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15才で生き別れた父親逝去の一報が、八王子裁判所から届いたのがきっかけ当時、葬儀屋は胡散臭いと忌み嫌っていた。だから葬儀屋には成りたくなかったのが『葬儀支援』の道を切り拓くことに繋がったと思う。皆さんが言うような良い人だから始めた訳ではなく、僕の意思など無視した強い流れに乗せられ、気付いたら始まってたのが本当のところです。今でも葬儀屋が好きな訳では無い、ただ人の役に立てる支援の道は天職だと感じる――、多分葬儀支援でなくても支援の道なら同じだろう。それが儲けより、素人の家族目線最優先の支援事業となっているゆえんだと思う。初めに感じたのは、誰でも必ず死ぬのに「いくらあれば死ねますか?」この馬鹿らしほど、あり得ない心配をしながら生きる世の中は間違いと思った。日本人の多くは無信仰に近い、なのに死んだ時だけ宗教なのか? いまだに理解できない。それをそのまま支援事業という形にしてきました。すると同じような感覚の人が予想以上に多く、自分や家族の死後費用に不安を持ちながら暮らしている人、死後費用に困ってる人にとって、あんしんサポートの存在が、朗報になってくれているのがなによりです。その後、新聞各社、更にNHKで8分以上の全国放送もしてくれました。葬儀業界では異端児で国内無二の考え方、理念、信条は次の通りです。「日本に住む誰もが死後費用の心配をせずに生きられる世の中にしたい」「葬式以上に、残る家族の生活は大事、絶対に無理をしてはいけません」こうして商売っ気無く始まったせいか、お客様と思った事もなく、嫌な人なら入会さえ受けない。菩提寺の葬式も受けない。これが葬儀屋なら有り得ない事です。但し対象家族の中には、天の助けと思う人もいるようです。自分の中では、正月も無く365日24時間、13年間無休にも関わらず、辛い日はあっても、嫌になった事もなく、遣り甲斐だけでなく、生き甲斐にさえなっているのですから、今までの姿勢を変えるつもりはありません。
テーマ: New diary
テーマ: 葬儀実践日誌
アラカン
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