〈ここまでのあらすじ・・・〉
僕と小野グループとの出会いは2000年の夏でした。東京から帰ってきたばかりの僕は迷ってました。
独立か就職か。
就職も今まで積み上げてきた”酒”の道に進むのかそれとも”食”の世界にとびこむのか。答えのでぬまま日雇いのバイト等で食いつなぎ空いた時間でいろんな飲食店の面接に行く日々でした。
しかし問題が。
面接を何度繰り返しても熱い気持ちになれない、自分が熱く語れば語るほど相手が引いていく。そんな感覚を幾度となく感じました。
自分の夢がなんなのかさえわからなくなっていました。
そんな生活が3ヶ月程続きこの街にも縁がなかったのかなとあきらめの気持ちが出始めたとき僕は吸い寄せられるようにオーナーと出会いました。
会った瞬間情熱が伝わってきました。そして何時間話したでしょうか。
オーナーからこんな言葉がでました。
「自分は料理人やからサービスなんて語れない。でもすべてのお客さんを、心からもてなしていきたい。そしていろいろジャンルの違うお店を展開していきたい」
僕の迷いは消えていきました。”酒”とか”食”そんなのどっちでもよくなりました。
そして僕はゼロからという気持ちで無我夢中でダイナーズ小野で働きました。
そしてそんな日々が半年位経ったころ面接時に話した事が現実となりました。
「2号店としてバーをやらないか」
予想よりはるかに早い展開の出店に胸を膨らませながら2001年3月ダイナーズバー小野がオープンしました。
しかし蓋を開けてみると散々な結果でした。1日1組の日もありました。
誰か電話で呼びたくとも福岡に来たばかりの僕と当時大学生だった森(現・社長室長)には電話する相手さえ一人もいずつらい毎日でした。
今考えるとオーナーはよくそんな二人に店を託したものです(笑)
唯一の希望といえば本店が満員で入れなかったお客さんがしょうがなく姉妹店という信頼で来店してくれたことでした。
しかし本店頼みで売り上げがつくれるほどこの世界は甘くなく、その年の8月には売上の方も底の底をついてしまいました。最悪の状態でした。
とりあえず森には強がって「今にみててくれ」とよく言ってました。やめられると困るので・・・・<笑>そんなダイナーズバー小野の出発でしたがひとつだけラッキーだった点がありました。
それは僕も森も失うものが何一つないことでした。そんな僕たちができること。
それはコツコツと地道におもてなしすることだけでした。
すると少しずつ少しずつに口こみでお客さんはひろがっていき一般のお客さんからも同業者からもかわいがって貰える店に成長しました。
<現在、当時アルバイトだった桑野淳が引き継いでくれ今もなお伸びつづけてます>
そして2005年7月豚家小野開店。
愛着で一杯のバーを離れてチャレンジした豚料理専門店です。
オープンの半年以上前から名物となるカルビ焼きのタレを試行錯誤の日々でした。
何十種類もつくった中から選び抜いたタレをくぐらせて焼き上げられる”豚カルビ焼き”は絶品です。
この名物は予想を遥かに超える評判と評価を頂きオープン以来大盛況でした。
その後僕は『麺やおの』の大規模リニューアルに携わり更に『舞鶴ばーる小野』『CHINA ONO』『丸鉄おの』『会員制SALON ONO』『HAKATA ONO』などたくさんのお店をプロデュースする機会を頂きました。
本当に本当に感謝です!!
僕はこの会社に入ってたくさんのスタッフと出会い本気で働き、本気で笑い、本気で話し合い、本気で口論しあい、本気で向き合っきました。
去っていった者たちも含め最高の仲間たちです。
これからこの仲間たちや、今から出会うであろう仲間たちとこの先いろんなスタイルの店舗にチャレンジしながらお互いが人としてもっともっと高めあえると思うと胸の鼓動がとまりません。
これからもお客さんもスタッフも最高の楽しめる店造りを第一に飲食の素晴らしさを伝えていけたらこんなに幸せな事はありません!!
こんな僕がお届けする感動一杯の“日々告白”お時間ゆるす限りどうぞお付き合いくださいませ。