「豊かである自分達が失った大切なもの」 パドマ・サーラ

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受け取ってみないと「愛」が何なんなのかがわからない。


「愛」を受け取るということは勇気のいることだと思います。

受け取らないことで、傷つくこともないし、落胆することもない・・・

旅行で例えると、私はいつも目の前に差し出された「愛」を受け取るかどうかの選択を常に迫られました。

その「愛」はニセモノでワナかも知れないし、あとでお金をふっかれられたりして悲しい想いをするかもしれないし、

でも、受け取ってみないとその「愛」が何だったのかわからなかったと思います。

人に騙されたり、お金をとられたりしても、懲りることなくいつも目の前差し出された「愛」を受け取りながら、旅をしてきました。

そして、多くの「愛」に支えられ、助けられて旅を続けることができました。

そして、今いろんな人からいっぱいもらった「愛」が、私の中で1つの「大きな愛」になり、世界を平和にしたい!と願うようになったのです。

たくさんの人が、多くの愛を受け取り、そしてその愛が育まれ、大きく世界に循環していくことを願っています。

愛と感謝をこめて

三反田明子(さんたんだあきこ)





人が長年抱いている感情は、「憤り」「悲しみ」「後悔」そして「罪悪感」だとシータヒーリングのセッションを通じて感じています。

「後悔」と「罪悪感」は結びついています。

人が後悔と罪悪感を人生のあちこちで度々感じ、
そこに消耗するエネルギーはとても大きなものだと思います。

特に「罪悪感」はいくつもの人生を通してほとんどの人が持ち続けている感情です。

私の今回の人生での一番の後悔は子育てです。
そして息子に対する罪悪感もです。

できることならやり直したいと今までに何度も何度も繰り返し思いましたが、
それは過去を一からやり直すということではなく、
今からやり直せることなのだと気付きました。
そして、後悔することに費やすエネルギーをこれからの人生に向けて活かしていけるのだと気付きました。

私のもうひとつの大きな後悔と罪悪感。

それは、西アフリカの世界最貧国の1つと言われる
マリ共和国を旅行した時のことです。



ドゴン族の村々をトレッキングした時、
そのトレッキングの拠点となる村に到着するやいなや、
ケガをしたり病気を持っている村人がぞろぞろと私達の元に集まって来ました。

ある少年は、足に負ったちょっとしたケガが原因で、
脚全体がパンパンに腫れあがり感染症を起こしていました。
ぐったりと衰弱しており、
このままでは命を落としてしまうということが私にもはっきりとわかりました。

私は、自分が持っていた抗生剤の軟膏を塗り、
抗生剤の錠剤を飲むようにとその子の母親に手渡しました。

1週間経ってその村に戻って来た時、
その少年はすっかり元気になり動き回り、きらきら輝く笑顔を見せてくれました。

「自分が持っているこんな薬だけで、人の命が救えるんだ!」
とすごく驚き、うれしく思い、

また、同時に「日本ではこんなちょっとしたケガでは命を落とすなんてありえないのに・・・」と
アフリカの子ども達の置かれた厳しい現状を目の当たりにして悲しくなりました。

この時は、自分が持っている薬で人を救えるのだ!と心から感動し、
それをできたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。


ですが、マリでのもうひとつの体験。

バンジャガラという村で滞在していた時のことです。
宿泊していたホテルの職員のおじさんの片目が感染症にかかり白濁していて、
このままいけば失明するだろうと感じました。

私は、自分が持っていた抗生剤の目薬を、そのおじさんに毎日さしてあげました。
そしたら、数日間でそのおじさんの目がすっかりきれいになったのです!
すごくうれしかった。

おじさんの娘さんも同じ症状で苦しんでいるそうで
「その目薬をもらえないか。」と言われました。

その時まだアフリカに入ったばかりで慣れない過酷な環境に不安がいっぱいでした。
これから1年以上も旅をすること、
以前ネパールで目の感染症にかかり抗生剤の目薬でなんとか自分も救われた経験を考えると、
いくらおじさんに懇願されても私はその目薬をあげることができませんでした。

ですが、旅を終えて帰国した時、その目薬はその後一度も使うことなく私のバックパックに入ったままでした。
結局私は、その目薬を捨ててしまったのです。

「あの時、あの目薬を渡していれば、娘さんは失明しないで済んだのかも知れないのに・・・」
ととても後悔しました。
その後度々その事を思い出し、胸が痛みました。
そしてしまいには、「私が娘さんを失明させた」と思うようになりました。

このようにいくら後悔しても、罪悪感を持ち続けていても
今となってはどうすることもできません。

ですが、後悔と罪悪感を抱くことで、私は自分を慰め、自分は良い人であろうとしていたのです。

またある部分では、自分がこの辛い思いを抱いていることで、
この思いを忘れないことを原動力として、前進して行こうとしていたことろがあります。

でも、やはり後悔や罪悪感を持ち続けることはエネルギーの消耗で、
本当の意味で前進はできないのです。

その娘さんには、本当に申し訳ないことをしたと思いますが、
私がここに留まっていても、誰のためにもなりません。

シータヒーリングを通して、自分の行いから真摯に学び成長し、
それをこれからの人生で役立てていけば良いのだと思えるようになりました。

後悔をしたり罪悪感にさいなまれることで消耗するエネルギーをプラスの方向に転換し、アフリカやその他の途上国のためになることを何かしたい!そう思いました。

単に役に立つことといっても、海外青年協力隊員にもなれず、
医療や教育の分野にいるわけでもない。
自分がどう役に立てるのか・・・道筋が見えませんでした。

先日、友達にヒントをもらい思いついたのがフェアトレード!
これなら、自分がフェアトレードの商品を買えばすぐに貢献できるし、
自分がその商品を扱えばもっと貢献できる。

そして、いつかはNPOやNGOに参加して、現地で何かできるかも知れない。

今、そんな風に考えています

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