顔を知らない祖父は海防艦の砲台任務でした。
終戦の年になって5度めの輸送船団の護衛にフィリピンに向かいました。
途中、台湾近郊のバッシー海峡にて米軍爆撃機に発見され沈没し戦死しました。
たいした供養もできずに過ごした20代、あまりにも戦争の重みに無関心だった。
結婚相手の母が霊能者でありサイパン供養を毎年継続しておりましたので、私も初めて参加してから20年が経過しました。
今では祖父の供養はもちろん、若くして大戦で亡くなった全ての供養をさせて頂くために毎年行ってます。
戦争の悲しみをさまざまな角度から見つめ、次世代に伝えるために日々精進しております。
中西 貴之