【本人プロフィール】
ワクタル
1970年、愛媛県西条市生まれ。
東京=長野=大阪を経て現在は西条市に出戻り在住。
ワクタルWeb www.waktal.com
オシゴトblog www.waktal.com/blog
父は航空自衛隊の経験のある真面目人。
母は花や筆、俳句にいそしむ感性人。
「贅沢は敵だ」これが家庭のモットーだった。
高校卒業と同時に上京。デザインを学び、大阪で就職。
そのときに先輩上司から借りた、沢木耕太郎の「深夜特急」に感銘。
すぐに会社を辞め、長野県で住み込みで働いた。
乗鞍岳の近くの村で働き、八ヶ岳のふもとの農場で働いた。
貯めたお金でNZへバックパッキング。
いやー、よかった~。
でも、そんなことやってたら、
「豊かな青春、惨めな老後」になっちまう。
植村直己が浮浪者の格好してた写真があったけど
あれって結構リアリティあるなぁ…汗。
その後、帰郷してサラリーマンとして働くも、
苦悩の毎日だった。
どなりちらすワンマン社長と13万の月給。
デザインが何かも理解されない環境。
大阪に居た僕にとってギャップがすごかった。
俺には無理だーーーー!
その後は広告代理店で荒れた生活したり、
なぜか電機工事会社で光ケーブルの仕事したり。
事務機会社で営業したり
印刷会社で配送員したり
郵便局で年賀状配りのバイトしたり
自転車店で働かせてもらったり。
おいおい、なにやってんだ~?
子供の頃思い描いてたのは、こんな人生だったのかぁ~?!
当時僕が一方的に熱を上げていた彼女にも見事にフラれ
仕事も無くなり、気力も無くなり、ついに無職に。
“もう、「リセット」したい…”
その年の年末には、松山の石手川沿いのマンションの屋上から
飛び降りようとしてたな。
自殺者がよく、“ゼロにしたい”って気持ち、よくわかる。
存在しなかったことにしたいんだよね。
僕の場合は、死ねなかった。
ゼロにすることが、怖かった。
まだ、追い詰められていないはずだ。
だって、自分で死ねないんだから。
それですぐに立ち直ったかというと、
そんなに甘くない。
職安で仕事探して面接するもことごとく不採用。
不採用の通知すらしてこない会社に、
「結果くらい知らせろよ、このバカタレが!!」と電話する始末。
当時所有していた軽四の箱バンで寝泊まりしながら生活。
拾った石油ストーブを車中で焚いて、死にそうになったこともある。
そのうち、昔の縁があった社長さんから電話があり、
アルバイトの話をもらった。
その後もいくつかの会社を経て、
アルバイト見習い→パート社員→正社員→
そして、独立してフリーランスになった。
いろんな経験してきたことが
いまとっても役に立ってると思う。
沢山、代償も払ったけど
お金で買えないものも沢山得たと思う。
いろいろな方にお世話になったし、
お客さんには本当にいろいろと助けていただいた。
いま考えると、いつもひとに助けられてきたなぁと感謝してる。
ありがとうございます~!