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団塊の世代、食糧難と貧乏を経験した。父母が祖父母の家にとり婿、とり嫁として入り、父母の新婚旅行中、旅行といっても仕事を兼ねた牛市の見学だったようですが、その旅行中に召集令状の「赤紙」、指定日までに入隊しないと国賊扱いになると・・、祖父が慌てて迎えに・・・、準備も別れもソコソコに入隊しました。取り残された新婚の母、実家に帰ることも考えないではなかったが、義祖父母と農林業をしながら首を長くして父の帰還を待ちました。父はビルマ戦線に工兵、工兵とは本体の軍隊を通す道を作り、橋を架けるなどが主な任務、敵を目の前にしての任務でしたので、今度はダメ、今度は絶対ダメと幾度も死を覚悟したようです。大半の同僚が帰らぬ人となりましたが、父は幸いに母の元に帰ることができました。隣にいた友が突然鉄砲の弾に・・、行軍についていけなくて、置き去りにされた友、マラリアに侵された同僚のこと、いつも頭から消えることがないと・・・。貧しいながらも、祖父母と父母で農林業に従事していましたが、祖父が議会議員に打って出、当時の議会議員は今と違ってほとんど無報酬、田畑や山を売りながらの活動でした。とり婿、とり嫁の立場では何も言えなく、耕していた田畑や山林が人手に渡る辛さ・・何とも言えないものがあったそうです。そんな中に誕生した私も貧乏の辛さをあじわいました。 中学校卒業でも金の卵といわれる時代でしたので、就職先は沢山ありましたが夜間高校に通えることを条件に就職、昼間の仕事と夜の勉強で大変ではありましたが、今では楽しい思い出です。長男であり、卒業後しばらくして田舎に帰り役所に勤めさせていただきました。ここでも、勤務が終了するや車で1時間40分かけて夜間の大学に通いました。妻もめとり、子供にも恵まれ充実した日々を送っていましたが、突然降ってわいたように首長が辞めるので、次の首長選挙に立候補を薦められました。そんな準備も心構えもないので、断り続けましが、断りきれず挑戦することにしました。妻は泣いて止めてほしいと言っていましたが、いろんな人の説得を受け何とか同意してくれました。2月に職場を退職、4月の選挙に向けて妻と足を棒にしてお願いに上がりましたが、相手は元首長の息子で前回も挑戦して、8年の選挙運動ができており、わずかな差ではありましたが、落選、奈落の底に落ちました。しばらくは茫然とした日々を送っていました。幸いに妻が看護婦の職を得て、勤めてくれていたので何とか食いつないでいけました。そんな中、愛犬のみが話とぎになってくれて、救われました。そんな無職無収入の時に、妻の誕生日、勿論何もしてやれない状況で、ふと妻が一重のヤマブキが好きと言っていたのを思い出し、愛犬と一重のヤマブキを取りに行き、軽トラックいっぱいにヤマブキをとって帰りました。妻が帰宅し、誕生日おめでとう。何にもしてやれなくてゴメン、一重のヤマブキ採って来たよ、誕生日プレゼント、これしかできなくてゴメン・・・・。言っている本人も涙、妻も涙で何にも言えなく、受け取ってくれた。何よりも、あの時のプレゼントが忘れられないと、お母さんや姉妹に話しているようです。まだまだ、七転八倒の日が続きますが、次の機会に・・・・。妻と子供と愛犬に助けられての人生、愛犬を最後まで何頭も見送り、父も10年の介護の末見送りました。いやなことやツライことがあっても『今』が1番、毎日、毎日が黄金期です。人生のてっぺん目指して、もう一花咲かせます。
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