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工藤 全展(クドウ マサノブ)陽開カイロプラクティック 副院長柔道整復師 介護福祉士〈病院から優しさを学んで育つ〉会社員の父、看護師の母の下、二人兄弟の次男として尾張の国、名古屋で生まれる。その後、父の転勤で名古屋と東京を行き来する。母が看護師で病院勤めだったのとたくさんの怪我とが相まって、病院とは切っても切れない関係だった。何かある度に病院に通い、優しいスタッフの方達と接しながら育つ。5歳の時に左肘を骨折した際、お世話になったリハビリを仕事にしようと大学受験に臨む。ところが、リハビリの学校は全て落ちてしまう。もう後がなくなったところで予備校の先生に「社会福祉士なら病院でも働けるから受けときなさい」と言われ、土壇場で進路を変更し見事、東洋大学の社会福祉士学部に入学する。〈話が違った就職〉大学では音楽サークルと合気道部に入部する。あまりに熱中しすぎたせいか、初めてぎっくり腰を経験する。寝るのも歩くのも辛いほどの腰の痛みを楽にしてくれた接骨院の先生に憧れ、いつか柔道整復師になることを決意する。いよいよ大学卒業というところで社会福祉士の国家試験受験資格に必要な単位を落としていたことが判明し、社会福祉士を取得できず。社会福祉士として就職が決まっていた病院からは「話が違う」と言われ、いずれ介護福祉士を取得することを条件に看護助手として入職が決まる。その後、介護と医療を徹底的に学び実務経験で介護福祉士を取得すると、昼は病院で働いて夜は柔道整復師の専門学校に通うようになる。同時に、沖縄の三線と出会い、仕事と勉強の合間をみてライブ活動も始める。〈人生の転機〉いざ専門学校を卒業して柔道整復師を取得すると、自分は柔道整復師として何ができるのか悩むことが多くなった。そこへ職場とは別の場で自己表現をする機会を持つお話をもらう。「八代光生(やしろみつき)」という名前で健康増進・維持の為の地域活動を開始。介護やリハビリなどの様々な知識を活かした、誰でも簡単な動きで体の歪みや不調がとれる「らくちんからだ体操」を考案し、好評となる。〈新たなスタート〉勉強会で出会った陽開カイロプラクティックの山中英司先生から一緒に働くお誘いを受け、8年勤めた病院を退職。その後約1ヶ月間、チェンマイに修行に行った後、陽開カイロプラクティックにて働き始める。チェンマイで学んだ技術と今までの技術を融合させた内臓デトックストリートメントは、心が解放され体の内から変化が実感できると好評を得ている。これからの夢は、愛情、共感、誠実をもってお一人お一人と向き合い、皆さまの心のよりどころとなることを目的に、「頭 Mind」「心 Heart」「体 Body」の調和を取り戻し、誰もが笑顔で溢れる世界を実現していきたい。そのために、常に自分の本質に忠実に、そして本質に磨きをかけ、人間的成長と技術の向上に挑戦し、プロフェッショナルであり続けることに努めていきます。
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