自己紹介します
■ 信念を持った父と情深く世話焼きの母
栃木県鹿沼市出身
信念を持って武骨に歩む父と情深く世話焼きの母との間に次男として生まれる。
中卒で上京した父は向上心が強く、職を転々しながらも日々仕事の向上のため勉強し、70歳で体調を崩すまで働く。今は趣味として水墨画の勉強をする。
母は、8人兄妹の長女として生まれ、明るく面倒見がよく、70を過ぎた今でもボランティア活動やコーラスグループに行っている。
そんな両親の背中を見ながら、信念の大切さと対人に対する姿勢を学ぶ。
■ 人間不信とオタクへの道
・小学生時代、低学年時のいじめにもめげす行動派になった私。しかし、小学5年に大きなつまずきを経験する。
それは、授業中に起こった出来事。
自分はとあることから、クラスのみんなに好きな女の子を告白。一瞬の静寂の後、周りはもちろん先生まで大爆笑の渦に。その後の何週間は奇異の目で周りから見られるはめに。
それが大きな傷となり人間不信の始まりになり2次元世界へと傾倒していく。
・しかし、それでも父の姿や母の姿を見ていたせいか、中学はバスケット部、高校は体操部に所属し、何かと活動的だった私。しかし、また大きなつまずきを経験する。
高校2年の時、親友と部活の練習方法で対立、結局、喧嘩別れとなり部長であるにもかかわらす私は退部。
さらに人間不信へとすすむことになる。
・大学時代、過去の経験からか宗教系のサークルにはまるも、解決の糸口もなかなか見つからなく、人生について悩み、何もやる気もなく、理系にもかかわらず大学を休みがちに・・・・・
その間、漫画の立ち読みやゲーセンのアルバイトなどしながら、人生を怠惰に使う。
なんとか温情で大学卒業するも、7年かかる。
卒業式の日、トイレで大学教授に「人生なめてんのか、お前のようなやつはどうにもならん」
と吐き捨てるようにいわれる。
■ 私の中に眠っていた強烈な“想い”
大学のサークルに通い始めた頃、私にとって強烈な出会いがあった。
それは朝日新聞の投稿の記事。
なんてことはない投稿の欄、ある主婦が、寝たきりのおじいちゃんの介護してた際、おじいちゃんが今度来る孫の喜ぶ顔をみたくて、1000円札をその主婦に準備してもらうようお願いする話。
そして、そのおじいちゃんの喜ぶ姿ををその主婦が感動して投稿した内容だ。
なぜか、その話を読んだとき、男ながらに涙が止まらなくり、そして心に想いが湧き上がる。
「人に喜んでもらいたい。笑顔の顔を観たい。せめて、肩でも揉むくらいならできるんじゃないか」 と。
しかし、その想いも日々の生活の中深い眠りにつく。
■ 人に喜んでもらいたい。笑顔の顔を観たい。
冴えない大学生活のなかで、自分を守るために造った虚栄心を持ちつつ社会に出た私。
職を転々としながら、たどり着いた三軒茶屋
そこで、昔好きで勉強した占いとグッズを売りながら極貧生活をする。
しかし、そんな中、人の悩みを聞き、相談を受けながら、ふとしたきっかけで過去に眠っていた想いを思いだす。
「人に喜んでもらいたい。笑顔の顔を観たい。せめて、肩でも揉むくらいならできるんじゃないか」
じゃあ、自分は何を通じて人を喜ばせばいいのだろうか。
そう、父はよく病気をしていた。若い頃から仕事を頑張りすぎたせいだろう、なんども手術をしている。
10数年前にはガンになっている。今も薬は手放せない。
そうか、やはり人間は健康でないといけない。
健康でこそ、人は幸せになれる。そうか健康で世界中の人を笑顔にしよう。
それを具現化するために、占いをしながら健康食品の会社で勤め、ノウハウを学ぶ。
現在、三軒茶屋栄通り商店街で健康サロンのスタッフとして働く
私の夢は全世界の人に笑顔になってもらう事。そして幸せになってもらいたい。
そして、そのお手伝いを少しでもしたいと思っています。
出会いを大切にし、世界中のどんな人でも友人になって、家族ぐるみで付き合える人を1000人つくることです。
【過去の経歴】
・1995年 卒業後、もちろんまともに就職できず、名古屋、大阪など転々する。その間、とある団体職員の総務や、
百貨店の中国物産展でコンピューター占いをしたり、同様に百貨店でローヤルゼリーを販売をしながら社会経験をつむ。
・1998年 東京三軒茶屋で、占いやグッズ販売でほそぼそと暮らす。
・2002年 健康食品の会社に務める。そこで経理をしながら、整体・健康について学ぶ。
・2008年 健康食品販売会社の設立時に立ち上げスタッフとして参加、その後取締役になる。
・2011年 さらなる飛躍のため取締役辞任。フリーとなる。
2011年1月現在、台湾出身の妻と2歳の長男、10ヶ月の長女の2人子供のパパ
その他、子育て情報誌お母さん業界新聞、お母さん大学でお父さん記者として子育て支援を展開中。