色々バタバタしてまして、コメントのお返事も出来ず申し訳ありません。やっと明日流すシネマが完成。これからレンダリング。。。たかだか5分程度の物です。されど5分。... http://t.co/UlrqZ3yh
[5/30 02:22]
私が生まれたのはロッキード事件が表面化した1976年のことです。
世界遺産で有名な熊野古道や那智の滝があり、美味しいマグロが食べられる和歌山県那智勝浦町に生まれ
両親は小さな贈答品のお店をしていました。
両親と妹、弟の4人家族。
両親は共働きだったので、おばあちゃん子でした。
店の一部が自宅だったこともあり、朝から晩まで人の明るい話し声が聞こえる賑やかな環境で育ちました。
今でも覚えていることがあります。
商売が上手く行ってなかった母はよく祖母に相談してました。
それを隣で意味もわからず聞いていたのですが、
商売に対して一生懸命な母、いつも僕達には優しい祖母の真剣な眼差しを見て
僕が将来、沢山お金を稼いで皆を幸せにしてやろう!
そう思い、胸を熱くしたものです。
そのような環境で育ちましたので、門前の小僧、習わぬ経を読むと諺にもあるように、商売をするということの厳しさや、両親が試行錯誤している様を見て
商売においての基本的な事を当時から習っていたのかも知れません。
子供の頃、父親の運転する車に乗って、大阪によく一緒に行ったこと。
父は、様々な電化製品の販売数で幾度と無く販売数日本一を受賞しました。
祝賀会等でお邪魔した様々な会社で「君のお父さんは凄いんだぞ!」「君もお父さんみたいになるんだろうね」
そのような言葉をシャワーのように浴びる経験をしました。
私は父がとても誇らしく、自慢でした。ですから今でも最も尊敬する人は?と聞かれれば、間違いなく父の名を一番にあげます。
両親は厳しくも、愛情一杯に育ててくれました。
少年野球に明け暮れていた僕を、両親は応援してくれました。
「勉強なんかせんでええ。素振りをしろ!結果を残せ!」
忙しい合間を縫って、そう厳しく指導する父。
「一生懸命やったら、結果なんていいよ」
優しく接してくれた母。
両親のお陰で、小学校、高校の部活でも主将を務めさせてもらい、人を纏めるということの難しさと、ひとつの目標に向かって全員で努力し、それを掴む楽しさを学びました。
しかし、それらは自らの夢というよりは、父や部活の監督に認められたい一心で取り組んでいたのかも知れません。
次第に私は、父に反発するようになります。
高校を卒業したら父の後を継いで、商売をする!両親が商売をしているのを理由に全く勉強もせず、そう周囲に吹聴してまわり、高校時代から始めたバンドに明け暮れていました。
そんな私に大きな出来事が起こります。
父が急死したという一本の電話でした。
幼き頃からの大きな存在を失った私は、いったい何をするべきか?
何を糧にして生きるべきか?その答えを探していたのでしょうか。
それからの私は父という偉大な存在を失った喪失感から、様々な事を通じて、大切な事を教えてくれた両親の思いとは裏腹に、しだいに楽な方へ楽な方へと生き方を変えてしまいました。楽して稼げると誘われマルチ商法をやったり、夜の仕事をやったり・・・・・・
箍(たが)が外れるとは、正にこのことです。
そんな私を救ってくれた、とてもつらく悲しいことがありました。
社会に出てすぐ就職した会社の上司だった方のお父様が亡くなったという知らせを受けました。
勿論、すぐにお参りに飛んで行きました。
そこで目にした葬儀は、父の葬儀とは全く別次元のものだったのです。
立派なセレモニーホール、スタッフのキビキビとした立ち居振る舞い・・・・。
当時、父が亡くなった時には私の地元にはそのような施設はなく、お寺で葬儀をしたのです。
勿論、そこにはそのような優秀なスタッフは一人も居ませんでしたが、そんなものなんだろうと
深く考えもしませんでした。
同じ人間なのに、ここまで扱いが違うものなのか・・・。
厳しさの裏側にある、大きな愛情で接してくれた父。
そんな父に何一つ、恩返しが出来ないまま父を失い、自暴自棄になっていた私を奮い立たせるには充分過ぎる出来事でした。
そして、私は決意しました。24歳の出来事です。
父に出来なかった恩返しを、生まれ育った地域の人にするんだ!
人伝に、修行をさせてくれる葬儀社を紹介してもらい、死に物狂いで働きました。ここで投げ出したら、俺は一生半端者のままだ。そう自分に言い聞かせながら…。
そして、なけなしのお金を掻き集めて道具を揃え、葬儀屋として起業したのです。
それから十数年、多くの壁にぶつかりながらも大勢の人に支えられ今の自分がいます。
私の使命は、人の死ほど悲しことはありません。思い残すことなく、その人達にとって出来る限りのお見送りをし、大きな悲しみを乗り越えて「また明日から頑張ろう」そう思えるようなお手伝いをすることです。
人と接するのが大好きですから、人が困ってる姿を見るとついつい役に立ちたい!と思い、深く考えずにあれこれやってしまい、失敗してしまう事もあります。
でも、そんな私でも下を向いている人が、私の関わりを通して少しでも前を向くキッカケの一つになれるのなら、この上なく幸せです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。