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◆17才でハイスクールをハイにクールにドロップアウトした後、北アフリカに飛び、陸路でガザ地区へ。その後イスラエルに正式入国し、地中海船舶で船乗りになり、途中ロードス島で勝手に下船。連絡船に乗り込みトルコに渡った後、イラン・イラクの国境地帯でティピカルでラディカルなゲリラ活動を続けていたクルド労働党(PKK)のボスを追い、山奥の名もない村で日本赤軍と間違われトルコ軍に逮捕され、しばし監獄生活。その後はバングラディッシュからアムステルダムへヒッピーとして数年間西へ東へ…。ハタチになった直後、80ドルを握りしめ真冬のニューヨークへ。バーやレストランから依頼された装飾画の制作や路上での墨絵売りで生活をするも、一年もしないうちに当時妻が住んでいたルーマニアへ。以後、約2年間、ルーマニア・ハンガリー=N.Yの往復生活。離婚後、戦火のバルカン半島へ。一時停戦後初めてフェイクビザでボスニアに入国した一般人となる。廃墟のサラエボで詩を書き、独立したてのクロアチアで絵を描き、流れ着いたのはスペイン・バルセロナ。下町のアパートで地元の楽士たちと暮らしながら路上の絵描きに舞い戻る。その後、ポール・ボウルズを尋ねにモロッコのタンジールへ。しかし当人に出会う前に地元のジャンキーたちにサラワレ「カスバの男」…。仕事を求めリスボンへ、しかし病に倒れ、再びバルセロナに腰を落ち着ける。その後、イスタンブール、エルサレム、テルアヴィヴと住所を移し、ありとあらゆる職業をこなし、20代後半に帰国。その後、謎の空白期間を経て「ジャーナリスト」に転身。以降、かつて旅し暮らした中東や東欧、アフリカや旧ソビエトの国々などの難民キャンプを主に取材。現在はそれらに加え、NGO/NPOコーディネートから映画紹介、物書き、道化と、活動の幅を広げたり狭めたりしている。