アメリカ留学から帰国し、英会話スクールを経営するまでの道のり
アメリカ留学失敗・・・失望の中、帰国
アメリカ留学から帰ってきた私は、英語力に関しては「敗北感」でいっぱいでした。そして、さらに私から自信を奪う出来事がありました。
それは、ある外資系企業での英語での面接の時のことです。やりとりは以下のようでした。
面接官:「あなたのセールスポイントは何ですか?」
私:「え?何って言ったらいいんだろう?その~、つまり~、経験です。」
面接官:「経験ってどんなもの?」
私:「アメリカでの経験です。アメリカに2年いましたので。」
面接官:「そのアメリカでのどのような経験がセールスポイントなのですか?」
私:「え?それはその~、あのですね、いろいろな貴重な経験です。学校とか旅行とか友達とか。」
面接官:「・・・・?」
このやり取りの中で私が自分の経験について本当に伝えたかったことは上記のような幼児が話すようなことではなかったんです。
「アメリカに2年間住むことによって得た、日本ではなかなか得難い経験です。たとえば、英語の習得、現地で築いた交友関係、現地の大学に通い得た様々な知識、旅行で実際に見聞きしたアメリカという国の内情など・・・」と、本当は山ほどあったんです。
でも言えなかった。
日本語でなら、人並み以上の表現力には自信があるのに・・・。
これはそんなにはるか昔の話ではありません。今でも顔から火が出るような恥ずかしさと悔しさが蘇ってきます。
今でこそ、英会話スクールを立ち上げ、英語しか話せない外国人講師達を雇い、自分でも生徒さんを教える立場になりましたけど、ほんの何年か前までは、上記のように本当にひどいありさまだったんです。
では、どうやって私は、そんなレベルから、自分の英語力、とくに、英会話力を伸ばすことができたのでしょうか?努力家からはほど遠く、頭もほんの人並み程度でしかないのにです。興味のある方は以下を読んでみてください。
日本で英語がうまくなるコツを掴む!
当時、とても英会話の上手な先輩がいましてね。アメリカから帰ってきて、その先輩と外国人スピーカーのホステスばかりがいるバーに飲みに行ったんです。
そこで、私も少しばかりは上達したところを見せようと頑張って英語を話そうとしたんですけど、まったく彼には歯が立たなかったんですよね。悔しいけど、役者が違った。
とても敵わないことに気づき、私は気を取り直して、彼のホステス達との会話のやり取りを観察することにしたんですね。そこで、自分の英語との違いを見つけてみようと思ったんです。
一番の大きな違いは、彼の英語を話すときの「スピード」と「リズム」でした。
当時の私が英語を話す時は、既に頭の中に入っている表現やセンテンスはそれなりに話すことができたんです。
でも、自分で何か新しい、これまでに話したことのなかったような内容について考えながら話さなくてはならない状況になると、途端に話し口調がたどたどしくなってしまう。
それに対して、彼の話す英語というのは、とにかく常にスピードが乗っていて、一定の心地よいリズムがあり、どもったり、詰まったりして乱れることがほとんどないんですね。だから、聞いていると、本当にスムーズで、いかにも「ペラペラ」話している感じがするんです。
それから次に気づいたことは、彼の使っている語彙表現や構文などが、思いのほか簡単だったということです。時には、「え、こんな簡単な言い回しでいいの?」とこちらが驚くくらいに易しい言い回しを使って自分の話を組み立てていくんですよ。
それでいて、相手の外国人には明らかに話のポイントは伝わっていて、しかも、話をぐいぐいリードしていく。
「これなら俺にもできる!」まさに目から鱗が落ちるようでした。
アメリカ留学中の私は、とにかく「外国人のように」話すことにこだわりすぎていましたね。そして、外国人のように話すことを意識しすぎると、ちょっと凝った「慣用表現」とか少々複雑な言い回しを常に使わなければいけないかのように思いこんでしまうんですよね。その結果として、余計に言葉がスムーズに出てこなくなってしまうんです。
だけど、この先輩の英語を聞いていると、とにかくわかり易い語彙や表現を上手く使っているんです。彼自身は帰国子女でもなんでもなく、留学経験すらないわけです。
ですから、もちろん、彼の英語は私が目指していたような外国人の話す英語とは明らかに違うわけです。
それでも聞いていて「かっこいい」くらいに流暢だし、実際に外国人達もその話の内容に惹きつけられて思わず聞き入ってしまうわけです。
この日以来、僕の目指す方向がはっきりしましたね。
つまり、新しい知識を入れることばかりに集中するのではなく、既にストックしてある知識を「自在に使いこなせる」ようにすればいいわけです。
考えてみれば、アメリカ留学以来、ボキャブラリーの強化、リスニング力の強化ばかりに目を奪われ過ぎていましたね。でもそのアプローチでは実際、なかなか思うように話せるようにはならなかった。
僕は思い切って、しばらくの間、「新しい知識」のインプットと「リスニング力強化」のための練習は忘れることにしました。
そして、とにかく「話す」こと、しかも、あの先輩のように「既に知っている知識」を活かして、スピーディに、リズム良く「話す」練習だけを追い求めていくことにしたんです。
それでは実際にどんな練習をしたのでしょうか?
「知ってる」知識から「使える」知識へ
先輩の話す英語に大きなヒントを見つけた私は、そのヒントを実現化するべくいろいろと模索しました。
とにかく、既に自分が「知っている」、「わかっている」語彙や構文が、スラスラとタイミング良く、リズム良く、口から出てくるようにするためにはどうしたら良いのか?どんな練習法がベストなのか?
そして、あれこれ考えた結果、やはり学校へ行ってプロから習うのがベストなのでは、とその時点で考えるに至りました。
それも外国人講師達が担当するような英会話スクールではなく、日本人でありながら英語を話すプロである「通訳」が教壇に立つようなスクールが最も効果的だろうって思ったんですね。
というのは、通訳の人なら、私の先輩の英語のスピーキングスキルをさらに上回っているだろうし、そういう人なら、きっとどうしたら自分の中に既に「持っている」知識を実践で「使える」技術に変えることができるのか、ということに対してのノウハウを教えてくれるはず、と直感したんですね。
そこで都内にある某通訳案内業試験対策予備校に入学しました。
その学校では、週に2回、120分の授業を受けるんですが、レッスンの大半は、通訳案内業国家1次試験で高得点をあげるために欠かせない、英文読解と和文英訳のトレーニングに費やされましてね。
もう少し、実際に「英語を話す」ための実用スキルを教えてくれるのでは考えていた私には、ちょっと違和感を感じる内容でしたね。
しかし、しばらく通っているうちに、担当の某カリスマ講師が頻繁に、「英作文は自分の知っている知識を上手に使ってやること」だとか、「英語を話す練習に相手は要らない」、「むしろ一人で行う練習こそ英語を上手に話すためには大切」などの話を体験まじりにしてくれ、だんだんと「これでいいのかもしれない」と思えるようになっていったのです。
その講師が教えてくれたノウハウの一つに、通訳の人達がセルフトレーニングとしてよく行うという、「一人通訳練習」なるものがありましてね。
これは、電車の中だとかお昼を食べている時だとか、とにかく一人でいる時間に、周囲の情景を頭の中で英語で描写していくものなんです。
例えば、隣りでしゃべっているサラリーマン達の会話だとか、電車の車窓から飛び込んでくる景色など、目につくもの、耳に入ることを片っ端から英作文していく練習なんですね。
そこで私は、「一人で行う英会話のための練習として、英作文が思いのほか有効かもしれない」ということに気づきました。
普段の英作文(和文英訳)練習が「上手に英語を話すための」練習になっているということは正直言ってそれまで考えたこともなかったんですね。
ところが、その学校の課題の和文英訳を行っていて難解な表現や語彙にぶつかり悩んでいると、時々、私の先輩の話す英語が頭に蘇ってきたりして、「あ、そうか、もっと簡単に考えて、自分の知っている範囲内の表現で工夫してみりゃいいじゃん」と気づくと、途端にいい発想が浮かんだりして筆が進むことがあったんです。
そこで、(あれ、これって、ひょっとして、知っている知識を使える実用技術に変える練習してるんじゃないの?)って思い始めたんですね。
だって、和英辞書でも使わない限り、英作文っていうのは、必然的に自分の持っている「知識」だけが頼りなわけですから。
通訳学校へ通うが、それでも話せないのはなぜ?
そんな感じで半年くらいが過ぎて、学校のカリキュラムも通訳案内業試験の2次の「英会話」対策に入りました。私にしてみれば、ようやく待ちに待った外国人相手の「実践演習」のレッスンが始まったわけです。
ところが、いざ、蓋を開けてみると、これが、また、なかなか上手くいかなかったんですね。
この学校に入って、半年間、カリスマ講師の言うとおりに、それなりに英作文のトレーニングをやってきたつもりだったんです(といっても私の性格ですからそれほど一生懸命やったわけでもなかったのですが)。
ところが、いざ、外国人講師に質問されて何かを説明しようとすると、以前とほとんど何も変わっていなかったのですね。
つまり、あいかわらず、途中でしどろもどろになってしまったり、本当に言いたいことの半分も言えないうちに話を切ってしまったりとね。
また、リズムやスピード感も全然ないし、詰まったり、どもったりする癖も少しも進歩してなかった。
ショックでした。悩みました。何故だろう?
一人で英作文の練習をしている時には、それなりにいい表現や語彙がスムーズに浮かぶようになってきていた頃なんです。
実際にその頃、英検の準1級にも合格を果たしたりして、結構自信がつき始めていた頃だけに、本当に落ち込みましたね。
「何が足りないのだろう?」
その頃、結構仲良くなっていたクラスメイト達と暇を見つけては、英会話上達法について話し合いました。
彼らの中には、この学校の他に、英会話スクールに通っている人も結構いて、「やっぱり英会話を上達させたいのなら、実際に外国人と話す事が肝心。一人で英作文だけしているのでは不十分だろう」という意見が大勢を占めることが多かったんですね。
私も英会話スクールに通うことを検討しましたが、すでにこの学校に通っているので、もう予算もなければ、時間もなかったので断念せざるを得ませんでした。
そこで、思いついたのが、県や市が運営する「国際交流」の団体に所属し、外国人スピーカー達と交流を図るというものでした。
これならお金はかからない!(この考えは後で間違っていることが判明したのですが・・・)そこで、早速、いろいろ調べてみたら、ある団体が「ボランティア日本語教師」を募集していたので、それに応募したら、すぐに採用されたんです。
よし、これで、外国人の友達をたくさん作れば、俺の英会話力も飛躍的に伸びるだろう!
ところが、ここでもまた、落とし穴が・・・。
外国人を飽きさせない交友術
通訳案内業試験のための学校に通って半年。
英文解釈と英作文の練習を自分なり(?)にかなりこなしてきて、それなりに実力がついたかなと思い始めていた矢先、2次試験対策の英会話レッスンで外国人にいざ相対すると、からっきしダメでかなり落ち込んだ私。
クラスメイト達のアドバイスもあり、やはり、会話の練習は英作文のトレーニングで「発想」を磨くだけでは不十分、外国人スピーカーと実際に話す練習を重ねなくてはいけない、という結論に辿りついたわけです。
外国人スピーカーと話す、といえばやはり英会話スクールに通うのが一番簡単なわけでしょうが、なにせ、当時の私は、そこまで予算が回らない。
ということで国際交流団体が主催する外国人向け日本語クラスで、ボランティア日本語講師をしながら、外国人の「友達」を作るという戦略を考えました。
さて、いざ、日本語クラスが始まり、私は、オーストラリア、カナダの女性とイギリスの男性を担当することになり、私の外国人友達作り計画にとってはうってつけのスタートを切りました。
彼らの日本語レベルが全くの初級ということもあり、クラスの中でのやり取りは必然的に英語中心になったことも私にとってはまさに理想的のはずでした。
しかし、実際、いざ、日本語の細かな文法や語彙表現などを英語で説明しようとしてみると、これが途方もなく難しい。
最初は、(日本語を教えるくらい簡単だろう)と軽い気持ちでいたんですが、いざ、いろいろ説明しようとしてみると、これは、日本語でだってなかなか上手くはいかないもんです。
そんなわけですから、最初の数回の授業は、彼らも「言っていることが全然わからない」という顔つきで、授業の内容以前に、私達の間にはコミュニケーションはほとんど成立していませんでしたね。
やばい。これほど低いレベルの意思の疎通では、とてもじゃないが彼らとの親交を深めることなど無理だ・・・。
そこで、いろいろ考えた挙句に、まずは授業の説明をわかりやすく正確なものにするために、説明文の原稿を作っていくことを思い立ったわけです。もちろん英語で。つまり、説明文を英作文してみたわけです。
最初は大変でしたけど、ここは、それまで学校でやってきた英作文の練習の成果を確かめる時だと自分に言い聞かせ、なんとかやってみました。
まあ、原稿を英作文するといっても、根っからの怠け者ですから、あまり時間はかけたくなかったんですね。
ですから、原稿作りはもっぱら直前に電車の中でささっとやる程度でしたけど。
でも原稿を用意したおかげで、その後の授業は予想以上に上手くいくようになりましたね。
最初は自分の英作文が彼らに本当に通じるかどうか不安でしたが、実際に彼らから「あなたの説明はわかりやすい」と言われてみて、かなり自信を深めることができたのです。
当初は、私を英語の初心者扱いしてあまりコミュニケーションを取ろうとしなかった彼らも、私の意外に高い(?)英作文力を知って以来、あきらかに態度を変え始めましたね。
次第にレッスンの前後に、私は「雑談」を持ちかけられるようになってきたんです。
今にして思えばたいしたことを話していたわけではありませんが、それでも当時は「この機会を逃してはいけない」とばかりに必死で彼らの問いかけに対して答えようとしていましたね。
そのうちに行き帰りの電車の中で授業の内容ばかりかこの雑談についてもちょっとしたメモを用意するようにさえなりました。
そうこうしているうちに、彼らともかなり打ち解けてきて、やがて、レッスンの後はちょくちょく飲みにいくようになっていきました。
私にとってはまさに「願ったり叶ったり」で喜ばしきことのばずなんですが、この「飲んでいる席」での彼らとのやりとりがまた大変なわけですよ。
ご存知の方も多いことでしょうが、アルコールが入ってリラックスした外国人と話すことほど難しいことってありませんよね。
彼らはもう途中から私が英語を母国語としていない、しかもまだ学習中級者であるということなど、すっかり忘れてしまうんですね。
そして、自分たちの「言いたいことだけ」を話し「聞きたいこと」だけしか聞いてくれなくなるんですね。そうなるともう悲惨です。
当然のことながら彼らとの話題も、「日本にはどれくらい滞在しているの?/あと、どれくらい滞在するつもり?/日本の中のどこへ行ったことがあるの?/日本の食べ物の何が好きですか?/京都や奈良に行ってみたらいいですよ/浅草の仲見世とか上野のアメ横とかも面白いですよ/日本語はどれくらいしゃべれますか?・・・」などのようなステレオタイプな内容だけでは通用しなくなってきます。
じゃあ何を話せばいいのか?何をどう話せば彼らは喜んでくれるのか?英文を頭の中で組み立てることができるようになり、それなりに話せるようになってきた時、今度はこの「話題」という壁にぶつかってしまいました。
みなさんも同じような経験はあるんじゃないでしょうか?
しかし、今にして思えば、この「話題の壁」は、外国人との交友を深めていくうえでの最後の大きな壁でしたね。
外国人と仲良くなるきっかけは「自分勝手に話すこと」
そしてこの壁を乗り越えるのは、勉強や練習によるというより、ある種の「開き直り」が、私の場合、有効でした。
その開き直りというのは、つまり、こちらも自分の「言いたいこと」だけを話し、「聞きたい」ことだけを聞けばいいじゃないか、というようなに心構えを変えることでした。
つまり、それまでのように、外国人達がどんな話が好きかということにはあまり神経を使わないことにしたわけです。考えてみれば、日本人同士だって話が「合う」、「合わない」があるわけですから、外国人と一口に言ってみても十人十色で、彼ら全員に受けるような話題を考えてみても仕方がないわけですからね。
また、よく言われるように、外国人は「自分の意見をしっかりはっきり言う」ことを好むということも意識しましてね。
外国人と飲んでいる席上でも、それまでの「聞き役」中心で、にこやかに打つ相槌だけがとりえの「うなづき君」から、態度を一転してみせたんですね。「俺の話も聞け!」という具合にですね。
とは言っても、それまで長きに渡り「うなづき君」だった私が、いきなり「マシンガントーク」を展開できるはずもありませんよね。
それ以降も当然、自分の話そうとする内容を伝えきれなくてイライラしたり、途中でしどろもどろになってしまい落ち込んだりする日々が続くわけです。
でも、上記のような「開き直り」のおかげで、少なくとも「何を話せばいいかわからない」というようなことは無くなりました。だって、自分の言いたいことだけを聞きたい人だけに話せばいいわけですから。
そして、自分の言いたいことを中心に話が進むようになっていくと、自分の話している時間もだんだんと長くなっていきましたね。
自分の話したい話ですから、あらかじめ、頭の中で道筋を考えておけるわけですから。そうなると英作文のスキルが活かせますし、話の内容もどんどん膨らましていけるようになるんですね。
やがて、飲み会の席上で、気づくと私の話を外国人達が4~5分聞き入っているということも珍しくはなくなりました。
そうなるとますます彼らとの交友も深まり、彼らから週末に様々なパーティや飲み会に誘われるようにもなっていったんです。
そして、この頃になると、自分が英語を話すのが苦手だというコンプレックスもほとんど消えていましたね。
こうして、ちょっと心構えを変えるだけで、外国人との交友が見違えるように楽しくなりました。言葉は違えど、彼らも私達と同様に、先進国で生まれ育った同じ人間なんですよね。
こんな当たり前のことが、「英語」という側面を意識しすぎると、時に見えなくなってしまうんですね。
日本語なら饒舌な人が英語となると途端に無口になってしまう。こんなことも案外そのあたりに原因があるのかもしれませんね。
ちなみにこの時の私の日本語クラスの生徒達がその後、現在のSEC英会話スクールを立ち上げた時、講師として参加してくれました。おかげで、今では相当な数の外国人との交友を持つようになりましたが、彼らとの交友はもちろん今でも続いていますよ。
ここまで読んでくださった方で、英語が伸び悩んでいる人には、ぜひ、最後に以下のメッセージを贈りたいですね。
「工夫すれば、年齢にかかわりなく、英語は必ずモノになる」