プロフィール

ニックネーム
料理研究家 宮成なみ
性別
女性
誕生日
1976年11月3日23時頃
出身地
福岡県
お住まいの地域
福岡県
職業
自営業
職業詳細
料理研究家
未既婚
未婚
出没地
中央区薬院駅。キッチンスタジオがあります。
出身校
福岡県立西田川高校
ホームページのURL
http://www.miyanari-cook.com

自己紹介

ご興味、ご縁を持って頂きありがとうこざます。


■ プロフィール

楽しい食卓株式会社代表取締役
料理研究家  宮成 なみ

16歳の時に「現代の医学では治すことのできない難病」
結節性動脈周囲炎を発症。医師より社会復帰断念を宣告される。

唯一進行を遅らせる方法である「食事療法」に望みをかけ、
母と二人三脚で食事改善に取り組み、不可能だと言われていた
社会復帰を果たす。

現在は、透析をしながら、テレビ、ラジオ出演、レシピ作成、
食育講演会など、料理研究家として活動中。



【 料理を始めた幼少期 】

私が5歳の時、父が起業をしました。
勤めていた会社を辞め、起業したのと同時に妹の妊娠が発覚。(笑)


起業したばかりの会社には、まだ信用はありません。

経済的な余裕もなければ、妊娠、出産、乳飲み子と
父の会社の経理の仕事を抱える母に時間的余裕もありません。

そこで、母は長女だった私に、
料理を教えることにしたのだそうです。

5歳の私に母が最初に教えてくれたのは、
お味噌汁とおかずの温め方でした。
まずは、火に慣れること、火傷をしないように
火の扱い方を知ることから始まりました。

慣れたら次は包丁の使い方。
そしてお味噌汁の作り方。

私は、あまり器用ではなくて、人が1度でできることでも、
3度、4度と繰り返さないとできない子だったので、
母は根気よく辛抱強く教えてくれました。

たくさん、たくさん失敗したし、火傷もしたけど、
「上手にできたね」って褒められるのがとても嬉しくて、
プラスチックの人参ではなく、本物の人参を使って、
私は、リアルおままごとな幼少期を過ごしました。



【 食といのちと向き合った闘病生活 】

高校受験も無事に済み、仲の良い友達とも同じクラスになり、
好きな人のことやテストの点数で一喜一憂する
楽しい高校生活がスタートしました。


そして誕生日を迎えばかりの16歳の冬。
私にある人生の転機がやってきました。


それが現代の医学では治すことのできない難病、
【結節性動脈周囲炎】の発症でした。

発病から5年以内に8割の方が亡くなると言われ、
現在(平成23年時点)全国でも250人しかおらず、
治療法もデータも圧倒的に不足している病気でした。

そして主治医の先生は、私にこう言いました。

「現代の医学で、なみちゃんの病気を治すことはできないけれど、
唯一…ひとつだけ進行を遅らせる方法があります。

それが、【食事療法】です。
食と言う可能性にかけてみませんか?」と。


それまでの私はと言えば、風邪と虫歯でしか、
病院に行ったことがなくて、健康はあって当たり前のことで。

平凡で、ありふれた普通の女の子だった自分がキライでした。
なんの変哲もない取り柄もないそんな自分が嫌でした。

だけど、普通の女子高生だった私は、
元気に走り回ることのできていた私は、
どんなにすばらしかったことだろう。

どんなに後悔してもしきれなくて、
あのころの自分に戻りたくても戻れなくて、
その頃の私の夢は、「普通の女子高生になること」
ただそれだけでした。

普通の恋がしたい。

普通に学校にいきたい。

普通に生活できるようになりたい。

それさえも手の届かない遠い夢のようでした。




【 いのちが命を作ってる。今日食べたものが私の未来を作ってる 】

1年弱の闘病生活を終えた私の体は、
病気の進行と共に私の手足はマッチ棒のように細くなり、
目はくぼみ、頬はこけてお腹だけぽっこり膨らむ
餓鬼のような体になりました。

肌はレンガのように乾いて、40歳の母より、
16歳の私のほうが老化が進んでいました。
乾いた肌はひび割れて、血が滲みウロコのようになりました。

そんなわが子を見て、母は、少しでも美味しく、
少しでも元気になれるようにと、知恵を絞り、
私の食事を作ってくれました。


本当に、ごはんで元気を作ろうと思ったら、
小さな苗木が月日を重ね、ゆっくりと年輪を描いていくように、
本当にゆっくりとしたスピードでしかないけれど、
私の乾いた肌が少しずつ潤い、やせ細った肢体は
女性らしいふくよかな肉付きを取り戻し始めました。

今日、食べた大根も、人参も、トマトもきゅうりも、
肉も魚もお味噌汁の味噌の中に入っている大豆や麹も
すべてはいのちで、いのちが、私と言う名の命を作っているんだ。

食べたモノが血になり、肉になり、私と言う体を作っているんだ。
今日食べたごはんが私の命になって、私の明日を未来を作るんだ。

少しずつ、綺麗になっていく腕を眺めながら、
そんな風に思いました。

ご飯ってすごいなぁ。
いのちってすごいなぁ、って。

生きていけるかどうかもわからなくて、
日常生活さえままならなかったのに、私の中に、

「この感動を、ごはんと命の素晴らしさを伝える人になりたい。
 母や祖母がしてくれたことを今度は私がする人になりたい。
 食に関わる、命を伝える、そんな仕事がしたいなぁ」

そんな小さな夢が生まれました。



【 できないこと悲しむよりもできることを楽しみなさい 】

誰もが、私が社会復帰できるなんて思っていなかったんです。
私が退院するとき、両親が呼び出されて、お医者さんに言われたそうです。

「娘さんは、25歳まで生きられないかもしれません」と。

けれど、私は、今でも元気に生きています。
お医者さんが言った寿命を遥かに超えて。

そして長年夢見続けてきた「料理研究家」と言う仕事に就き、
今も夢を追い続けることができています。

私は、5歳の頃に母にフライパンを持たせられ、料理を教えてもらったけれど、台所で母から学んだことは、「ごはんの作り方」だけではなかったように思うのです。
台所で料理を通して私に与えてくれたもの。

それは、「生きる力」と言う、人生を切り開き、前を向いて笑顔で生きていくための幸せのレシピだったのだと思うのです。


闘病生活の間、母は何度も言ってくれました。

「できないことをメソメソ悲しむより、できることを楽しみなさい。
 できないことは、できないでいい。できない中からこれならできそう、できるかも、って思うことを1つでもいい。やり続けなさい。
 
 そしたらね、できることは増えていくから。
 10年後の未来は絶対に変わってるから。お母さんが約束する」と。

16歳の時に未来に怯え、白い病棟で膝を抱えていた少女は
10年後、26歳の時に目指し続けていた料理研究家の夢を掴みました。

そしてさらに10年後。
36歳になった今もなお、料理研究家として夢に向かって生きています。



【終わりに】

最後までお読み頂きありがとうございます。

これまでの人生、病気は私にいろんなことを教え与えてくれました。
その時は苦しくて、悲しくて、つらくって逃げ出したくて、
なんで私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないの?って
神様さえも恨んだりして。

けれど、振り返ってみれば、
すべては今の私を作るために必要なことだっだんだなって。
今は、病気に感謝さえしているんです。

ある友人が言ってくれました。
「なみちゃん、すべては、偶然ではなく必然なんだよ」って。


出会いも別れも出来事も。
すべては偶然ではなく、必然。

磁石で引き寄せられるかのように、
出会いも、出来事も、小さな偶然を積み重ねて
その時の自分に必要なことがやってくるのだと思うのです。

ありふれた日常のなかにある幸せと出会いに感謝しながら、
今私にできることを精一杯、発信していきたい。
ご縁を育んでいきたいと思っています。



美味しく食べて元気になれる先人が残してくれた台所の知恵を次世代に受け渡すこと。


毎日のごはん作りをラクにする台所の知恵を届けること。



私はもう、子供を産むことはできないけれど、小さな小さなお手伝いならできるかもしれないと思うのです。小さな小さなきっかけのひとつでも心の奥に残せていけたら私は嬉しい。



「身体が弱いあんたやけん、
できること。

身体が弱いあんたやから、
わかること。

身体が弱いあんたじゃないと、
できんこと。

きっとあるはず。
探してみたら?」


べそべそ泣く私の背中をバンッと叩いて、友達が言ってくれた言葉。



透析をしてるからできること、
料理研究家だからできること。


楽しい食卓株式会社は、毎日のごはんで家族の笑顔と健康を守る楽しい食卓作りに貢献する会社でありたい。

それをカタチしていくことが、
私の次の夢です。






ご縁を大切にしている方、
人とのつながりを大切にしている方、
ぜひ友達申請やメッセージお待ちしております。



2011年12月30日
料理研究家
宮成 なみ


■ さらに詳しいプロフィールはこちら。
http://www.miyanari-cook.com/prof



■ 食育講演会と講演を聞かれたの声

▼ 講演依頼はコチラ
http://www.miyanari-cook.com/irai/kouen

▼ 講演会の感想、お便り
http://www.miyanari-cook.com/irai#iraiVoice



■ 宮成なみ公式ホームページ
http://www.miyanari-cook.com/

■ アメブロ
http://ameblo.jp/miyanarinami/

■ Twitter
https://twitter.com/miyanarinami

■ 軌跡

2002. 
「食卓の向こう側~半歩先宣言」シンポジウムパネリスト
2003.
「オトコをトリコにするメロメロレシピ!/西日本新聞社出版」出版
    初版3週間で完売。増刷に。5増刷目も完売。在庫なしの状態に。
2004.5
西日本新聞社様ブックレット「食卓の向こう側2」掲載
2005.10
西部ガス様「ガスならできる展05'」にて食育講演 他
2006.4
RKB様「今日感テレビ日曜版」日曜キッチンレギュラー出演。
2006.4
西日本新聞社様「フライパンひとつでメロメロレシピ!」連載。
2007.7
楽しい食卓株式会社設立
「奇跡のごはん/東洋経済新報社」出版
2008.4 
企業様販売促進レシピの作成事業の開始
2009.4
ホクト株式会社様販売促進レシピ作成 他
2010.2
新日本製薬様「愛情おうちごはん」連載 他 
2011.8 
中西一清さんと東北支援ボランティア活動 他
2012.2
NHKドキュメンタリー「ドラクロワ」出演
2013.4
西南学院大学「食の自立支援講座」講座講師。
福岡県6次産業化推進事業審査委員会審査委員。他

マイプロフィール

定番

趣味
キッチングッズを集める
長所
本を読むのがめっちゃ早い。
短所
首をゴキゴキゴキゴキゴキっと鳴らして怖がられる。
ちょっと自慢できること
ブラインドタッチがかな文字入力なのにめっちゃ早い。
最近ハマっているものは?
日本酒。
まず家に帰ってすることはなに?
ごはんの支度
平均睡眠時間は?
5時間くらい。
口癖は?
めっちゃ
ブログの更新頻度は?
毎日…を目指す。
ブログに何書いてる?
日常。
座右の銘は?
冷蔵庫のなかの幸せ
集めてるものは?
hunter x hunter 早く続き描いて。

好き嫌い

好きな食べ物は?
薄めのブラックコーヒー
嫌いな食べ物は?
脂身、脂ののった刺身
好きなマンガは?
ワンピース hunter x hunter
好きな映画は?
ショーシャンクの空には何度も泣いた。
好きなテレビ番組は?
帰れま10
好きな曲は?
シーモのコンテニュー
好きなゲームは?
ダンスダンスレボリューションで、ダイエット中。踏めません。
好きなブランドは?
包丁だけど、双子マークのツヴィリング
好きな車は?
走ればいい。
好きな場所は?
家。
好きな動物は?
猫。
好きな休日の過ごし方は?
ゴロゴロ。
好きな色は?
黄色と桃色。
好きな言葉は?
問題なっしんぐ。
好きなタイプは?
ドーンと構えているひと。

その他

一つだけ願いが叶うとしたら?
10年前の体重に戻して( ;∀;)←叶ってる!書くって凄い
何をしている時が幸せ?
美味しいものを食べているとき。
デートでいきたいところは?
温泉。ぼーっとするの大好き。
宝くじがあたったら?
2LDKを借りて、私専用キッチンを作る。←叶ってる!
世界最後の日、あなたは何をしていますか?
普通に過ごすかな?
自分を動物に例えると?
動物占いは黒ひょう。
自分へのご褒美は?
たまにの外食。食事制限あるからね。
子供の頃なりたかった職業は?
料理研究家。長年の夢が叶いました(・∀・)
携帯の機種は?
iphone
お弁当に絶対いれて欲しいおかずは?
卵焼き。
生まれ変わったら?
また女がいい。
今までで一番高い買い物は?
パソコンかな?
今、旅行でいきたいところは?
北海道と沖縄
あなたにとっての必需品はなに?
リラックマの抱き枕。ないと寝つきが悪い。
1ヶ月毎日食べるとしたら何?
ゴーヤを塩吹き昆布と梅干しで和えたやつ。ごはん止まらない。

冷蔵庫のなかの幸せ


こんにちは。料理研究家協会代表理事の宮成なみです。

ブログに来てくださって、本当にありがとうございます。
タイトルの「冷蔵庫のなかの幸せ」は私が大好きな言葉です。

 幸せって冷蔵庫みたいなものなんだって。

冷蔵庫のなかにあるもので、パパっと美味しいモノを作る人のことを
「料理上手」って言うよね?

アレがないから作れない、コレがないから作れないって言ってたら、
いつまで経ってもごはんは作れない。

幸せもこれと同じでね、お金がないから幸せになれない、
可愛くないから幸せになれないって無いモノの数を数えてるうちは、
いつまで経っても幸せになれない。

幸せって、今あるもので作り出すものなんだって。 ”

受け入れられないことも、悲しいことも、たくさんあるよね。
だけど、それさえも、よかったと思える日がくるように、
意味ある人生を作っていこう。


今ある幸せを大切に育てていきたい。