蓼科高原ペンション・サンセットのオーナーが自由奔放に書きなぐっているブログです。
「たてしなラヂヲ」というのは、もちろん、ニックネームです。
ヘンな名前ですが、あやしいものではありません。(笑)
ペンション・サンセットもちゃんと実在する私のペンションです。
フィクションではありません。(笑)
ホームページは
http://www.p-sunset.com/ です。
1996年7月1日以来すべて自分で手作りで運営してきました。
「客として来たりて友として去る」というのがわたしのペンションの理想とするかたちです。
もちろん現実にはそれはなかなか困難なことなのですが・・・
「おれ・おまえ」的な濃密な人間関係は得意ではありません。
また、利害関係で結びついた友人関係は好きではありません。
互いにほどよい距離を保った「淡交」がわたしの理想です。
わたしはここにいます、あなたがそこにいてよかった、と。
大切なのはお互いに「違い」を認め合うこと(respect)だと信じます。
「一期一会(いちごいちえ)」の出会いを大切に思っています。
しあわせとは自分が自分であると確信できること、
そしてそのような自分であることを許されることだ、
と信じています。
お気軽にコメント下さいね!
☆たてしなラヂヲ☆
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以下余談ですが、いろいろ書いてみました。
重複箇所も多いですが、ご興味のある方のために・・・。
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信州蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットのオーナー。twitterの波に乗るのが好き。新しいもの流行もの大好き。ユーモアセンスがあり、明るい人柄なので誰からも愛されちゃう…かどうかは定かではない。理解されなくても、愛されなくても、まあそれはしょうがないかなと思っている。(。・ω・。)
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『 神秘とは,世界が《いかに》あるかではなく、世界があるという《そのこと》である。』
といったのはウイトゲンシュタインですが、前段にはもっと魅惑的な言葉が記されています。
『世界が《いかに》あるかは、より高い次元からすれば完全にどうでもよいことでしかない。神は世界の《うち》には姿を現しはしない。』
ね、魅惑的でしょう?
え、どこが???・・・という人も当然いると思います。それが自然ですよね。これはぼくのきわめて個人的な感慨なのですから。
ということでぼくはひとがなにをどのように感じ、考えようと、その事実を尊重します。しかし、自分で確信したこと以外は決して「同調」はしません。
大切なのは自分で感じ、自分で考えることであって,ひとに指図されたり説得されたり信じたり行動したりすることではないからです。
睡眠不足でなに言ってるのかわからなくなってきました。
あらためて書き直したり書き加えていきます。
とにかくよろしくお願いします。
(o^^o)
★★★
思考と沈黙
思考する日々が30年、いや、子供の頃を加算すればもっと。
「思考するこども」なんてちょっと異様な感じかな。
それでもなお、ぼくはそれ以外の表現を見つけられない。
ぼくは思考する子供であり、思考する青少年であり、思考するおとなであることをやめることは出来なかった。
そんなことやめてしまったほうがさっぱりと楽に生きられることはわかっていた。
いまだってよおおおくわかっている。
でもね、そうすると自分が自分でなくなっちゃうのよ。
わかってもらえないかもしれないけれど。
思考し続ける自分こそが、ありのままの自分なのだから。
そんなぼくにとっては、思考と記憶との対話がまさに「人生」ということになる。
だから「思考」同様に「記憶」が大事なのだ、個人的には。
問題は思考力は訓練すればするほど明晰になっていくのに対して、記憶は時とともに曖昧になっていくということ、年齢とともに再生産されたり編集されたり捏造されたり,要するに休むことなく変容していくという事実なのだ。
「この世界」は我々の認識した、個人的な世界像である。
「認識」とはわれわれが知覚し認知した「事実」である。
「現実」とはそのような「事実」から描き出される世界の影に過ぎない。
厳密な意味においては「いま・ここに・ある」としか表現され得ない「リアリティ」があるばかりだ。
「現実」などないのだ。「真実」などないのだ。
少なくとも、一義的な現実や、唯一無二の真実などというものはない。
なぜならば、それを語る主体たる「人間」はそもそも一義的でありえないからだ。
この世界の主体としての語り部は「神」ではない。
ぼくは沈黙することを選択する。
“真理”は、自己の思考が完全に終焉したときに、向こうからやってくるものである。
ー クリシュナムルティ
★★★
今、知りたいのは、ただひとつ、自分の使命っていったい何だろう、ということなのです。
・・・とあるひとが問いかけました。それは永遠の命題ですよね。でも、そんなに大げさなことではないのかも知れませんよ。
この世界あるいは「神」が望む「自分の使命」とは「あなたがあなたであること」ただそれだけだと思います。
あなたがありのままのあなたとしてそこにいてくれるだけで十分なのだ、と。
それ以上はあなたが自分に望んでいることです、たぶん・・・。
☆たてしなラヂヲ☆
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