美智の半生を紹介します(笑)
米どころ宮城県登米市中田町出身。ぶどうを中心とした専業農家を営む両親の元に4人兄弟の長女として生まれる。幼少の頃から文章を書くこと、絵を描くこと、漫画を描くこと、工作することなどの創作活動に興味を持っていた。整えられた遊び場がない大自然の中、農業の手伝いの傍らで、あらゆるものを使って工夫して遊ぶことを学ぶ。この頃から同時に様々な本や、漫画等にどっぷりと親しむようになる。
13歳の時に見た『天使にラブソングを2』で歌に初めて感動して心を大きく震わせる。音楽を奏でることにとても憧れるが、音楽に関する情報も無く、音楽をやっている人もいない田舎だったため、無謀だと思い諦める。
汗を流し、かっこよく走るスポーツ少女という肩書きがやたら気に入り、中学から大学まで約10年間、体育会系のバスケットボール部に在籍する。中学から真剣に全てをバスケットボールに注いで継続は力なりを知る。中学ではキャプテンを務める。また、長距離が得意だったため、駅伝の選手にも抜擢され、期待の星と呼ばれチームを引っ張る。
高校ではバスケ部で副キャプテンを務め、宮城県大会でベスト6になる。
学校生活では歴代初の女性での生徒会長になる。卒業式で任された答辞と共に、式全体のプロデュースを行う。その時、音楽とのコラボレーションが式に多大なる影響を及ぼすことに深い感銘を受け、音楽の素晴らしさとパワーを改めて思い知る。また、宮城の英語弁論スピーチコンテストで優勝する。その後、全国大会に出場する。
必死の受験勉強の末、筑波大学第二学群比較文化学類入学。親元を離れ、勉強に専念するつもりがなぜかまたバスケットボールに魔法のごとく引き寄せられ、 全国でも名高い筑波大学女子バスケットボール部に入部し、日々精神と肉体の鍛錬に励むことになる。学内では比較現代文化専攻。勉強と部活動とアルバイトを両立させながら、憧れのテレビ局のアナウンサーを目指すも、断念。
その後一般企業に就職の内定を貰うが辞退してしまう。無事に大学卒業をするも、表現者として生きていきたいという、あてもない道を模索し始める。このとき宙ぶらりんな自分自身の不甲斐なさに嫌気が指し、ランナーとして日々走力を鍛えることを己に課す。そして、その後フルマラソンを3度も完走。自分がどこに向かっているのか分からなくなる。
紆余曲折の末、2005年12月に、アレンジャーの近藤芳樹と出会い、悩みながらも2007年にボーカリストになることを決意。持ち前の負けん気を大いに振りかざしながら、生涯をかけて音楽と共に生きていくという壮大な挑戦が始まる。
歌の奥深さにすっかり魅了され、体育会系一本だった道から180度の転身を成し遂げ、悲願の音楽活動を東京でスタートさせる。
また、かねてから得意な文章を書くことを仕事にするべく、文筆家、作詞家としても一歩を踏み出す。
2011年、作詞家、ディレクターとしてメジャーの事務所に拾って頂きました
さてさてこの先の旅路やいかになりましょうか??