『マーカス・ミラー new album & live info』http://amba.to/JT2ICx なつかしいですね。僕はギターだったんですが、ベースの奴は目立ちただ李でジャコパステリアスやスタンリークラーク派でしたが、あたしゃマーカスが好きでした
[5/24 09:32]
激動の不動産業界にどっぷり浸かって数十年!
生き馬の目を抜くこの業界でなんとか細々と経営してまいりました。
●経歴
大手不動産流通会社
(中古戸建・中古マンションの仲介)
↓
不動産鑑定・不動産コンサルティング会社
(不動産の鑑定評価や土地の有効利用・節税対策などを企画立案)
↓
バブル絶頂期の不動産買取・転売会社
(借入は数千億円!今なら信じられないクレージーな時代)
↓
なにを血迷ったか?会社設立
(細々と十数年 なんとか皆様のおかげでやってまいりました。)
外からでは決してわからない不動産業界独特の悪しき慣習や矛盾を
ドンドン暴露してまいります!・
挫折ばかりの人生ではありましたが、それなりに楽しく生きてきました。
| ◆苦難のサラリーマン時代 現在ほどではないにしろ、就職にはかなり悩みました。 あまりに優秀な私の採用にはどの企業も尻込みしたのかもしれません。 そこで私は零細土木設計会社に入社いたしました。 そこでの仕事はあの母に捧げるバラードの海援隊のリーダー状態でした。 そう武田徹夜、徹夜、徹夜の連続です。 無料メール講座の動画を観ていただいたらわかるように、私の字は小学生以下なのです。 ですから人が一日3枚描ける製図が、私は文字入れに手間取り2枚しか描けないのです。 おのずから残業せざるおえない状態になってしまうのは自明の理です。 港湾関係の設計もしていました。 (日頃の激務のせいか当時の体重は50kgにまで減りましたが、いまは見る影もありません) 当時は勉強して難関資格の技術士を目指しておりました。 技術士(補)上下水道部門は合格したのにいまはその資格は生かせていませんね。(涙) そんな時に高齢の父が肺ガンで全摘出手術を受けなければいけなくなり、高齢の母も心臓に疾患をもっていることからったこともあり、看病のために私が退職することとしました。 そんな時、ふと入った旭屋書店に宅地建物取引主任者試験の願書が置いてあり、なにを血迷ったのか 「まぁ ひまつぶしに宅建でもとるか?!」 と受験することにしたのです。 昔はそれほど難関の資格ではありませんでした。 そこはご説明したように学業優秀(神童と呼ばれた?)の私です。 (問題) 甲は乙の登記上・・・丙は善意の第三者として乙の不動産を・・・・・ なんや、難しい・・・・そうや 甲を田中君 乙を清水君 丙を山田君として置き換えよう! 「ふむふむ・・・それはこの清水っちゅう奴が一番悪いな!よし!答え3番!」 てな感じであれよあれよと合格しちゃいました。 そこから私の人生でなにかが狂い始めました・・・・・ |
| ◆こ・こ・こんな世界もあったのか?初めて知った不動産業界といういびつな世界 最初に転職したのは某超大手住宅仲介会社販売チェーンです。 初代イメージガールは【宮沢りえ】さんでした。 大手といっても各店舗は少人数経営ですから、そこにある魑魅魍魎(ちみもうりょう)な世界は 大手も零細も同じです。 元来 生意気な性格からなのか?お世辞が苦手な性格からか店長に睨まれてしまい不人気エリアの担当に最初から配属されました。 お店は高級住宅エリアに近いのですが、私だけ他の店と競合する不人気エリアです。 他の営業マンは、親会社(デベロッパー)からまわってくる買い替え物件などを店長から我先にといただいていましたが、私にはそんなのまわってくるわけがありません。 みんなが1件で達成するノルマを、低額のエリアでは何倍もこなさなければいけません。 ”ここでくじけたら男がすたる!”と自腹で買った原付バイクにまたがり夜な夜なマンションにビラ投函です。(昼間は管理人さんに叱られますから・・・・) おかげさまで、トップ賞もいただいたりしましたが、燃え尽き症候群(バーンアウト)からか、 少しこの不動産というものを研究してみたい!と今度は 不動産コンサルティング会社に転職しました。 そこでは、不動産鑑定やビルの企画なども経験しやりがいもありました。 しかしここでも事件が起こり、トップの方との意見の相違があり退職しました。 そして大阪では有数の不動産業者(大阪の中心商業地に特化した買取転売業者)に転職しました。 (借り入れ金額は2000億円超でした。今考えればよく銀行も融資してましたね。) この時期 世はバブル時代に突入しあの狂乱の時代を経験するのです。 何十億のお金が簡単に行き交い、毎夜の宴? (この時代のスケジュールは全盛期のピンクレディーや松田聖子並の超ハードな過密スケジュール 睡眠時間はほとんどなく、お風呂も大阪梅田のニュージャパンでさっと昼間に入っていました。) いやあ ほんまにすごい時代でした。 このことを書くと本一冊書けますので省略します。 そしてバブル崩壊で仕入れた物件の敗戦処理に・・・・ まあそれには色々な事件も重なり退職。 |
| ◆なにを血迷ったか?どん底時期に創業? 忘れもしないあれは・・・・・いつだったかな?(笑) そう阪神大震災の年に創業しました。 あれよあれよで十数年。 2002年の中小企業白書では、独立して1年で40%が廃業し10年間同じ会社を経営しているのは20%弱というデータもある時代で、 「よく生き残っているなぁ!」 なんて自分でも思っています。 もう宅地建物取引業の免許も更新4回を経て、もうすぐ5回目になります。 どうして生き残れたのか? それは いや みなさんの助けがあったからに他ありません。 良い時も悪い時も、共に悩み、共に喜んだお客様や同業者の方々のおかげです。 本当に今までありがとうございました。 そしてこれからもよろしくお願いいたします。 |
| ◆こんな私ではありますが何かお役に立てることがあればご相談下さい。 このようになんら自慢できることは何一つない私です。 でも、こんな自分でも少しはお役にたてる方もこの広い世の中にはいるんじゃないのか?と思って十数年この生き馬の眼を射抜く不動産業界でもまれてきました。 もしなにかお役に立てることがあればお気軽にご相談下さい |