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Nori(本城 武則)社団法人 英語サポート協会 理事長海上自衛隊将官トップマネジメントセミナー講師武蔵野学院大学・元准教授名古屋大学大学院理学部博士課程・元外部講師FAA(アメリカ連邦航空局)公認 飛行&地上教官(計器飛行)日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー昭和37年8月5日、福岡県福岡市博多区、の隣町(大野町)で生まれる。子供の頃から体が弱く毎日病院通い。「とても安い給料から多額の医療費がかかったため生活はとても貧しく、そのため私は当時珍しい一人っ子になった」(母親談)そうだ。子供の頃体が弱かったため、何度も高熱にうなされ生死の境をさまよう。そのため幼少期から不思議な体験をした。小学校では成績上位。中学校では成績中の上。高校では成績ビリ。でも空手九州大会では準優勝。ちなみに英語の成績は、落第ギリギリの「2」。大学はギリギリ卒業。だが極真空手では群馬県3位。頭より体が強い(笑)。大学卒業後、JCBカードに入社。 英語の試験で新入社員全体で最低点を取る。26歳で渡米。飛行学校に入るが英語ができないためアメリカ人の教官から「帰れ」と言われる。当時マクドナルドでハンバーガーも買えず、ドライブスルーはほんとにドライブスルーでした(笑)。しかし、ノルウェー人の教官に救われ、3ヶ月で英語ペラペラになる。あまりに英語が話せるようになったので、1年後にはアメリカ人を教える飛行教官になる。アメリカは家賃が高いのでどこか安いところがないか探していたら、40億の豪邸にタダで住んでくれと言われ、2年間タダで住むことになる。子供ができたので「どうしようかなぁ」と思っていたら全日空から就職のオファーが舞い込みいったん帰国。全日空で同時通訳を務めながらパイロットの道を目指す。順風満帆に運んでいた私のパイロット人生であったが、この時急激に左目の視力が低下。32人中4人しか受からなかった全日空の操縦試験にパスしたにもかかわらず、身体検査で不合格。パイロットの道を諦める。しかし、パイロットを辞めて始めた航空業界専門の翻訳会社が大ブレーク。あまりにも儲かるのでその勢いでニュージーランドに移住。ニュージーランドでは仕事をしなくてよかったのだが、趣味で日本の中古車の輸入を始めるこれがまた大当たりして大金を稼ぐ。その後ニュージーランドで飽きたので再びアメリカに移住。そこで目の当たりにしたIT革命を日本で起こすために日本に一時帰国。その時点でかなりの資産があったのだが、株で大損をして全財産を失う。その頃趣味でやってた英会話スクールがにわかにブレイクし、ボランティアからビジネスに切り替える。初めて本を出版する(『九州男児が教える女房を思い通りに動かす9つのコツ』ジュピター出版刊)。その後、実業之日本社より『なぜ私たちは3ヶ月で英語を話せるようになったのか』が出版され、ベストセラーとなった(シリーズで約10万部)。その後オーストラリアに移住。2005年帰国。東京自由が丘で「本城式英会話スクール」を立ち上げる。これまでの受講生は1万人を超える。
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