私の履歴書
YASUHIRO HAYASHI(はやしやすひろ)
1982年9月16日(0歳)
藤沢市民病院にて産声を上げるはずだったが息をしていなかったため、緊急入院。しばらく箱に入れられていたらしい。まさに急死に一生を得た。
1989年4月(6歳) 平成元年
平戸台小学校に入学。小学校の入学テストらしきものがあったようで、そのテストで「電車」と応えられなかったら、特別学級に入ることになっていたらしい。大変泣き虫で、人前に出ることが大嫌いだったが、僕が小学校3年生の時の担任だった遠田先生に見出され、才能を開花させた。というか、無理やり人前に立つはめになり、その後の僕の人生が大きく狂ってしまった。
1995年(12歳)
平戸中学校に入学。他の私立中学校を受験するも全て不合格になり、公立中学校へ行くことになった。あまりにもふがいない自分が許せなくて、その年、毎日3時間ほど勉強や読書に明け暮れた。矢島先生に才能を見いだされ、生徒会長に推薦。これだけは本当にやりたくなかったのだが、断り切れずやるはめに。正直、精神的にちょっとおかしくなりそうだったが、この経験がその後の人生に大きな影響を残した。
1998年(15歳)
光陵高等学校に入学。他の私立高校を受験するも全て不合格になり、公立高校へ行くことになった。中学受験に失敗した教訓を生かしきれず、自分の精神的な弱さを鍛えるために剣道部へ入部。毎日、軍事訓練を受けているような感じで、精神面で強くなった。ただ、中学時にレベルの高い塾の教師から教えられていたせいか、高校の教師の教え方があまりにもヘタクソでレベルが低すぎたことに愕然とした。当然、学問には興味が持てず、読書とヘタクソなピアノに明け暮れた。
2001年(18歳)
フリーターへ。他の私立大学を受験するも全て不合格になり、フリーターになってしまった。中学、高校の受験に失敗した教訓を生かしきれず、自分の存在が何なのかさえわからずふるえていた、そんな18の夜。浪人し、もう一度自分を見つめ直すため、本を100冊以上読み、受験勉強も激しくやった。しかし、途中で受験勉強の無意味さに気がついて、おなじみのヘタクソなピアノをひいたり、本を読んだり、音楽聴いたり、映画見たり、適当に過ごした。
2002年(19歳)
慶應義塾大学へ入学。まさに奇跡が起きた。モーゼが海を真っ二つにしたような奇跡が起きてしまった。この年、法科大学院が設立され、法学部人気に拍車がかかり、人気のなかった経済学部に照準を絞って勉強した戦略が功を奏したのかもしれない。テニスサークルとワグネル男声合唱団へ入部。合唱サークルでは責任者という統率する役職へ就任。低迷を迎えていた男声合唱の再興と復権を果たすべく尽力した。当時、四連で「雪明りの路」を歌い終わった後、一瞬の静寂、その後のお客様からの割れんばかりの拍手は今思い出しても感動で背筋がふるえるほどのものだった。
2006年(23歳)
日本電気株式会社へ入社。特に製品に興味があったわけではなく、なぜ、自分が入れたのかいまだによくわからない。ちょうど景気がよく学生が企業を選ぶ時代だったので、随分就職がしやすい環境だった。しかし、現実は厳しく上司はうつ病で倒れ、自分も毎月100時間以上の残業をすることが多くなった。この時、サラリーマンとは何か、働くとは何かということについて真剣に考えるようになった。
2009年1月(26歳)
某化粧品株式会社へ転職。前職の経理経験をかわれて入社。大企業から転職することはまずあり得ないことなので、入社した時には随分好奇の目でみられた。女性が多い職場でそれだけで精神的に大変だった。
2010年10月(28歳)
昇格し、現在に至る。最近は、足が遠のいている男声合唱の練習に参加しようというかOBから参加してよという誘いがあり、仕事の合間を縫って参加しようと検討中。