島ですが(笑))看護師として働くのではなく、人の健康に役立つ事をしたいとボディケア(リフレクソロジーやアロマトリートメントなど)の資格をとります。看護の「看」という字は、手と目から出来ています。 医療現場から離れてもこれなら私でもお役にたてると思いました。リフレクソロジー・アロマトリートメントで自宅開業しますが宣伝広告や集客などは一切わからず、「身体がやすらげばこころもやわらぐ気持ちの良いケア」を提供するため日々努力はしていました。が、それで生活は出来ません。結局他の仕事、お勤めに出ることにし、週末セラピスト活動をしようとします。仕事で稼いだお金と休みは、アロマセラピストのための勉強につぎ込みました。トリートメントの学校は、精油は自分でより学びを深めてくださいというスタンスだったので、独学でAFAJのアロマアドバイザーを取りましたそして、アロマの原料であるハーブの学校へ通いました。そのハーブの先生から、トリートメントでクライアントさんに最適な精油選びが出来るようになる、と誘われ、NARDアロマテラピーを学び始めますそのうちお給料をいただいている会社を優先するようになりセラピスト活動はほぼ出来なくなりますが会社の仕事も面白く、会社へ尽くすようになります。長期の出張も多く、プライベートの予定もたてられない日々にふと「私このままだとやりたい事やらずに終わってしまう」「やっぱりアロマやハーブの仕事がしたい!」と50歳を前にして仕事を辞め、NARDのインストラクターになりアロマの素晴らしさをもっと知って欲しい。日常にもっと使って欲しいと小さな小さなカフェとサロン、アロマ教室を開きました。【セラピストのおちいる罠にまんまとひっかかる】新しいことを始めるのは楽しく、ワクワクとお一人様ビジネスを始めました。365日24時間、仕事のことばかり考えて過ごします。そのうち「私にもっと技術があれば、お客様が来るのかも」「もっと、オプションメニューがあれば喜ばれるかも」もともと好奇心も強く、色々学びたいと思っていたのでセラピー系の資格を取りつづけます。「今の私より、もっといい私になりたい」「何かしら、変わりたい」加えて心理学、カウンセリングなどの勉強をし自己啓発系、ビジネス系の本も多く読み売上UP、経営などの勉強もしますそう、 セラピストのおちいる罠にまんまとひっかかるのです。加えて、好きなアロマを教えているにもかかわらず別の事で経済的に豊かになろうとあがきます。離島での生活で、自分で決めて自分で行動する責任をとる覚悟の出来ていた私でしたが、いつの間にかもやもや・・・「自分は何をしたいのだろう? 何をしていいかわからない」という思考停止状態になっていました。【アロマヒーリングとの再会が本当の出会い】2011年に起こった震災後の次の1歩へ進むためのこころのケアが大切だった福島で始まった脳科学的栄養学や意識学からの心を癒すアロマの使い方アロマを脳の栄養として取り入れるという方法アロマヒーリングを知り、資格をとりました。さっそくセラピーをして、クライアントさんにも変化が起きたりはしていましたが私の理解度は浅いものでした。夢を叶えるアロ魔術アロマヒーリング®にバージョンアップした頃に協会理事のHIROKO先生にお声掛けいただき福島のトレーニングに参加することになり創始者の菊地スミエ先生とも直接お会いしてそれが本当のアロマヒーリングとの本当の出会いとなりました。「こんなにすごいメソッドだったの!!!」「私の探求してきたものが全部入っていてしかも、それを大好きなアロマで出来るなんて!!!」トレーニングで初めてご一緒した仲間は「一緒にがんばって、一緒にいて気持ちが楽」で徹夜で自分に出来ることをやりきって一晩に色んなドラマがあって夢中になったその結果「金バッチまでいただいちゃって」「感激!最高!」このトレーニングがきっかけで私、夢を叶えるアロ魔術アロマヒーリング®やっていこう♪やりた~い♪になりました。トレーニングに誘ってくださったHIROKO先生には感謝しかありません。【夢を叶えるアロ魔術アロマヒーリング®で私がかわった】アロマヒーリングでは、「ふぅって楽になるセラピスト的な生き方」をとても大切にします。プライベートの充実がとても大事なのです。「プライベートの充実ってなに?」最初さっぱりわかりません・・・とほほ・・・自己セラピーはもちろんですが定期的なセラピーを受けることから始めました。セラピストにはセラピストが本当に必要なのです。だんだんとこころのゴミを捨てることができだんだんと本当の自分のこころを取り戻すことができましたするとお休みをちゃんと取ることが出来るようになりました。365日24時間仕事のことを考えて休みもあってないように何か仕事をしているお客様から予約が入ると、定休日もお店をあける。「アロマが好きで、好きな仕事をしているのだから 平気~♪好きだから大丈夫~♪」なんて言っていた、私でしたが「あ~、その日は定休日なんです」とお客様にお断りを入れることが出来るようになりました。実はそれでお客様が困ることも怒ることも離れることもなく「では、別の日におねがいします」と気安く応えられたりするのでした。「あ、私休んでいいんだ」自分をゆるすことが出来た瞬間です。離島の生活で365日24時間休みなしは嫌だと思っていたのに「お休みをちゃんと取る」こんな当たり前のことさえ出来なかった私でした。毎日アロマヒーリングすることで自分の時間を大事にする一歩を踏み出すことが出来たのです。その後もドンドンと変化中です。【天草でセラピスト講座を開く】自分の変化を感じながら自分を整えながら夢を叶えるアロ魔術アロマヒーリング®を知ってもらいたいという想いはどんどん強くなっていきます。トレーニングから8か月後にHIROKO理事を天草に招いてのセラピスト講座開講を企画しました。集客を心配しながらも天草のパワースポットめぐりで見てほしい景色やマリンスポーツで天草の海を遊んでほしい海の幸、美味しいもの、などなど考えるだけでドキドキ・ワクワク・にやにやしていました。HIROKO理事含めアロ魔女3名が来てくださり諸々サポートして下さりお蔭さまで講座は満員御礼。素敵な花カフェさんで開くことが出来ました。オプションツアーも夕暮れの砂浜で潮騒をききながら寛子統括のセラピーを受けるという贅沢なものになりました。夢中になって遊び腹の底から大笑いして真剣に学び自分を大事にしながら相手の事をしっかりと想うめっちゃくちゃ、楽しくて愉快で、こころ許せて、充実した時間を過ごしアロ魔女仲間と出会うことが私にしあわせを運んでくれました。夢を叶えるアロ魔術アロマヒーリング®はとてもロジカルなメソッドです。充実したテキストやフォローのシステムがあり誰もがセラピストや講師として活躍できるものになっています。だけど、マニュアル的な対応ではなくどのアロ魔女さんたちも自分の価値を活かしてとてもオリジナリティあふれ魅力的です。私ももっと私らしく、「こんな風にこころの奥から笑って生きたい」「楽しいしあわせの連鎖をつくっていきたい」こころからそう思い、決めました。【大好きなアロマをもっと知って欲しい】私はアロマが大好きです。アロマを日常に使ってもらいたいと思っています。ちょっとした不調は、病気になる前に和らげることが出来ます。皮膚、消化器、筋肉、呼吸器、婦人科系など私自身恩恵を得ています。こころと身体はつながっていますアロマはこころと身体と魂までも整えることが出来るのです。アロマを習慣化してほしいとにかくかいでほしいすると、感情が解放されて自分が本当に愛おしくなります自分を大事にします自分が本当にやりたいことが見つかって1歩踏み出すことができ望みがどんどん叶えられていくのです。過ぎ去った過去のくやしさだとか悲しさを嘆くでなくまだこぬ未来の不安ばかり心配するでなく今、このいまいまが、しあわせになりますしあわせを感じてほしいのですだから、たくさんの人にアロマを夢を叶えるアロ魔術アロマヒーリング®を知って欲しいと思うのです。【私のいる天草が楽園になる】天草は、熊本県の南西に位置する島です。熊本から天草五橋を渡ったところが(上天草)でそこから40分程車で南へ走った所にサロンはあります。海に囲まれ、海の幸が美味しく野生のイルカにあえる自然豊かな島です崎津の天主堂が世界遺産になりましたサロンは、実際に客船として海を航海していた船が陸に設置されていてその2F部分をお借りしています。お船のまあるい船尾の部分がセラピールームです。気候のいい時は、お外でセラピーするのも大好きです。桜の下。潮騒をききながら・・・。夕陽の移ろいをながめながら・・・。天草の豊かな自然を楽しみながら日頃、押し込んでいた感情を開放して本来の魅力的な自分を見つけ出しましょうただ、ただ、のんびりゆっくりしていただいてもOKです今の自分を受け入れるのによりそい続けますなりたい自分になるのを応援します今いる所から一歩前へ。もし、こころが折れそうになったらエネルギーチャージしに安心するおうちみたいに楽園へもどっておいで笑顔でまってます。最後までお読みくださってありがとうございます。天草でまってますね^^
テーマ: 夢を叶えるアロ魔術アロマヒーリング®
テーマ: ハーブ
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