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2才半のとき、突然手足の痛みと高熱にみまわれ、以降6才9ヶ月まで入院生活が続きました。この時から24時間人工呼吸器装着、医療行為、全介助の生活となります。病名は「横断性脊椎炎」。首から下が一切動かせず、在位も取れません。感覚や体温調節機能もないため、自分では体調管理が難しいです。4年間入院していたため小学校の入学を1年遅らせる。1994年退院在宅となり翌年4月、東京都立村山養護学校の小学部に入学しました。在宅訪問学級で週3日午前中に自宅で授業を受けました。小学部5年の頃から体調が少し落ち着いてきたため、6年の進級時に保護者絶対待機を条件に通学部へ変更しました。毎日通えるようになると、自由に動きたいという気持ちが強くなり、中学部2年頃から在位をしっかり固定しアゴで操作する電動車椅子に乗れるようになりました。高等部では卒業後の進路を考えるようになり、絵を描くことが大好きだったので、専門的に美術を勉強したいと思い2年の3月に大学受験を決めました。大学受験は普通に大変なことですが、私は障害の度合いを伝えることからのため受験の問い合わせや見学の時点で、前例がないことを理由に断られ続けました。そんな中、幾度か協議を開いてくださった学校が数校ありました。その一つに4年制大学で毎日通学が出来、自分の興味や可能性を探究出来そうな授業内容である東京純心女子大学を一般受験し、入学しました。大学ではヘルパーを利用しながら授業を受け、医療的ケアを行ってくれる介助者の場合は親の付き添いがなく、市の福祉タクシーを使い通学していました。油彩を専攻し、口に筆をくわえ色も全て自分で混ぜ油絵を描いていました。2011年、3月卒業。(学長賞受賞)その後、同大学の研究生に進学。2012年、3月研究生卒業2012年4月、港区にある子育て施設にて週2日火曜、木曜ボランティアとして4時間の勤務が決定。電車で通勤しています純心の卒業生で年に一度制作展を行っている『イマキュレートハート』所属2019年6月、みなと子育て応援プラザpokkeにて非常勤になる☆画歴☆2009、4月『造形美術展』2009、5月『ハチスタ2009』2009、6月『自己表現展』2009、9月『アジアパラアート2009』(油彩「あじさい」入賞)2009、10月『純心アートフェスティバル』(油彩≪あじさい≫≪りんごとレモン≫大学賞受賞)2010、12月『第17回癒しとしての自己表現展』2011、7月「Pokkeにて個展」2011、「渋谷バリカフェモンキーフオレストにて個展」☆自己紹介重度の障害ですが、大学卒業して港区にある子育て応援プラザPokkeでボランティアとして働いていました。なぜボランティアかというと、仕事となってしまうとヘルパーさんがついていけないという決まりがあり、ずっとボランティアとして働いていました。しかし、ヘルパーさんの時間の制限が厳しくなってきておりなかなか人がいなく悩んでいました。そんな時、ワーカーズコープでの活動が増え、みなと子育て応援プラザpokkeでの活動をきっかけに非常勤として働かせていただいてます。非常勤になるということはヘルパーさんがついていけないので、母と通っています。願望☆障害があってもわりと普通に生活ができるということや、社会に出たり遊んだりしているというのを知ってもらいたく発信していこうと思います。好き☆KinKi Kids浜崎あゆみAAA映画音楽聴くその他 趣味多数
テーマ: ブログ
20代
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