私が生まれたのは、沖縄が返還された1972年のことです。
市川(千葉県)で生まれ、その後、川崎→高萩(茨城県)→川崎→横浜と移り住みました。
生まれ育った家は、親子3人のわりと普通の家庭でした。母が乳がんで入院した一時期、祖母の家で祖母と二人暮らしになりました。今思えば、幼少期のこの経験から自分の心に蓋をし、人と距離を置くようになってしまったのかもしれません。
子供の頃は、いつも日が暮れるまで三角ベースの草野球でした。
ところが、だんだん無気力な子供になっていきました。
小学校5年生から塾通いさせられたこと、家族が互いに無関心だったこと、中学校が行事と校則で生徒を縛りイジメが横行しても見て見ぬフリの事なかれ主義だったことなど、様々なことが重なったためです。
「
早くこんな監獄を出たい」
その一心で勉強し、校風の自由な大学付属校に進学しました。学校帰りに街をブラブラするようになり、街や建物に興味を持つようになりました。ただそれだけの理由で、大学の建築学科に進学し、都市計画を専攻しました。
最初の就職も教授にご紹介いただいた都市計画事務所でした。
「都市計画で飯が食えるなんて幸せだなぁ」と思ったのも束の間。官庁や地方自治体の都市計画とは名ばかり。実態は「役所の報告書ライター」でした。
1999年、大手IT企業グループのコンサルティング会社に転職。環境ITビジネスのコンサルタントとして、新規事業開発に関わりました。当時立ち上げに関わった事業のいくつかは今も存続しています。
その一方で、また同様の挫折を味わいました。クライアントの大手IT企業もお役所体質で、本気で新規事業を立ち上げようという人はごくわずかでした。結局、転職しても「報告書ライター」だったのです。
2004年、結婚したものの、無鉄砲に転職を繰り返し、その年の終わりにはボロボロになりました。そんな矢先、以前に勤めた会社の元上司から半年間の新規事業開発プロジェクトに誘われました。
「これを機に独立して、人生をやり直そう!」そして、私は決意しました。
2005年、
「有限会社未来詢房」を創業したのです。
しかし、人生はそんなに甘くないものでした。会社を作って1ヵ月後、クライアントの事情で、そのプロジェクトがなくなりました。
そのプロジェクトで実績と資金を積み上げるつもりが、実績もできず資金を食いつぶすことになりました。それからは、下請け、いや孫請け、曾孫請けの仕事で何とか食いつなぎました。
経営について何一つ勉強したことのなかった私は、付き合う人の選び方もわかりません。いろんな人に騙されました。
「人生をやり直すつもりで起業したのに、なぜ?」何とかしたい一心で、様々なセミナーに参加しました。藁をも掴みたい気持ちの私に藁を掴ませるような
セミナーも経験しました。
しかし、いくつかの
セミナーを通じて、私よりももっと大きな挫折を経験して這い上がっている仲間と出会いました。2007年には妻が長男を産んでくれました。彼らの存在が励みになり、なんとか立ち直ることができました。
2009年、私の秘密兵器のことを本にしたいと思いました。私がローカライズ(日本語化)に関わっているフリーソフトの活用術です。
その活用術のおかげで、発想、構想、仮説立案、情報収集、分析、整理統合(まとめ)、資料作成などをたった一人で短時間に行うことが可能になりました。
それが、
「手を動かしながら考える企画提案-アイデアがみるみるカタチになるFreeMind仕事術」です。
2010年3月の出版以来、私はその本をテキストに
3時間仕事術セミナーと、
海外ソフトウェアのローカライズ(日本語化)という新しい道に踏み出すことができました。
私の使命は、『
人の役に立つものを創り、伝え、未来を拓くこと』、『
3時間仕事術を通じて、その人のアイデア実現に貢献すること』です。
新しい物好きで器用貧乏な私は、アイデアを持っているのにうまくまとめられない人を見ると、ついつい頼まれもしないのにおせっかいをやいてしまいます。
そんな私ですが、あなたのアイデア実現のお役に立てるなら、この上なく幸せです。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。