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■“「お店を売りたい」をお客様が「通いたくなる」お店に変え、譲って欲しいと言われるような「買いたいお店」に変えてしまう、包丁の握れるコンサルタント”こんにちは!
包丁の握れるコンサルタント、ゴトーケンタです。
ぼくは、
元シェフ出身の経営コンサルタントです。
オーナーシェフが経営する繁盛店で一から料理を学びました。その後、
ブッシュ元大統領や
小泉元首相が訪れたレストランを運営する会社で包丁を振るっていました。
■そんな料理人がなぜ経営コンサルタントに?僕の中学生のころの夢は、
「まちづくり」でした。
町の商店街は小学校低学年くらいの頃までは行くとワクワクしたものです。
ところが、小学校高学年になる頃には、シャッター街と化しました。
全国でこの現象が起こりました。
郊外型ショッピングセンターの進出です。
この寂しい体験をきっかけに、なんとか町に元気を取り戻したいと思ったのです。
■バイトに明け暮れた学生時代まちづくりをしたかったので僕は、都市計画などが学べる建築学科に進学しました。
ところが、僕の視点と、都市計画で学ぶ行政よりのアプローチというのは正反対にあり、ぼくのやりたいまちづくりはここにはありませんでした。
消化不良の僕はバイトに明け暮れていたのですが、それが料理との出会いです。もともとものづくりが大好きな僕は、料理を作ることと建築を作ることは当然ながら、ものづくり全般に通じるクリエーションの面白さに気づきます。
料理の腕が上がるのと同時に、建築の力も上がりました。
■留学先で外食三昧大学では、設計の授業以外一切興味はありませんでした。
料理と設計、そしてバイク。これが僕の学生時代の象徴です。
そんな僕が国家間プロジェクトのメンバーに選抜され、ドイツとポルトガルに留学するチャンスを得ます。
プロジェクト以外は自由だったのでアルバイトで貯めた貯金で、ここぞとばかりに本場の味を味わいつくしました。
“一芸は身を助ける”言葉は通じなくても料理でコミュニケーションが出来ました。料理を通じて沢山の外国の友達ができました。
■まちが死ぬ卒業と同時にずっと勤めてきたレストランが閉店しました。
オーナーの引退。後継者不在がその理由でした。
20年あまりそこにあって近所に賑わいをもたらしていた繁盛店。
閉店から2週間。
店には貸店舗の張り紙、店の前の電柱には、痴漢ひったくりに注意の張り紙、毎日手入れしていた植栽は枯れ、店の前にはだれかがポイ捨てしたゴミが散乱していました。
小学校の時、シャッター街を目にしたあの時に似た寂しさがこみ上げてきました。同時に、これだ、これが自分のやるべきことだと気づきを得ます。
町に活気をもたらすお店や人をたくさん輩出しよう。
■年間360日、月間540時間、年収1200万店舗商売ができればすべての商売ができる。
だから商売の要素をすべて含んでいるのが飲食店をもっと極めよう。
工学修士をもつ人間としては、極めて珍しいと思います。
ブッシュ元大統領や小泉元首相が訪れたことで有名なレストランを展開する会社で僕は経営という視点から、一からレストランビジネスの勉強を始めました。
当時、外食産業では給料が高いことでダントツに有名な会社でした。しかしながら、その実体は・・・。
年間360日勤務、月間540時間労働、年収1200万円。若くして年収1000万円以上なんてゴロゴロいましたが、徹底的な実力主義な社内風土の裏側には、「幸せ」はありませんでした。
■ハーレーをキャッシュで大人買い給料は入るが休む暇もない、貯まるお金の使い道は、連日仕事終わりのBAR通い、ある時は、友人の付き添いでたまたま訪れたハーレーのディーラーで買う気がなかったのに、新車をキャッシュで大人買いしました。
虚しくてしかたなかったです。
これじゃない、俺が欲しいのは。
人生、カネじゃない。その時気づいたのでした。
■店舗コンサルへの転身休む暇なく濃密な時間を過ごし、いよいよ店舗プロデュース・コンサルティングの仕事を始めようと独立の準備を進めていました。
ちょうどその時、閉店する店舗を買い取ってリニューアルオープンさせる、いわゆる居抜きと呼ばれるビジネスの立ち上げ話をもらいました。
もともとシャッター街をどうにかしようと思っていたこともあり、居抜きには注目していたので、自分一人でやるよりはと思ったのでした。
■20000件超の閉店相談と6000件超の開業支援企業に転職したのは正解でした。個人でやっていては到底こなすことのできない量の案件に携わる機会を得られました。
特に、1件の閉店相談には、100件の開業事例よりも価値があります。成功事例には、時流や人のご縁など、たまたまがありえます。また、人には人の成功の仕方があり、定義があります。それが誰にも当てはまるかといえばそうではありません。
ところが、閉店には閉店に追い込まれる確たる理由があります。
繁盛店の秘訣は、20000件の閉店相談の中にありました。
■店舗オーナーの「売りたい」を、後継オーナーの「買いたい」に変える仕事僕の仕事は、お店を売りたいとお預かりしてきた店舗を、それを買い取ってお店を始めたい人にグッとくる情報へと磨き、届けることでした。
これは、店舗オーナーの「売りたい」を、後継テナントの「買いたい」に変える活動です。
当然のことながら、店舗売却の価格は安ければ安いほど売れやすいのです。ところが、居抜きで店舗を買われる方は、なるべく業績の良い店舗を買い取りたい。お店を売却するオーナーは、なるべく高く売りたい。
そこに認識のGAPがありました。
■
店舗オーナーの「売りたい」を、お客様の「通いたい」に変える仕事へお店を売りたいオーナーはなるべく高く売りたい。お店を買取たい後継のオーナーは業績の良いお店を買い取りたい。
この双方のニーズをマッチするには、売りたいお店の価値を高め、もっと高く売れるようにすることでした。
赤字で業績のわるいお店だから事業としての価値はマイナスになり、人気もないので価格交渉をされることになります。
業績を上げ黒字化することでお店の事業としての価値はプラスになり、人気が出て結果、価格交渉どころか、価格が釣り上がる現象が起きます。
業績が上がったお店は、事業としての売却価値が高まり高く売れるばかりか、事業継続への勇気を回復し、売却をしなくて済むことになるお店が出てきました。
店舗オーナーの「売りたい」を、お客様の「通いたい」に変えることで、お店を高く売りたいオーナーのニーズと、業績の良いお店を買いたい後継オーナーのニーズを満たすだけではなく、そのお店を懇意に利用するお客様の幸せ価値を高め、スタッフの生活を守り、大家さん、取引業者さんの継続的収入も約束することができました。
■スタッフ、お客様、オーナーのトリプルウィンを実現する繁盛店づくり誰もがただシンプルに幸せになりたいと望んでいる。
年収1200万もらおうが、裏で怒鳴られながら、休みなく、毎日長時間、過酷な労働をしたいとは思わない。
僕はそんな過酷な現場でフライパンと包丁を振るいながら嫌というほど見てきた。だからこそ、スタッフとお客様、そしてオーナーが三方良しになる繁盛店をつくりたい。
それはやがて、取引業者の、テナントを賃貸している地主さんや大家さんの、そして地域の資源となり幸せを育むプラットフォームになると誰よりも身をもって知っているから。
■僕の作る料理を食べてからご判断くださいゴトーケンタは、
元シェフの経営コンサルタントです。
自らの経験を活かし、店舗オーナーの「売りたい」お店を、お客様が「通いたくなる」お店に、そして、スタッフが「働きたくなる」お店に変えることのできる、包丁も握れるコンサルタントです。
繁盛店づくりには
最高の素材が欠かせません。
飯屋の人間が、大切なお客様に適当な素材で適当な料理を提供するような不誠実な仕事をしていてはいけません。
素材を突き詰めた結果、自ら究極の素材を作ってみたくなりました。そして、農業を始め、農業団体をプロデュースし、その農業団体は、
日本一の米を始め、究極にうまい素材を、無肥料無農薬の自然栽培で生み出し続けています。
2012年3月、ゴトーケンタの究極の店づくりプロジェクトの一号店。
プロデュースした変態農業団体の
鹿嶋パラダイス直営による究極の飲食店、
樂田家(らくだや)がオープンしました。
http://ameblo.jp/rakudaya-kashima/店で提供する食材だけでなく、調味料やお酒、なんと
ビールまで自家製です。
地元住民の誰もが「ここはうまくいかない、難しい」、失敗する」と、そう口を揃えた場所に出店しました。
そうそこは、かつて行くとワクワクし、しばらくしてシャッター街と化した、僕の原点とでも言うべき商店街です。
僕は今、中学生の頃の夢を叶えました。でもまだまだこれからです。
第2、第3の繁盛店をプロデュースしていきます。
誰よりも現場を知りつくし、前代未聞20000件の閉店相談に乗ってきた叩き上げのコンサルタントはまずいません。
スタッフを幸せにし、お客様を幸せにし、そして自分も幸せになりたい。そんな店舗オーナーと一緒に仕事をしたいと思っています。
お仕事のご依頼は・・・
なにはともあれまずは僕の作る料理を食べてからご判断ください。