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バブル崩壊直前、短大卒業後、「腰かけ」という言葉がまだ残っている時代に将来結婚するというイメージが全く持てず、「ちゃんと自分一人でご飯を食べていける職業に就きたい!」という一心で大手エステサロンに就職しました。毎日終電で帰ったり、業務終了後の夜の9時から新宿の本社で会議、という激務ではありましたが、美容の仕事が天職だと改めて気づき、エステ以外にも美容の技術を勉強したくて、入社2年後に当時あまり数がなかったネイルスクールを探し、通い始めます。エステの仕事は楽しかったのですが、ネイルスクールに通い始めたことで、独立を考え始め、22歳だったこの頃には「組織にいる居心地の悪さ」というのを痛烈に感じ始めたのです。マニキュアリスト国際ライセンスを取得後、当時はネイルやエステだけでの独立ということも難しいと気づき、24歳の時にアートメイクの勉強を新たに始めました。仕事は好きでしたが「会社」というものに属している自分に違和感に耐えられず、「店長として○○ホテルの中の店舗へ異動」という内示の噂が出た入社5年目、25歳の時に退職。ネイルで国際ライセンスを取得したため、度重なる渡米とスクールの費用で、貯金は全て使い果たし、開業資金は母からと、自分が掛けていた保険を担保に借入をし、ワンルームマンションを借りて開業。4年後に同じマンション内の少し広い間取りの部屋へ移転。サロン経営もだいぶ安定してきた頃、両親の2度の離婚という経験から結婚に憧れを持てなかった私ですが、10代の頃からの私を知り、私の家庭の事情も良く知る男性と29歳で結婚。30歳で長男、33歳で次男を出産。自営業のため二人とも臨月まで仕事を続け、生後2ヶ月で復職。この当時の売り上げの主軸はアートメイクだったのですが、「アートメイクは医療行為」と厚生労働省からの通達により、一切アートメイクの仕事が出来なくなり、天職と思っていたアートメイクの業務を一切手放したことで、「天職を奪われた」という喪失感に襲われました。(現在はリピーター及びご紹介のみでエステ・ネイルサロンとして営業を続けています。)この頃から、限られた空間で決まったお客様だけでなく、特に更年期の女性が抱える「女性ならではの不快症状を楽にする商品を作りたい。」と商品作りを始めました。「TAKEFU」というアトピーや床ずれ、手術痕にも使われる医療用ガーゼとして認められた生地での商品開発をし、4年以上の歳月をかけて、パンティーライナーと脇汗パッドを完成。同時に色やアクセサリーが女性の気分を向上させる効果があることから、オリジナルの靴につけるシューズアクセサリーの制作も始め、2019年ネットショップにてAIRonline shopを開店し、同時に更年期世代の女性へ向けてカウンセリング業務もスタートさせました。
テーマ: オンラインショップ
テーマ: 更年期について
アラフィフ
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