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僕は本当にダメ人間でした。どうも、衣川です。現在22歳、ボカロが好きなオタクです。僕は18年間コミュ障でした。小学生の頃から、クラスメイトに「なんでしゃべらないの?」と馬鹿にされ、5年生の頃からイジメに遭いました。「きめぇ」「学校来んなよ」「なんで生きてんの」と毎日罵倒され、反論もできず、ずっと黙って耐えてきました。僕が話しかけると無視されます。「アイツ話しかけてきたんだけどww」と僕に聞こえるように陰口を言われます。話しかけたら気持ち悪がられる、ということが完全に脳に刻み込まれ、絶対に自分から話しかけなくなりました。学校で一言もしゃべらず、1日が終わることもありました。唯一の話し相手は、先生だけでした。授業中、先生が「はい、二人組み作って」と言うと、必ず余りました。「じゃあ、先生と組もうか」先生だけが、僕とペアを組んでくれました。体育のグループや、修学旅行の班決めでも、必ず余りました。「どこかのグループに入れてもらえ」それは死の宣告でした。「僕も入れて」この程度のことも言えない僕は、ただキョドりながらウロウロしていました。「キモwwww」「こっちくんなよ」そんな声が聞こえてきます。イジメは、中学校を卒業するまで続きました。もうこんな思いは二度としたくない。そう思った僕は、高校で変わることを決めました。高校生になった僕は、隣の席の中沢君に、勇気を持って話しかけました。中沢君は、普通に答えてくれました。無視せずに答えてくれたことが、本当に嬉しいことでした。その後も、中沢君とは時々話す仲になりました。しかし、僕は内気コミュ障を克服することはできませんでした。中沢君が、他の友達と話していると話しかけに行けませんでした。中沢君と話している時も他の友達が来ると、僕は余りモノになりました。僕は、中沢君のことを大切な友達だと思っていました。でも中沢君には、もっと大事な友達がたくさんいて、僕なんてそんなに大事な友達ではなかったんだと思います。2年生になって、クラスが変わると、二度と中沢君と話すことはなくなりました。わざわざ他のクラスまで行って話す仲でもなかったし、当然、放課後や休日に一緒に遊ぶほどの仲でもありませんでした。クラスが変わったのをキッカケに関係は完全に途切れ、卒業まで話すことはありませんでした。また僕は、ひとりになりました。「やっぱり僕はダメなんだ」「もう、ひとりでいいや。イジメもないし」僕はいつもひとりで机でボーっとしていました。休み時間、クラスメイトがくだらない話で盛り上がっています。グループになって話してるクラスメイト達のところに入っていく勇気もありません。みんなが、僕の好きなマンガや、お笑い番組の話題で盛り上がってると気になってチラチラ。でも会話に入ることはできない。誰も話しかけてきません。さびしい…。かといって、いざ話しかけられると「えっ…あっ…」と言葉が詰まって全然うまく話せない。そんな恥ずかしい光景を後で思い出して「あああああああ!!!」と頭をかきむしる。惨めで、何をやってもダメな自分が大嫌いで大嫌いで仕方ありませんでした。青春時代だというのに、彼女ができる気配は皆無。女子の友達もいないし、そもそも女子と話せない。男友達だっていない。バイトも受からない。面接でキョドって逃げたくなるばかり。面接官には「そんなんじゃ社会に出てやってけないよ」「今時中学生でも、もっとしっかりしてるよ」などと言われ、深く傷つきました。僕は社会のゴミなんだ…つらくて枕を濡らした日も多々あります。「働かないなら出て行け!」父親にも怒鳴られました。このままでは本当にヤバいと思っていました。僕は美術部で、美術の黒柳先生とよく話していました。美術部のメンバーとは話せないので、僕の話し相手はいつも黒柳先生でした。僕は黒柳先生に、「クラスの人と話すのが苦手」だということを話しました。そこで、アドバイスをいくつかもらいました。そして驚いたことに、実は、黒柳先生も、昔は話すのが苦手だったと言うのです。でも今は克服して、先生として生徒の前で教える仕事をしています。僕は、何度か黒柳先生のところへ相談に行きました。僕の気持ちを分かってくれたのは、黒柳先生だけでした。「会話は慣れ」だとか「とにかく話しかけろ」とか無茶なことは一切言いませんでした。僕は、会話で重要なテクニックをいくつか教えてもらいました。すると驚いたことに、クラスメイトに話しかけられた時に、ちゃんと答えられるようになっていきました。「僕は知らなかっただけなんだ」そう思った僕は、ネットも使ってコミュ障の改善方法についての情報を集めまくりました。そして、会話には『ある法則』があることが分かったのです。その法則にしたがって会話をすれば、「何を言えばいいか分からない」という状況は減っていきました。どのタイミングで、どういう人に、どんな話をすれば嫌われずに、「変な奴だ」とも思われずに話しかけられるのかも知り、話しかける恐怖が少しづつやわらいでいきました。大学に入学してからは、僕はその法則を使ってごく少数の人に話しかけ、そこから友達の輪を広げていくことができました。連絡事項といった事務的な用事だけでなく、くだらない話で笑い合えるようになりました。休み時間、僕のそばにはいつも友達がいるようになりました。昼食も友達と一緒。好きなゲームやマンガ、アニメを語り合ったり、休日も一緒に食事に行ったりカラオケや水族館にも行きました。友達の輪が広がると、女子の友達もできました。女子とも緊張せずに話せるようになり、ボケたりツッコんだりもできるようになりました。「一緒に写真撮ろ」そういって女子の方からやってくるのです。それは夢でも妄想でもなく、あきらかに現実なのです。もう、意味が分かりません。コミュ障を改善するだけでこんなに人生が楽しくなるのか…僕は今まで、とんでもない損をしてきたことに気付きました。何もなかった僕の人生に色鮮やかな思い出がたくさんできました。好きな人もできました。その子とは、いつも一緒に話していて親友のような関係でした。告白しようかと思っていた矢先、向こうから告白されました。もちろん即OK。生まれてはじめて、僕に彼女ができました。自分でも信じられないこれらのことは全て現実に起きたことです。コミュ障でも、友達に囲まれ、可愛い彼女を作ることができるのです。僕だからできたことではありません。あなたも、『会話の法則』を知っていればコミュ障を改善できるのです。知ってるか、知らないかだけなんです。あなたにもそれを知ってほしい。コミュ障で悩んでいる人に、もっと幸せな人生を送ってほしい。それは、僕がもともとコミュ障だったからです。コミュ障のつらさは、痛いほど分かります。だから、そんな生活を続けてほしくないんです。だから僕は、コミュ障を改善できた方法を全て公開することにしました。ぶっちゃけ、めんどくさいです。見ず知らずの人のために、こんなにたくさん文字を打つのはめんどくさいし、他の事に時間を使いたいです。それでも僕は、全てを公開することにしました。何故なら、この法則を使うことで、実際にコミュ障を改善できた人がいるからです。僕だけではありません。他にも克服した人はいます。僕の友達の小林君は、いつも猫背で自信なさげにうつむいているコミュ障のひとりでした。彼に、この会話の法則を教えてあげると、彼は少しづつ明るくなっていきました。コミュ障で、人に話しかけられなかった小林君が、なんと今では、好きな人に告白するほどにまでコミュ障を克服しました。僕がアドバイスをすると、「いつもありがとな」とお礼を言ってくれます。それが嬉しくて仕方ありませんでした。何の役にも立たないと思っていた僕でも、人の役に立てるんだなって思いました。だから僕は、もっと多くの人を救いたい。めんどくさくてもいい。「ありがとう」その言葉を聞くと本当に嬉しいんです。忘れられない、先生の言葉があります。「君が、苦手な会話を克服すれば、同じような悩みを持った人に希望を与えられる」今度は僕が先生になる番です。あなたがコミュ障を直す番です。コミュ障のつらさを知っているからこそ、あなたには克服してほしいんです。たくさんの友達に囲まれ、彼女が手を握ってくれる幸せを知ったからこそ、あなたにもそうなってほしいんです。今、変わるための一歩を踏み出してください。コミュ障改善講座
テーマ: ブログ
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