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「この家族の誰かが殺されて、この地獄は終わる。」いつもそう思って育ちました。勉強もある程度できて進学校へ進みピアノも3才から中学までコンクールに出る習い事はほかにも剣道、習字、そろばん、絵画。弟妹たちと私の4人きょうだい。周囲から見れば幸せそうな旧家。でも実際は4才ごろから高校卒業まで、常に命の危機を感じて家族の悲しみをどうにもできない悔しさを抱えて育ちました。母を、家族を助けたいと毎日仏壇に向かい一人お経を唱える4才。そのころの気持ちは今でも私の原動力です。私は両親にはもちろん、弟妹、親戚、近所の方々、お世話になった方々すべての人にとても感謝しています。誰がどう悪かったからとは思ってもいないしとても言いたくありません。こういった経緯もできればさらしていたくない。でも事実、弟が病気で、暴れる家でした。それとは関係なく、頻繁にある夫婦喧嘩も殴り合いで階下の大人へ助けを求めによく行きました。両親は経済的なことや子どものことで悩み続けました。母は義理両親、義理祖父母、たくさんの親戚との人間関係や経済格差や法事などのやりくりと経済的に苦しい中次々とできる子どもに悩み苦しみました。弟の病気はきっと父には耐えがたく俺の遺伝子は優秀なはずだと誰にも相談せず20年、言い張り続けました。私は恐怖と悲しみと苦しみの中で様々な経験をしました。彼らが悪いと思っていません。そういう時代の中で、必死に生きた人たちでした。私は、高校を卒業してからというものリサーチを続けて同じ世代に同じように育って苦しんだ人々が同じように育児に悩む姿を見すぎました。どうしてそうなったかわからず、どうしていいかわからず悩む姿を見てなにも言えない、できない自分に腹がたちました。そんなみんなに共感ができる。その人にどんなつらい現実が起こっているかがよくわかる。本人が情報の整理ができていないことが多く原因を知ることで心が解放されることもある。私は人に合わせた解決の方法や経緯を共有することができる。MIHOさんと話をして生きることが楽になりました。子育てがぐっと楽になりました。ここまで自分のことを理解してもらったことはないです。なんでわかるんですか。始めましてのママと会話をするとそう言われることが続く。でも私は、なにものでもない。医者でも公認心理士でも霊能力者でもなくその人たちのなにかの先輩と名乗るのはおこがましい。だから言えない、言う勇気がもてない。そんな自分に腹が立ちました。ある時期から、自分に腹を立てている場合じゃない、とカウンセラーを始めました。最初の1年で60人以上のママたちに寄り添い、数人は”うつ”も快方に向かいました。私がすることは寄り添ってお話を聴くことです。会話でその人の力で自然とよくなっていく。生きていることが育児が楽しくうれしくなっていく。ママと子どもたちが、様々にいい方向へ向かっていくことがうれしくて仕方ありません。だから私はカウンセラーと名乗っています。
テーマ: ブログ
子育て(ベビー)
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