ブログをブロックする
ブログを報告する
2019(令和元年65歳)春に70歳までの終活5カ年計画(仮称)仮策定、2021(令和3年68歳)暮れに71歳までの終活三年計画を本策定、2022年令和4年の春に山林売却のうえ墓仕舞い、共同墓地から両親の骨壷を取り出してパウダー化、両親の遺骨を見たのは、久しぶり。母は、1989(平成元)年に亡くなったからもしれないが、33年間の紫外線でかなり傷んでいたものだ。私たちは、その紫外線の中で生きているのだから凄いものだ。神棚、位牌、神具等のお焚き上げ、そして、市営墓地公園の合葬墓に改葬しました。なお、私の両親は自宅の近くの墓地公園の納骨堂の脇の合葬墓、妻の両親は県西の菩提寺の納骨堂にそれぞれ葬っている。私も、エンディングノート整理に目処が付いたら、合葬墓にお邪魔します。2023年令和5年となる昨年は、クルマ仕舞いと家仕舞いを春、そして預金仕舞いを夏、通帳レスのWeb口座にしました。秋から冬に掛けて、クレジットカード仕舞いを始め、結局1枚まで減らすことが出来た。1枚有れば、死ぬまで何とかなりそうである。2026(令和8)年.11月下旬の自分自身の終わりを見据え終活に専念します!余命3年を切り、残るは2年11か月。いよいよ、今年の年明け早々、確定(還付)申告後にエンディングノート整理及び遺言書作成に着手することにしています。これで、終活は一通り終えたことになりますが、疲れがピークに達して、帯状疱疹を罹患、終活自体、身体が満足に動かせる60代のうちに済ませるべきものだと実感しました。死ぬことは、正に「いとをかし」である。人間、訳が分からずこの世に生を受け、死ぬときは呆気なく死ぬ。自分自身は、何時死んでも良いようにしておきたいものだ。新型コロナに罹患して死んだり、能登半島大震災が元日の夕方に発生したこともあり、交通事故や事件で、人は何時何処で死ぬか分からないことも有るんだなと思った。そんな私の終活である。昔は、特に農家では、働き手確保のため、5人位の子沢山は普通だった。1クラス50~60人というプレハブ教室から高度成長期が始まった。今は、核家族化して1~2人位かな?年金制度や保険制度は破綻して介護保険も破綻するだろう。これからの少子高齢社会を想像すらしてこなかったのかな?(私の人生)1953(昭和28)年12月30日、大分県大分市の赤十字病院で生を受ける。奈良県大和郡山市 幼稚園及び小学校徳島県徳島市(2箇所)小学校鹿児島県志布志町 小学校及び中学校宮崎県小林市(2箇所) 中学校及び高等学校東京都 某私立大学(4年間)宮崎県宮崎市 サラリーマン生活宮崎県日向市、宮崎県宮崎市マイホーム、出向疲れで早期退職57歳、その後士業に就くも、今は、完全リタイアし、年金生活、終活を終えて、エンディングノートの整理に勤しむ毎日である。妻は、保育士パート。私は、年金のみ(基礎78万円・老齢等172万円)250万円、妻は、年金(基礎75万円・老齢等35万円)110万円+パート収入140万円で250万円、世帯収入は、合わせて500万円程度。私の収入で生活費全般(家賃60×12=720・クレカ140×12=1,680・その他100)赤字の際は預金から取り崩し、妻の収入はその他お小遣いとして支出。私が死んだら、妻は基礎年金75万円+私の遺族年金115万円の合わせて190万円を受給予定。我が寿命は、72歳11か月、余命は、2年半で計算中。しかし、2年半の余命だけど、実質2年しか無いらしい。まあ、人生はその人自身のものだと勘違いしている人々は多いが、与えられた命を大事にするしか無い。若い命を落とすより、年寄りの命の方が良いのではないか?夫婦二人暮らしは、年金等先が計算し易いところもある。先ず、夫婦二人暮らしだと、一人250万円、夫婦で500万円あれば、かなりのゆとり有る生活を送ることが出来ます。
テーマ: ブログ
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります