プロフィール

ニックネーム
thomas-penfield
性別
男性
誕生日
1929年、東京大森帝国女子医専付属病院にて出生。
血液型
AB型
出没地
米国東海岸区、英国、アイルランド、ポーランド、イタリア、日本

自己紹介

東京生まれ、満洲で少年期を過ごした朝鮮族アメリカ市民。

太平洋戦争直後1948年夏、少年のまま単独来米。
アメリカで高校と大学卒業、徴兵され、米国陸軍兵士として服役後帰化。
在米62年と83歳を越えた。
上掲写真右側の老人黒眼鏡が僕。左側がChuck。
Chuckは僕との共同生活が43年。もう70歳。

二人で老齢化する母親二人の面倒を亡くなるまで、25年間、一緒にみた。

マイプロフィール

出身校
米国、ダーツマス(Dartmouth)大學 & ミシガン大学大学院。
ホームページ
http://ameblo.jp/thomas-penfield/

定番

好き嫌い

その他

趣味。
読書。水彩画。写真。
社会奉仕。
教会給食活動。男性路上生活者対象。

ようこそ、フィラデルフィアへ。


ご訪問ありがとう。

フィラデルフィアは米国東部海岸、ニューヨークと首都ワシントンのほぼ中間にあるアメリカ最初の首都です。米国独立宣言書が起草された町、言わばアメリカの京都です。

太平洋戦争直後、単独で身分証明書だけの事実上無国籍で、アメリカに参りました。当時、一ドルが360円、日本製品が「Made in occupied Japan」と記録されたご時世でした。あのころ、日本人留学生なんてまだ居ませんでした。

戦争の硝煙がまだ消え去って居ない世界で、1948年の夏ハネダでソウルからのノースウエスト機を降りて空港脇の米国陸軍将校食堂で夕食をとりました。食堂の窓を通して眺めた東京風景は一面の焼け野原でした。

道路の向こう側に白い壁をむき出した半崩れな3階建の建物が、どす黒い焼煙のあとを残したまま孤立していたのを覚えています。東京大空襲の僅かに3年後でした。

東京を飛びたって、青森、アリューシャン群島のシェーミャ島、アンカレジ、エドモントン、ミネアポリス、デトロイト、ニューヨークと八つの空港を下ったり、昇ったりしてボストンに着くまでまる三日かかりました。飛行時間が53時間でした。

中学四年だけで卒業したあと、三ヶ月で旧制旅順高校が廃校となってしまったので、アメリカで高校を終えなければなりませんでした。

こちらの高校を一年間で終え大學を卒業し、大学院から徴兵されて3年間アメリカ兵士として米国西南部で過ごし、市民権を獲得し、大学院を終え、大學の司書・教員生活を終えて隠居しました。

兵役服務中、仲良くした米国赤十字社職員女性が日本から送ってくれた、大岡昇平の俘虜記を米国陸軍兵舎の寝台に寝転んで、兵服を纏ったまま読み終えました。野火が映画化される前でした。

あの1948年から、もう60年以上経ちました。

来た時JAPという単語が新聞で平気の平左で使われ、黒人リンチの消息が公然と載り、仲良しだったゲイ白人青年たちが南部に黒人投票権運動で活躍しては、ぶん殴られて頭に包帯を捲いて大學に戻り、朝鮮戦争とヴェトナム戦争が続き、ケネディー大統領が暗殺され、二十一世紀になったら9.11事件で世界貿易センターがイスラム過激分子により爆撃され、今度は黒人のオバマが大統領に当選しました。

今後も、アメリカはどんどん変化することでしょう。

日記ですので、僕のまわりの出来事を主に綴り続けるつもりです。
勿論僕は学者ではありません。傘寿を過ぎた身ですので、嫌いな本は読まないし、好きな本だけを読んで余生を過ごします。この日記は僕自身の備忘録であるだけです。

議論が目的ではない、平凡な老人の単なる日記です。たいした内容ではありません。

ただ、貴方がご存知ないなまのアメリカを少しでも紹介させていただきましたら嬉しいです。


Thomas

おことわりしますが、僕は北朝鮮国籍でも韓国籍でもありません。

日本と満州少年期育ちの朝鮮族系アメリカ市民です。
アメリカで60年以上、人生の80%をこの国で暮しました。
僕はアメリカ市民であることを誇りに思います。

東洋の習慣では、ともすると国籍と族籍の区別がないので記しておきます。













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