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映画「3丁目の夕日」の時代昭和30年代。淡路島にて生をうける。子供のころは体が弱く、おとなしく、どこにいるかわからないような子供でした。が、1年生にヘルニアの手術をしてからは、がぜん元気に!!いじめられてたのが一転男の子と遊びまわるおてんばになりました。子供のころ成りたかったのは「ルパン」って泥棒ですよね、その次「探偵」その次「小説家」その次「スッチ-」いまのCAです。一度たりとも「お嫁さん」といったことなかったです。中学から私立の「柳学園」進学部に進み、毎日7時間授業。夏休みⅠけ月、部活らしい部活なし、高校2年で3年までのを終わる、なんて学校に行ってました。そんな学校でしたからレベルが高く、ごく普通レベルの私でも現役で神戸大学に合格しました。大学入学後はアルバイトと遊びに明け暮れてました。親からの仕送りが少ないので、家庭教師のアルバイトの他に工場での包装作業とかスーパ-での実演販売など。今思えばもっと勉強しとけばよかったんですが。男子生徒からノ-ト借りるのは私くらいでしたね。教養時代(1-2年生)は第2外国語の中国語を落としそうになるし、学部に上がって卒論のテーマが見つからず、教授が英語の論文を訳すようにといわれ、なんとか卒業できました。20代のころは卒業できなかった夢を何度か見たものです。就職は何社か受けて合格しましたが、何人かが「ワールド」を受けて私だけ子会社へと言われショックを受けたこともありました。まあファッションセンスではなく性格を見抜かれたのかも?しれません。結局男子と同じ扱いということで大同生命に入社します。が経理課の仕事が合わなくて。数字を合わせる仕事なんですが。2年で辞めてしまします。その1年目に税理士試験の簿記論に合格できました。で我慢して勉強して税理士を目指すのかとするのが普通。仕事も楽だったのですから。が、キャリアウーマン(死語ですね今となっては)にあこがれていた私は商品部のバイヤ-になるんだと、今のイオン、ジャスコに入社します。ジャスコでは売り場から始まりますから、レジやら接客、書類の綴じ方から教えてもらいました。大同生命では電話も取ることなく、全然気が利かない私は成長もなかったようで、ここでのほうがいろんなことを経験できました。が長時間労働やら給料の安さに嫌気がさして、ここでやっと税理士の道に目が向きました。26歳。昔は行き遅れそうな年です。そこでまたジャスコをやめて、しばらく職業訓練校で失業保険をもらいながら税理士試験の勉強をします。18歳の人たちと英文タイプや簿記やらを学び、夜は専門学校へ。1年で財務諸表と所得税に合格したので、会計事務所に就職します。事務所の中でのサブの仕事から外回りの生活へ。よくわからないままお客様のところに行って世間話しながら資料をチェックしたり計算したりして帰ってました。お医者様の多い事務所だったので確定申告時期は大変、最長2時まで仕事したことがありました。仲よくしていただいたお客様今はどうされてんのか懐かしいです。その後わりと順調に試験に合格し、昭和63年に最後の結果待ちで事務所を退職し、尼崎のK事務所へ。こちらは法人主体の事務所で。63年に最終試験に合格し平成1年に登録しました。まだいやだったのですが、所長の意向で無理やりですね。
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