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重藤 隼人私は1986年1986年11月21日に東京都で生まれ、自分の人生をスタートさせました。両親ともに徳島県の出身でしたが、父の仕事の都合により転勤生活であり、兵庫県、岡山県を経て、小学校3年生からは徳島県で学生生活を過ごしました。徳島県に移ってから私生活では少年野球チームに加入し、高校1年の終わりまでは野球を続けていました。高校1年の時に膝を痛めたことが高校野球を辞めるきっかけにはなったのですが、同時現在の仕事である理学療法士を志すきっかけの一つにもなりました。膝を痛めた際に、整形外科の医師よりリハビリを勧められ、リハビリ室を訪ねたのですが、その時に初めて理学療法士という職業を知りました。もともと将来は人のために役立てる仕事に就きたい、医療職に就きたいという漠然とした希望はあったのですが、医療職も様々な職種があり、医師、看護師、放射線技師、薬剤師、理学療法士、作業療法士など様々な仕事に興味だけあった私にとって、自分の目の前で仕事内容を把握できたことは将来の仕事を決めるうえで大きなきっかけとなりました。その後、高校2年生の時にも職場見学にて理学療法士の仕事を見学する機会もあり、トレーナーのような役割から病院などでの治療的な役割もあることを知り、理学療法士を目指して理学療法士の資格がとれる専門学校を志望することとしました。2005年より独立行政法人国立病院機構呉医療センター附属リハビリテーション学院に入学し、同じ理学療法士・作業療法士という目標をもった仲間と勉学の日々を過ごしました。自身の努力および周囲の人々のサポートもあり、専門学校は首席で卒業することができ、理学療法士の国家試験にも無事合格することができ、晴れて理学療法士としてのスタートラインに立つことができました。理学療法士として2008年より地元の徳島県の病院で5年間勤務しました。理学療法士としてまずは総合的に知識・技術をつけたいと思い、総合病院にて運動器・脳血管・呼吸器疾患の方など、様々な疾患の方の理学療法を経験できました。研修活動に多大な援助をしていただいたおかげで、様々な研修会にも参加でき、国際徒手理学療法士連盟の教育カリキュラムに則った国際資格であるOrthopaedics Manual Physical Therapist(整形徒手理学療法士)の基礎コースを徳島県および現在の勤務地である香川県を通しても初めて修了した理学療法士になることができました。そして研修を受ける中で、より多くの整形外科疾患の方の理学療法を経験したいと思い、香川県の整形外科クリニックに転職を決めました。そこで、痛みへのリハビリテーションに精通している理学療法士の先輩と知り合うことができ、今まで学会などで発表もしたことがなかった私に親身に指導していただき多くの学会で発表するようになりました。学会発表を重ねる中で、第20回香川県理学療法士学会では学会奨励賞を受賞することができました。学術活動も進めていく中で、自分の痛みについての知識をもっとつけたい、研究活動をしっかり行って社会に貢献したいという思いが強くなり、大学院への進学を決めました。病院では高齢で長年続いている痛みに困っている方や交通事故後の痛みに困っている方、学校の部活動でのケガで困っている方など、老若男女問わず多くの痛みでお困りの方への治療に関わることができています。また、大学院での研究活動に対しても理解を示してくださり、研究活動を継続することができ、国際疼痛学会という世界中の痛みの専門家が集まる学会でも発表することができました。整形徒手理学療法士として目の前の痛みで困っている方を治したい痛みの研究活動を通して痛みで困っている多くの方の悩みを解決したい理学療法士 重藤隼人
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