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はじめまして、大阪市のルート治療鍼灸院、はりきゅう和-nagomi-です。当院は、首肩コリと疲れ目(眼精疲労)など、肩から上に強いルート治療院です。とくに首肩コリは、20年、30年と続く重い症状の方に、「たった数回の施術で、ここまで変わったのは初めて」と言っていただいております。鍼灸は流派によって治療法が大きく異なります。このブログでは、「効果的な治療」とは何かということと、鍼灸、栄養療法について書いていこうと思っています。はりきゅう和-nagomi-院長 やまさきみほ1976年福岡県生まれ。国家資格はり師・きゅう師。国家公務員をうつ病でドロップアウト。17年苦しんだうつ病を、栄養療法で治し、栄養の偏りで生じている病気を、薬で治そうとするのは、木に登って魚を獲るくらい馬鹿げたことだったことに気がづきました。鍼灸+栄養療法は、健康に対する最強のソリューションです。◆「国家公務員」から「うつ病」国家公務員二種試験に合格したものの、採用わずか3ヶ月で髪は白髪に!文字が読めなくなり、病院でうつ病と診断。「でもメンタルは大丈夫!」と(本人的には)思ったものの、体はボロボロ。起き上がろうにも筋力が弱って、重力に勝てず、ギックリ腰を連発、息が切れる、動悸がする、風邪をひきやすい、免疫力が下がりすぎて、たかが風邪で死にそうになるなど。26歳で発症して以来、色々な身体症状がありました。うつ病は心の病と言われていますが、身体もボロボロになります。◆「人のために役立てる」技能を身につけたい公務員を退職して、うつ病を隠して別の仕事を始めしばらくたった頃。原因不明の脳障害で倒れた母と、高齢の祖母のダブル介護。2011年3.11と同じ月に祖母を看取った経験から「人のために何かできる技能が欲しい」と思うようになりました。そこで思いついた仕事が、子どもの頃から憧れていた鍼灸師です。とはいっても、この時私はすでに「余生」という感覚で、野心に燃えていたわけではありませんでした。体はうつ病で泥のように重く、「その有様で、果たして一人で生きていけるのか?」と家族にいぶかられながらの再出発。福岡の実家を出て大阪の鍼灸学校に入学しました。それでも自立したかった。死にたくないわけではないし、生きている理由もないけれど、死ねるものでもない。ならば逆に生きる理由が欲しい。地縁も血縁もない大阪に出てきて、鍼灸師の資格取得後も実家に帰らず、大阪で鍼灸院を開業しました。◆健康の立て直しは鍼灸と栄養の2本立て鍼灸学校に通うとはいっても、授業は半日です。生活費を稼ぐため、登録販売者(薬局で薬を売る資格)をとりたいと、ドラッグストアでバイトをはじめました。これが苦しいのなんの。同級生がいうに、当時の私は、話しかけにくいオーラが出てたそうです。椅子に座って授業を聞いているだけでしんどかったので、全然周りが見えていませんでした。鍼灸学校で学び、「リアルの」鍼灸を知るにつれ、鍼灸の限界が見えてきました。鍼灸は最高の物理療法(簡易手術)です。しかし、うつ病は手術で治る病気ではありません。登録販売者の勉強をしたことは、漢方(薬)と栄養学に目を向けるきっかけになりました。薬には薬が得意なことがある。鍼灸には鍼灸の。栄養には栄養の。それぞれに一長一短があります。当時、栄養素としての「鉄」と、うつ病の関係を書いた本が話題になり始めていたこともあり、そこから「食」「栄養」に興味が移ってきました。結局、命がけで求めた鍼灸は、うつ病にはあまり役に立たず、栄養療法でうつ病を治しました。かといって、鍼灸治療を投げたわけではありません。うつ病で、私の身体はボロボロだったからです。私の鍼灸治療は、自分自身の身体の立て直しに役に立ったものから作り上げました。そして、逆に、「これは違うな」と思ったものは、世間に受け入れられているものでも、大胆に省きました。ツボによる治療が効かないと考えたわけではなく、時間がかかりすぎる、当たり外れが明確ではないなど、実用性の面から、自分の治療方法からは一部を除いて省きました。現在でも補助的には使いますが、私の治療は、「コリを取り除く」外科的療法としての鍼灸と、鍼灸を補助する「食と栄養」で構成しています。治療は、農業に似ています。体は大地です。硬く乾いて、ひび割れた大地に鍬を入れ、耕し、水と栄養を補給することで、大地は甦ります。手入れされていない身体は、ガチガチでクワも跳ね返します。鍼を刺して痛いというのは、ガチガチだからなのです(健康に問題がない身体にとっては、さほど痛くないのです)鍼は大変手間がかかる治療法です。でも、鍼に代わる代替手段はありません。広大な人体という田畑を、鍼というクワ一本で耕す鍼灸であり、補完するのが栄養です。一番古典的、一番古い、一番原始的な鍼灸治療をしています。■鍼灸師になって、よく訊かれること■◆「なんで鍼灸?」私が小学生のとき、市役所に勤務していた母親が、通勤中、車を追突され、「人生に絶望する」ほどのムチウチになりました。病院では治らず、職場の同僚から大分県のゴッドハンド鍼灸師を紹介され、通い始めると、何回かの治療で回復したことから、すっかり鍼灸のファンになりました。その母が、身体の弱い娘も治してもらおうと、日曜の朝四時半起きでゴッドハンド鍼灸院へ連れて行ってくれたことが、私の鍼灸との出会いです。朝六時に受付して、実際治療を受けられたのは午後3時。幼心に「朝六時前から人が並ぶ鍼灸すごい!」と衝撃を受けました。母親はそのとき、先生から、「あなたは将来リウマチになるかもしれない。お灸をすえ続けなさい」とアドバイスされ、本人も頑張ろうとしたのですが、ワーママの多忙さと、鍼灸院の遠さなどから、通院を続けることができず、数年後、台風19号をきっかけに、本当にリウマチを発症してしまいました。そのことから、「もっとバリバリ働きたい」という人が体をケアする場所を作りたいと、それが今の鍼灸院の形になりました。◆「なんで、大阪で?」(福岡に鍼灸学校ないの?)大学が東京だったこと、東京に知り合いが多いことで、東京の鍼灸学校を何校か、学校見学に行ったのですが、その中の一校で。「大阪の森ノ宮医療学園専門学校がイイよ」と教えてもらったことから。卒業後も学校の近くで開業して、勉強を続けたい…人よりスタートが遅い分…と思ったことと、東京は家賃が高い!開業費用という意味でも、生活費(家賃)という意味でも、いい学校があるなら、大阪かなと森之宮医療学園専門学校に決めました。◆「いつか、福岡に帰るんでしょう?」帰る予定はございません。家族との折り合いが悪くて家を出たとかではないです。家族仲は、割と悪くありません。むしろ過保護なので、離れていないと、共依存になるので、離れていることを選んでいます。蛇足♪◆ 鍼灸院の運営方針院は、仕事と家庭を両立させて、その分大変だった祖母や母の姿を見て育ったこともあり、キャリア、家庭、育児、そして一人の女性としての幸せを追求できるよう、働く女性を応援する鍼灸院にしたいと、母の名前、和子から「はりきゅう和-nagomi-」と名づけました。働く女性たちが、「鍼灸院が遠い」、「時間通りに治療を受けられない」といった理由で通院を断念せずに済むよう、働く女性にフォーカスした鍼灸院運営をしています。夢は、大きく分院を世界中の駅や空港に出店すること。そのために、まずはりきゅう和-nagomi-を、私が「これが最高!」と思うような鍼灸院にしていくことです。◆座右の銘「しっかりしていなかったら生きていけない。優しくなかったら生きていく資格がない」放浪の狼みずがめ座ストレングスファインダー 着想、原点思考、戦略性、内省、収集心(上位5位)。下位5位は、調和性、成長促進、競争性、社交性、運命思考(下位から5つ)趣味は、寝転んで週刊少年ジャンプを読むことという四十代。(ドラゴンボールの連載が始まる前から読んでいるので今更やめられません)
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