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アロマセラピスト、ボディトレーナーの林 美歩です。
リウマチファンサイト 【今がある幸せ】幼稚園、小学校、中学校、大学、社会人になってからと・・・
仲良くなった同級生が それぞれに亡くなっていきました。
友人の死に直面するたびに 残された悲しみの波動は広がり
みんなが背負っていかなくてはいけない 大きな壁だった。
若かった私は 現実を受け入れることが難しかったけれど
今となっては 死は誰もが体験するものであって
それぞれの役割を終えて また生まれ変わるんだ
そう思えるようになりました。
ここで説明することは とても迷いましたが
私の経験を簡単にお話します。
といっても ちょっと長いから心してよんでね。
今現在悩みを抱えているすべての方に 生きる希望をもって欲しい!
そして何か感じてもらえたら・・・と思い 書く決断をしました。
<踊ることで自分を出せた子供時代>わたしは 歴史専門の教師だった父と書道家の母の間に生まれました。
生まれつき赤毛で そばかすだった子供時代
外人とよくからかわれ 仲間に入れないこともありました。
人と違うという劣等感とともに 体操や自分の好きなバレエをみつけ
レッスンの日々。。。
小学2年からは 二時間半かけて千葉から世田谷まで
一人で通っていました。
根性だけはあったみたい(#⌒∇⌒#)ゞ
踊ることが大好きだった♪
そこだけが私らしく表現できる♪ そんな場所でした。
常識に厳しくも 人と違うことを求められていたので
いつの間にか友達と遊ぶ暇さえないほど
レッスンに明け暮れて 気づけば日常の会話についていけなかった(´0ノ`*)
そうして 学校よりもダンスに費やす時間が増えて
終業式や学校行事に参加できないことも。
普段は根っからの陽気な女の子で 人を笑わせたりするのが
大好きでしたが 物心ついたときから ひとりになると小説を書いたり
想像することで楽しんでいました(^O^)
小学校高学年になり 長女は結婚し 二女も出て行き
年の離れた末っ子だった私は両親の期待を一心に背負うことに。
ここでは省きますが 今では想像できないほど ドラマになる熾烈な少女時代。
中学三年の受験時に コンクールで初めて落選したとき
ダンスをやめざるを得ない状況にY(>_<、)Y
でも高校に入ってまもなく どうしても踊りたくて
親の反対を押し切り復活することができました。
<ひとりぼっち>この頃性的虐待に遭い 誰にも相談できず
保健室に行くことが増える。
いや 小学校時代から保健室に逃げ込む癖があったかも^^;
保険の先生はどの先生も優しくて ほっと安心できる場所でした。
当時 もし学校にカウンセラーがついていたら・・・
携帯電話があったなら・・・
私はどうしていただろう。
街を徘徊していたか あるいは運が良ければ誰かに
助けてもらっていたかもしれないし
運が悪ければ 不幸の道に流されていたかもしれない(><;)
いつも元気いっぱいで 友達はたくさんいたけれど
心の奥に潜むわたしは いつも沈んでいたかな。
担任の先生からは「いつも悩んでるみたいだけど どうした?」
と聞かれたことがあったけど、男の先生に本心を話すことなんて
考えもしなかった。
<大学生> 晴れてダンス推薦で体育大に入りましたが
お気楽な私に対し 地方からスポーツ推薦で入ってきた人たちは
みんな真剣でした
この頃は ダンスもうまくサボりながら よく遊んでいたっけ。
友達の家を転々としながら 毎日を過ごしていました。
規則正しい生活なんてあったかな。
<天と地>
人には それぞれバイオリズムがありますよね。
まだ若かった私は ただその時やりたいように過ごしていました。
今しかできないこと いいことも悪いことも経験したい!って。
そう!いつか大きな人間になる!
強くなるんだって信じて☆
新卒で入社した生命保険会社で 地道にコツコツと・・・が
できないから 友人の会社の社長さんなどと仲良くなり
法人契約などで大きな成績を残し
そのおかげで 毎月パーティーや旅行三昧о(ж>▽<)y ☆
そうしてダンスの舞台を続けていましたから
仕事にリハーサル、土日は教えと多忙な毎日。。。
体は疲れきっていて ビールを飲んで癒される☆ みたいな・・・
何をやってもうまくいく時期で 100人ジャンケンでも勝ち抜くし
会社の絶叫大会でも支社代表となり 全国大会で優勝(自慢にはなりませんが)
ビンゴをやれば一等賞など とにかく運を使い果たしそうで
今後がかなり不安でした。
生保を辞めてすぐ 当時の彼からDVに遭い
親と縁を切って出ていたので 相談することもできず
逃げたら殺されるかもって思ってました。
この時に交通事故に遭い 雨の日に車に跳ねられて
自転車はグチャグチャ。ボンネットに飛びました( ̄□ ̄;)!!
当時ムチ打ちで 首を固定していたので
ある社長から親不孝をしてるんじゃないか?
と諭されましたが 聞く耳をもたなかったんだな~
首に包帯を巻いていても 頭を蹴られていたんだから
尋常じゃなかったな。
それでも屈せず立ち向かっていた変な根性はなんなんだ(苦笑)
何故 何度も離れようとしては 離れられなかったのか・・・
それはきっと 母性本能的なものなんでしょうね。
彼の育った環境も複雑でした。
自分と同じ苦しみをもっているのでは・・・と。
この人を私がなんとかしてあげたいと思ってしまったのです。
ダンスでは 舞台に穴を空けることはできず
それでも包帯を巻きながら ハーサルに出ていました。
ダンスの恩師には 常にプロ意識をもつよう言われてたから
体調が悪かろうと休むことは考えもしなかった。
足首が2倍に腫れて 座薬でなんとか舞台を終えたことも。
そんな中 私生活は。。。
最後には顔が半分真っ青に腫れあがり
体はボロボロ・・・
こうして 実家に帰らざるを得なくなったのですが
そこから更に自由が奪われ 友人と連絡をとることさえ
できなくなったのです。
今思い返してみると 運気の流れに沿っていたようで・・・
でも そのおかげでガラリと変わる人生の転機が訪れたのですが。。。
<どん底へ>
事故で体がいうことを利かなくなり、家から出ていたことで
娘がとんでもない方向へいってしまったという親の心配
考えから ダンスをとうとう辞めざるを得なく(´□`。)
そして友人と連絡をとることもできず、かごの鳥状態。
それはそれはつらかったな~。
仕事が終わって同じ電車に乗って帰宅。
門限は6時。
親の期待通りに進まないし、ずっと確執がありました。
当時の写真をみると、笑った顔はないし
よどんでたな~って思います。
毎日色んな夢をみて、仲間に入れなかったり
周りは踊ってるのに、私だけ体が動かないとか。。。
当時イランイラク戦争が始まっていて
警官が殺されたり、自分の周りで多くの人が
亡くなっていくような夢ばかり みていました(^_^;)
この頃は生きる価値を見出せず、毎朝自転車でバイト先へ
向かう江戸川で 鳥の鳴き声を聴きながら
木々を眺めて 美味しい空気を吸うことで癒されていました。
毎日感じたことを 詩に書きとめる。それが楽しみだったかな^^
<1から修行~>そんなこんなで ちょっと精神的なダメージが大きかったので
体も動かしたいし、リハビリがてら鍛えられるし!と
スポーツクラブへ入社。
初めは体調も戻りつつあって 元気に過ごしていたけれど
同級生がまたもや命を断って 気分はどんと沈みました。
このことがきっかけで、仲間もぎくしゃくしてしまって
這い上がるのに必死だったと思います。
それからダンスやフィットネスプログラムなどの
週12本のレッスンをしながら雑用もして~
6人いたフィットネス部門の社員が所属長と私の
2人になって ものすごく忙しくなり
毎日があっという間に 過ぎていく・・・
気づいたら朝起きると
体中痛くて お腹の調子も悪く・・・
全身しびれ、寝返りをうてないのが続きました。
それでも好きなことだからやりたかっんだな~p(^-^)q
今まで舞台に立ったり 周りからちやほやされていた世界から
すごく現実的な社会に踏み込んで、常識知らずだったし
とにかくここは修行の場!と言い聞かせて何でもやりました。
この頃、夢は日に日に現実化していって
NYのテロの夢をみたり(実際の9.11が起こる二年前)
翌日やることを 夢が教えてくれたり
不思議なことがありました。
いま思えば 職場は大変だったけど
ここで学んだことは 今にとっても活かされています(*^ー^)
そして 以前よりずっと生きること 心の豊かさを知ったし
パワーがUPしたと思います。
夢は世界一のセラピストになること。
世界一を目指す方々へ 最大限のサポートがしたい!
だから 絶対に諦めない!